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【スピ】3次元▶️5次元っていうけど、我々もともと上位次元から来てね?って話しとか


スピチュアルでいう『アセンション』の認識って

『3次元で生まれ、修行して、5次元に行く』って感じじゃないですか。

『3次元界は低レベルだから、一生懸命がんばって魂磨いて上にいくぞ!!』みたいな。

本当にそうなんでしょうかね?

『神は自分に似せて人間をつくった』というじゃないですか。

確かに物事には相似性がありますよね。
マクロはミクロに、ミクロはマクロに。不思議と同じ様相が見出される。

その相似性でいえば、『私たちがテレビゲームやオンラインゲームで遊んでいる状態』が一番近いと思います。

操作されてるゲームキャラが3次元
操作してるプレーヤー+クリエイターが5次元

漫画・映画・小説でもいいんですが『直接操作する』という点でゲームが一番近しいと思います。

ゲームに熱中してる時、キャラとプレーヤーは同化して(一時的に)キャラ目線になるじゃないですか。

『自我』ってソレだと思う。

『自分をキャラだと思い込んでるプレーヤー』

であれば、ゲームをクリアしてキャラ目線からプレーヤー目線にもどった時、というのが3次元▶️4次元への次元上昇ということになりますよね。まさに『我にかえる』こと。

キャラだった時の体験や想い、感動はプレーヤーに還元されて、魂の血肉となり溶けていく・・・

色々なゲームのキャラが、プレーヤーの中に同時に存在して、ひとつに溶け合っている。それが4次元といわれる領域(意識状態・在り方)なんじゃないかと。

たくさんの自我が一つの自己へ統合

スピリチュアルでは『今回は肉体をもったままアセンションだよ!』という説がありますが、それって『マリオがテレビから飛び出してプレーヤーに成り代わる』ような話しですよね・・・??

この説はちょっと語弊があって、正確にはこうじゃないかと思うんです。

マリオが自分がゲーム内の操作キャラであることを完全に自覚しつつも(アタマの理解ではなく体感として)プレーヤーである認識・目線も同時にもっている状態になる。

『マリオの自分』と『プレーヤーの自己』を同時に楽しめるようになる。

さらに、マリオとゼルダとドラクエを同時に遊べるようにもなる。
(マリオは自分がリンクや勇者でもあることを認識している)

ってことなんじゃないかなと。

プレーヤーをハイヤーセルフと言い換えてもOK

キャラとプレーヤーが同一化している『熱中状態』から、『いま私はゲームで遊んでるな』と、もうすこし俯瞰した在り方に移行する。

そうなるとプレーヤー同士の交流もできるし、別ゲームの知見・経験を活かしたり、なんなら攻略サイトだって見れるようになって、裏技だって使えるようになりますよね。

テレパシー、テレポート、物体の複製、HPの回復(治療)・・・ゲームキャラには不可能なことでも、プレーヤー次元なら簡単にできますから。

制約から開放されて、もっと自由にプレーできるようになるので、アセンション=パラダイスですし、そこを目指したくなるのは当たり前といえます。

ここらでようやく本題に入りますが

この『ゲームキャラとプレーヤーの関係』をアセンション・ストーリーに当てはめると

我々ってもともと高次元存在ですよね。

プレーヤーがいないのに、キャラだけ存在することはありません。

ある程度スピリチュアルに詳しい方で『フラットランド』をご存知ならピンとくるのではないでしょうか。

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フラットランドを要約すると『1次元を認識するには2次元以上』『2次元を認識するには3次元以上』『3次元を認識するには4次元以上』の認識が必要だよって話しです。

仮に2次元(面の領域)に存在している生物がいたとして、その生物の目線には『線(1次元)』しかありません。

2次元(面の領域)というと、『紙人形のようなペラペラ人間』をイメージしがちですが、ペラペラしてる時点で3次元認識ですのでこれは間違いです。

紙に書かれた存在の目は『それを上から俯瞰することができない』ので、どこまでも平面・・・線(1次元)しか認識できないわけです。

さきほどの仕組みを逆側にすると『2次元に存在しているものは1次元以下』『3次元に存在しているものは2次元以下』『4次元に存在しているものは3次元以下』しか認識できないって意味でもあるんです。

『現時点より下の次元』しか認識できない

では、私たちの属する次元はどこなのか?

3Dモデリングのポリゴンをイメージしてみてください。私たちってよく『3次元』って言われますけど、真の3次元認識を持ってたら、物体の裏側・内側も全方向を一度に認識できるんですよ。

でも、私たちは向かい合った人の背中は見えないし、服の中も内臓も見えませんね。3次元認識は持ってない。

我々の視界はいつでも2次元。モニター画面をみているのと同じ状態。

それが面ではなく立体であるかどうかは、動いたり触ってみてはじめて判明します。

もし、眼球以外が全身麻痺した状態でVRゴーグルを着けたら、2次元(画面)か3次元(現実)かの判別はつかないです。

以上を踏まえた結論として、私たちは『面+部分立体+1方向時間=3.X次元存在』ということになります。

2次元よりは上だが3次元に満たない、時間も1方向にしか進まないという2〜4次元の要素を断片的に合わせ持つ不思議な状態ですね

キャラ意識、プレーヤー意識のさらに先・・・

透視(クレヤボヤンス・リモートビューイング)といわれる超能力は一時的に3次元認識を、前世の記憶・予知能力は一時的に4次元認識を開放することで可能となる超能力です。

数は少ないとはいえ、そうした超能力の実例はいくつもありますから、キャラである私たちがそうした能力を使えるということは、やはり5次元以上からこの次元にアクセスしているのです。

プレーヤー意識の4次元、その先の5次元は『プログラマー意識』になります。

ゲームを作ったことある人ならわかると思いますが、基本的に『自分の作品』って遊ばないんですよね。だってストーリーも攻略法も全部知ってるんですもん、、、。自分が創造主なんだから当たり前ですけど。

よく映画紹介で『できることなら記憶を消して観たい名作映画』ってタイトルがつけられてますが、この次元の人生ってまさにそれなんです。

記憶を消さなきゃ遊べない。おもろくない。『出来レース』『確認作業』でしかないから、退屈になってしまう。

だから、私たちは記憶カラッポで、レベル1のな〜んもわからん状態で、この世にポトンと落とされ右往左往しとるんです。

プレーヤー=記憶を封印したプログラマーは『純粋なプレーヤー体験』を通して、デバッグしたり修正したりして、作ってるゲームの質をより一層向上させるわけです(果てしなく永遠に)

私たちは『自作ゲームを究極に面白く自分で遊び、究極に面白く作り直すを無限に繰り返してるゲーマー兼クリエイター』なんです。

そうした自己認識を踏まえて考えるとやはり、、、

『魂を磨かなきゃ上にいけないアセンション』ってやっぱ変な気がしませんか?

ゲームキャラがいくらレベルあげたところで、そのパラメーターって別にプレーヤーやプログラマーの立場とは無関係じゃないですか。

ゲーム内で有利に立ち回ることはできても、それはゲーム内での話しに過ぎない。

勇者をレベル100にしたって、現実の自分がムキムキになるわけじゃないように。

ゲームプレイを評価されたとして、それがアセンション条件ってのもおかしな話しです。上手くプレイしたからプログラマーに昇格(?)って意味不明ですよね。

そもそも全てが自作自演なのに、何をもってキャラ意識からプレーヤー意識へ、プレーヤー意識からプログラマー意識へ回帰するのか?

少なくとも『キャラ一体化』をやめない限りアセンションは起きない

コンシューマーゲームであれば終わりがありますが、オンラインゲームは基本的に終わりというものがありません(サ終しない限り)

終わるのは、プレーヤーが飽きたり別のゲームをしたくなった時でしょう。

もちろん、飽きるまでやり込んだなら『キャラのレベル』は相当あがってるでしょうから、レベルを上げる=アセンションは完全な間違いではないかもしれません。

でも、オンラインゲームの経験者ならわかると思いますが『複数のキャラを同時に育成する』って当たり前なんですよね。

ガチガチに鍛え上げたメインキャラもいれば、そこそこのサブキャラもいます(お遊びでつくるネタキャラとか)

そこそこキャラの視点では『私なんかまだまだレベルが低いし、、、』と思っても、実はメインキャラは別にいて『別軸+α』で育てられてるのかもしれない。

実はプレーヤーが上級者だったとしてもキャラには分からない

いかにもレベルの高そうな偉人・賢人・有名人だからアセンションできる…わけでもなく、愚者でもアセンションできる…かもしれないってこと。

アセンション=キャラ一体化体験の終了=記憶喪失プレーヤー体験の終了

それがいつになるか。キャラ視点では決してわからないのです。

ゲームの終わり

ゲームがおわることは『GAME Over』『GAME Clear』といいますよね。不思議とGAME Endとは言いません。

こうした言葉のチョイスにも、隠された本質があらわれてる気がします。

Overの意味
終えて、超えて、過ぎて、溢れて、渡って、渡して、外側の、〜の上の、向きを変えて、至る所に、どんな場所にも

Clearの意味
消える、透明になる、純粋な、はっきりと、開けて見通しがきく、霧が晴れる、取り外す、空いている、遠ざかる、すっきり、証明と開放、飛び越える、通過する、利益を出す、治る

やはり、ゲームキャラの視点(面+部分立体+1方向時間=3.X次元)からプレーヤー視点(4次元)、そしてプログラマー視点(5次元以上)に立ち還るのがアセンションな気がしてなりません。

5次元以上から▶️3.X次元+1方向時間(今ココ)▶️5次元以上へ

実際はこうなんじゃないかと思います。

我々は『5次元になろうとしてる存在』というより『はじめから5次元以上からココに来ている存在』でしょうから

『取り残される』『落第してさらに下の次元に落ちる』みたいな話しは違うんじゃない?

『私たちは未熟で卑しい存在だから、頑張って努力して優れた存在になろう』『優れた存在に認めてもらって仲間にいれてもらおう』ってスタンスは間違いじゃない?

って前々から思ってて。そこんとこ言語化してみました。

『アセンションするために善人であろう、徳をつもう、他者のために生き奉仕し、欲望を捨てて利他的であれェ〜!』みたいな『キャラ視点バリバリスピリチュアル』はもういい加減卒業していい時代と思います🤷‍♀️

現時点でもVR、AI生成の高度な3Dモデリング、アンリアルエンジンとかあるわけで。人類が究極の没入度を望めば『プレーヤーであることを一時的に忘却する機能の付いたゲーム』まで発展するのは自然な流れと思う

医療がめちゃくちゃ発達して『実質不死身』ってレベルになったら、死ぬよりも『生きることに飽きる=絶望する』方が重い問題になるだろうし

記事が長くなってしまいましたが。。。

プレーヤー&プログラマーの『今のお気持ち』は計り知れないんだから、あんまそこ気にしてもしょーがない。我々キャラにはわかりゃしないんです。

今を楽しんだもん勝ち!!

瞑想をするとプレーヤー(ハイヤーセルフ)視点が得られるといいますけど私はまだ成功してないです

ネドじゅんさんとか、左脳過剰から右脳優位にできると『本体さん』と繋がるといっていますが、本体さん=プレーヤーだろうなと思います

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