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【天然】メロディーやリズム重視の『曲派』ではなく、僕は完全に『歌詞派』の人間で、ちなみに妻は、『印象派』かもしれない

妻のゆかりちゃんは、よく歌う。
しょっちゅう歌う。
いつも歌う。

そして、それはいつも、ワンフレーズだけ。

「レディゴ~♪
 レディゴ~~~♪
 ・・・、・・・」


(英語の歌詞が分からないんだなぁ~)と、僕には分かります。
しかし、もし、マンションの廊下をたまたま通りかかった人がいたならば、歌がいきなりブツ切れに終わって、膝が「かっくん」となっちゃうかもしれません。

「そこで終わるんかいっ!」

というツッコミが入るかもしれない……。

実際、僕の肘が「かっくん」とダイニングテーブルからズリ落ちてしまいました。


当のゆかりちゃんは、そんな小さなことなど気にしません。

「ありの~♪ 
 ままの~~~♪ 
 姿んん~んん・・・」


(日本語でも、歌詞がわからないんだなぁ)と、僕には分かります。
危うく、「日本語でも分からんのかいっ!」と、この僕がツッコミを入れそうになりました。


僕は【歌詞派】です。

僕の友だちには【曲派】の人がいます。
曲派にとっては、歌詞とは些末さまつなモノなのだそうです。
「曲(メロディーやリズム)の邪魔をしない」ということのみが、重要なのだそうです。

僕は、歌詞派だからこそ、歌詞の続きが自然に脳内で歌われています。
だから、ブツ切りされると、メッチャ気になるんですよねぇ~。

ゆかりちゃんは、というと、ひょっとしたら、歌ってたことさえ覚えていないかもしれません。


眠る直前です。
ゆかりちゃんは、ベッドの中で突然に歌い出しました。

「いつも♪ いっしょに~♪
 い~たか~った~♪ ・・・」

ゆかりちゃんは、iPhoneで動画を観ています。
続きを歌う気配はありません。

僕は、思い切って言ってみました。
ある仮説が浮かんでいたのです。

「ゆかりちゃんって、歌詞見ないで歌える曲、ある?」

「ん?
 あはははははは~~~!」


ウケました。
ということは、ゆかりちゃんにも歌詞が続かない自覚があったみたいです。


「1番だけでイイんだけど、ある? ないんじゃない?」

「そんなことないよ~、
 歌える曲、あるよ~」

と、笑いながら反論するゆかりちゃん。


「M!」

「さっき歌えなかったじゃん」


「にゃはは~、聞いてたの~?
 じゃあねぇ~、
 糸!
 いくよ~!
 な~ぜ~♪ 巡り会うのかを~♪
 私たちは~♪ んふふ~♪ 知~らない~♪」

「ぶぶー。『んふふ~』じゃないよ~」


「ははは~、おかしいなぁ~、
 そだっ! ひこうき雲だ!
 行くよ~!
 んんん~♪ 坂道が~♪」

「え~っ⁈ いきなり~~~⁈」


「にゃはははは~、
 おかしいなぁ~」

「これは、やはり、歌詞を見ないで歌える曲って、なさそうだなぁ」


さんざんチャレンジして、
ゆかりちゃんは、やっとワンコーラス、歌詞を見ずに歌い切りました。

それは、『カエルの歌』でした。(童謡かよ!)


僕は、そんなゆかりちゃんが大好きです。





チャオ!


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第1153話です
※この記事は、過去記事の書き直しです


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