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【ぷち伝記】日本初の女性総理を支える名参謀(佐々木浩喜氏の『心』にFOCUS)

佐々木 浩喜(ささき こうき)氏に、FOCUSする。


◆概要

・略歴
⋄佐々木 浩喜(ささき こうき)(仮名)
⋄現在、某オンライン通信制高校、キャンパス長
⋄兼、某オンラインフリースクール、代表理事
(2024年現在、代表取締役社長に就任している)


・佐々木浩喜氏と筆者の出会い
佐々木浩喜氏と筆者の出会いは、今から20年以上前になる。

当時筆者は、高校生対象の大学受験対策機関、平たく言えば『塾』のようなものの、生徒募集を行なう営業会社のエリアマネージャーだった。

会社名は、株式会社NP。
佐々木氏は、NP湘南事業部の求人広告を見て入社した。

「君は高校生の人気者になれるか⁉」というキャッチコピーを使い、
業種も【営業】とはせず【カウンセラー】と表現。
同時に「月収100万円以上可能!」という強烈なコピーも使用。
今思うと怪しさMAXの求人広告だ。

当時、NPの門を叩く人物は、そのほとんどが、
①「月収100万円以上可能!」に興味を持つタイプ
②「高校生の人気者」「カウンセラー」に興味を持つタイプ

の、どちらかだった。

佐々木氏は、明確に、②のタイプだった。
そのころは、徐々に②のタイプが増えつつある、そんな時代だった。


・そのときの会社の特徴
「合掌黙想!」
という掛け声で朝礼が始まる。
宗教からの転用のようで、当時の本部長の指示。それが社風でもあった。

オフィスには、『信賞必罰』『目標必達』など、営業会社らしいスローガンのポスターが、所狭しと貼られている。
年に2度、社内コンテスト(売上実績コンテスト)があり、アドラー心理学でいうところの、『勝ち負け』『上下』『優劣』『賞罰教育』などという、そちら側の世界観一色だった。

社会保険完備としながら、経費節約のために社会保険には加入させない。
健康診断もない。
固定給も、ノルマ未達成者にはペナルティがあり減額される。
事実上は、歩合給のみと言えなくもない。(本当に保証されている固定月収は10万円だった)

しかし、月収100万円以上の社員がゴロゴロいるのも、また事実だった。

「厳しさ」という名のもとに「パワハラ」が許される、いや、むしろ推奨される社風だった。

当時は、「パワハラ」「セクハラ」というフレーズが、この世になかったのか、まだまだ浸透していなかった時代。
もちろん、「ブラック企業」などという言葉もなかった。

13時から21時までの勤務時間だったが、3時間も4時間も、強制で早出させたし、残業も当たり前。
強制での休日出勤も、当たり前だった。

今で言う「ブラック企業」だったのは言い訳不可能。事実だった。
ブラック企業だが、当時、業績は絶好調で、年商100億円以上だった。


・当時の佐々木氏の人となり
20代前半の好青年。
身長は170㎝の筆者より少し低く、同じようなやせ型。

顔はイケメン。スピッツの草野マサムネさんに少し似ている。
その骨格ゆえか、歌が上手い。高いキーがどこまでも出るタイプで、女性ボーカルの曲を原曲キーで歌いこなす。

NPには、営業マンになって稼ぎたくて来たわけではなく、
「カウンセラーって、面白そうだなぁ」
というのが動機だったと、佐々木氏はインタビューで教えてくれた。
つまり純粋で、世間知らずでもあったのだ。

月収100万円に釣られてきたタイプではなく、「高校生の人気者」や「カウンセラー」というワードに釣られたタイプなので、営業成績は、可もなく不可もなく、どちらかといえば不可の方だった。

また、特筆すべき特徴は、居酒屋なのでの飲み会のときに、
「みんな!最初は生でイイよね~?」という上司の掛け声に、ただ1人、
「あ、僕は、カシスウーロンでお願いします」という、マイペース発言ができる新人だった。

不思議なことに、それが空気を壊したり、上司の逆鱗に触れることは一切なかった。
マイペースが許される、そんな雰囲気をまとっていた。

佐々木氏の物言いは、冷静でやわらかい。

「冷静」だけだと、カチンと、癇に障る上司もいるだろう。
でも、冷静さに付随しがちの「冷たさ」が、微塵もない。

それが、佐々木氏の特徴だった。

この雰囲気は、今も尚、健在だ。

今の若者なら珍しくないのだろうが、20年以上も前の当時、しかも体育会系の上下関係に厳しいブラック企業で、最初の1杯の生ビールをカシスウーロンにできた新人は、佐々木氏が【歴史上初】だったに違いない。


・ブラック企業に入った、佐々木氏の感想
海千山千の猛者ばかりがウジャウジャいるような環境に、純粋な好青年が、なじむか。
筆者は、なじめないだろうと心配した。

今回、インタビューでこのことを聞くと、佐々木氏からは意外なコメントが発せられた。

「まったくもって、嫌な環境じゃなかったんです」
「居酒屋での会話まで、100%、仕事の話しかしない」
「みんな本気」
「そんな大人を、初めて見たんです」
「だから、逆に、そのような環境が心地良かったですね~」

佐々木氏のこのコメントは、筆者の予想外だった。
しかし、長時間のインタビューを終えると、それも納得した。

佐々木浩喜氏は、筆者の想像を超える、深い精神の持ち主だった。


・営業マンから生徒フォロースタッフへ
筆者は佐々木氏を、営業マンから生徒フォロースタッフへと変更した。

生徒フォロースタッフのことをNPでは「カスタマー」と呼んだ。
「お客様担当スタッフ」という意味が短縮され、「お客様」と呼んでいるのだから、おかしなネーミングだが、この「カスタマー」という呼び名が定着してしまった。

そのカスタマーは、それまで、
「営業成績が振るわない」
「でも、コミュニケーション能力は悪くない」
「そして、若い女性スタッフ」
という、暗黙の選考基準で、採用され続けてきた。

今後ますます重要になる「カスタマー部門」を強化したい。
キチンと組織化して、「営業部門」と同等の地位にしたい。
そんな未来を構想した。

そうすべき時代だった。

ただ、この人事は、『都落ち』や『左遷』のような誤解を、佐々木氏に与えかねない。
佐々木氏が、そう思ってしまう懸念があったし、周りの営業マンは、確実にそう思い、カスタマーとなった佐々木氏を見下すだろう。

【若い女子スタッフにアルバイト的に生徒フォローをさせている】
という現状を、本気で変える。

その第1歩が、佐々木氏をカスタマーとすることだった。

「カスタマー」を、『重要なポジション』と、全スタッフに周知した。
そして、佐々木氏には、そのポジションで能力を発揮し、輝いてもらう必要があった。

【営業マンたちに、一目置かれる存在】

そうなれるポテンシャルを持つ人材が、佐々木氏だった。


・佐々木氏の、当時の気持ち
カスタマーへの人事異動を命じられ、どんな気持ちになったのかを質問した。

「奈星さんの記憶違いが、少しあると思います」
「生徒フォローを強化するため、カスタマー希望者を募ったのですが…」
「それに対して、僕が、自ら手を挙げたのです」
「しかし、一旦、却下されました」
「後日『やっぱり、やってくれないか』と、言われたのです」
「なので、『都落ち』や『左遷』という感覚は、全くありませんでした」
「100%『ありがとうございます!』、という気持ちだけでした」

続けて、
カスタマーになってすぐの、気持ちを質問した。

「正直、営業活動をしなくて良いので、数字に追われなくなり、精神的にすごく楽になりました」
「よし! これから全く別の役割だ。理想の組織作りに貢献するぞ!」
「という、爛々と燃えに燃えていました」

最後に、
カスタマーをしばらくやってみて、気持ちはどう変化したのかを質問した。

「もう、楽しくて仕方なかったです」
「水を得た魚でした」
「理想に向けてのプロジェクトに、毎日、燃えていました」
「そう。・・・『天職』だと、思いましたねぇ~」


・心(心理、思考、信念etc.)にFOCUS
今回の佐々木氏の『ぷち伝記』は、出来事ではなく、佐々木氏の、

心(心理、思考、信念etc.)に、FOCUSする。


とはいっても、一切の経緯や事象に触れることなく、佐々木氏の を語ることは不可能だ。

経緯や事象を説明しつつ、佐々木氏の、その深い精神の言語化に挑もうと思う。


◆日本初の女性総理を支える名参謀

当初僕は、さんざん悩み、「出世欲なくして出世する理由」というサブタイトルを付けて、記事を書き始めた。

佐々木氏は、今後出世する人物像のド真ん中を歩んだと、そう思ったから。

これまでの、出世するタイプではない。
「今後出世するタイプ」なのだ。
20代の若者は、佐々木氏を真似ると良い。

佐々木氏は、新たな「出世するタイプ」の先駆けで、今後はこのタイプがスタンダードになるだろう。

だから、この記事は「ビジネス書」にもなり得ると思って書いた。
出世したい若者が読むと、間違いなく、もの凄く勉強になる。

ただ、本当に伝えたいことは別にある。

この『ぷち伝記』のテーマは、総理大臣になりたい方へのメッセージなのだ。

総理大臣になりたいと思う方は、佐々木浩喜氏を参謀にすべきだ。
筆頭秘書に据えるべきだ。

特に、女性政治家に訴えたい。

「あなたは、日本初の女性総理大臣になりたいとお考えか?」
「もし、この問いに、答えが『イエス』ならば、躊躇することなく、佐々木浩喜氏にコンタクトをとるべきだ」

佐々木浩喜氏の天職は、

この日本(世界)を変えること。
その、女性リーダーを支えること。

長時間のインタビューを終えて、この思いは確信になった。

だから実は、投稿時のサブタイトル ~出世欲なくして出世する理由~ は、
最初から書き変えるつもりだった。

最終話までを書き終えて、満を持して、このサブタイトル変更した。

日本初の女性総理を支える名参謀

最後まで読んでいただければ、この、変更後のサブタイトルに納得いただけると思っている。


◆筆者との離別、筆者の想像力不足

筆者は、独立し起業するためNPを辞めた。
佐々木氏をスカウトしたが、断られた。

実は筆者は、断られてホッとした。

理由は2つあった。
資金不足ゆえに、先々の収入を保証できなかったことと、
すでに佐々木氏が、NPには無くてはならない存在になりつつあったからだ。

結局筆者は、独立し会社登記の寸前で、倒産した。
正確には、登記していないのだから「倒産」ではないが、しかし事実上は倒産以外の何ものでもない。
わずか数ヶ月で資金が尽きた。

この時佐々木氏が、筆者のスカウトを断った理由を、今回のインタビューで明確にしようとは思わなかった。

「宵越しの銭は持たない」というタイプの筆者に、上司としての才能は認めても、経営者としての才能には疑問を抱いたのではないか?
筆者は、そう想像していたからだ。

今回のインタビューで、1つ、明らかになったのは、当初佐々木氏は、筆者の独立に追従する気でいたということ。

「会社にもそう伝えて、のちに撤回したのです」


当時の筆者は、想像力が足らなかった。

この後の佐々木氏は、窮地に追い込まれる。そしてそれは、少し考えれば分かることだった。筆者は、対策しておくということを怠った。

怠ったというより、思いもしなかった。


◆窮地を理解するための前提

「その1」で書いたが、NPは、社内での競争を限界まであおり、人間の承認欲求を「これでもか!」と刺激し利用する社風だった。

成績上位のマネージャーは、成績下位のマネージャーに「ダメ出し」や「説教」や「アドバイス」を経営陣から命じられる。
これが少し、実は、気持ち良かったりする。

当然だが、成績下位のマネージャーは屈辱を憶える。
その「こんちくしょーパワー」を、大いに利用する文化だった。

売上実績は、A4用紙に毎日更新され、全30数支社にFAX送信され、この速報は「ブリテン」と呼ばれた。

毎日競走、毎週競走、毎月競走、毎年競走。「会議」とは名ばかりで、その実情は「売上報告会」。そんな会議がのべつ行われて、成績上位者は褒め称えられ、成績下位者は罵倒され、人格否定までされる。

そのNPで、筆者は、エリアマネージャー部門9連覇中。
その勢いが、衰えたわけでもないのに退職。

「目の上のたん瘤」と思っていた者が、心の中で拍手喝采を上げることは、容易に想像がつく。


・佐々木氏は、筆者の「子分」
佐々木氏は、自他ともに認める筆者の「子分」だった。
背格好も似ていて、ともにメガネをかけているから、ときに佐々木氏は、「小奈星(こなせ)」と呼ばれたりもした。

売上実績9連覇中の組織』のカスタマー、だった佐々木氏は、
筆者が退職したあとは、
たくさんいるカスタマースタッフの1人、と変化してしまっただろう。

もともと営業マン、ましてや営業マネージャーには、カスタマースタッフは見下されているポジション。
「売れないから、カスタマーなんだろ」という見方を、あえてする、そんな営業マネージャーばかりだった。

95%の営業マネージャー、99%の営業マンが、そういう見方をしていただろう。

そのような社風の中、
「9連覇中のエリアマネージャーが、『生徒フォローが大事』と言っているのだから…」
と、半ば強引に、納得させてきた。

いや、みんな納得などしていなかったハズだ。
売上という数字があるから、反論でず、ただ口をつぐんでいただけだ。

納得させたのではなく、発言を押さえつけていただけだ。

事実、生徒フォローは大事なのだが、
生徒フォローをすることが売上アップになると確信している者や、
売上アップにどう繋がるのかを、正しく理解している者は、
約100人近くいた営業マネージャーの中で、おそらく、2~3人しかいなかったのではないか。

そして、「生徒フォローが大事」と言う幹部が、社内から消えた。

佐々木氏の上から消えて、いなくなったのだ。

佐々木氏の発言権は、一気に奪われただろう。
発言力が、一気に無くなっただろう。


・トップの逆鱗は『裏切り』
説明するまでもないが、誰にでも【逆鱗】がある。

逆鱗(げきりん)とは、伝説上の神獣である「龍」の81枚の鱗(うろこ)のうち、あごの下にあって1枚だけ逆さに生えているとされる鱗のこと。
「龍」は、元来人間に危害を与えることはないが、喉元の「逆鱗」に触れられることを非常に嫌うため、これに触られた場合には激昂し、触れた者を即座に殺すとされた。このため「逆鱗」は、触れてはならないものを表現する言葉となり、帝王の激怒を呼ぶような行為を指して「逆鱗に嬰(ふ)れる」と比喩表現された。 引用:ウィキペディア


株式会社NPのオーナー社長の逆鱗は、『裏切り』だった。
裏切られた過去があり、常々「裏切り者は決して許さない」と明言していた。

ウソのような本当のエピソードがある。

かつてのプロレス界には、力道山というカリスマが存在した。
力道山の弟子に、ジャイアント馬場とアントニオ猪木がいた。

オーナー社長は、
「ジャイアント馬場が力道山の組織を守り、アントニオ猪木は裏切った」
と定義し、アントニオ猪木のファンを否定し、忌み嫌った。

猪木ファンの採用を、本気で許さなかった。

各支社の現場では、面接時にいちいち「猪木ファンか?」などとチェックはしない。
だから、ときには、猪木ファンが入社していたりする。
これは当然だが、その者が入社して、しばらくしてから判明する。

判明した場合は、その者に上記の経緯を説明し、「社長の前では絶対に口を滑らすな」とキツク言い聞かせる。
が、・・・ある社員が口を滑らせた。
結果は、その場で、即、首を宣告された。筆者もメチャクチャ怒られた。

なんとか解雇は、勘弁していただけたが、その者の昇進の可能性は0%になった。


・筆者が、円満退職後、逆鱗に触れる
ここでは主旨から外れすぎるので割愛するが、筆者は、NPのオーナー社長の『逆鱗』に触れた。

これは筆者が100%悪かった。逆鱗と知っていながら、その逆鱗に触れた。
だから、筆者が『裏切り者』とされるのは致し方ない。

ただ、筆者の「子分」と見られていた佐々木氏に、それが無害だったとは思えない。
少なくとも、「裏切り者の子分」とか、「その裏切り者に、一度ついて行こうとしたヤツ」というレッテルを貼られただろう。

今回のインタビューで、佐々木氏が、このように語った訳ではない。
筆者には伝えにくいことだし、また佐々木氏は、このようなことを、気にしないように努めたと思われる。

佐々木氏は、『7つの習慣』でいう「影響の輪に集中する」タイプなのだ。
アドラー心理学でいう「課題の分離」を自然に行なうタイプだ。


◆佐々木氏が語った「ピンチ」

佐々木氏は、
「急に風当たらりが強くなりましたねぇ」
「発言権が、無くなった感じですかねぇ」

とだけコメントしている。

このコメントも、次のことを語るために、やむを得ず語った感じだ。

詳しく語らなかったからこそ、なかなかな迫害を受けたのだろうと、筆者は推理るす。

話を整理すると、
「目の上のたん瘤」がいなくなったと小躍りする営業マネージャー、
「カスタマースタッフの1人」と、あえてそう見る営業マネージャー、
「売れないからカスタマーなんだろ」と定義する営業マネージャー、
「社長の『裏切り者』の子分だった」と定義する営業マネージャー、

四方から、「楚」の歌しか聞こえない。

きっと、佐々木氏は、ここまで追い詰められていたのだろう。


・一言で、ピンチがチャンスに変わった
佐々木氏の、この当時のピンチを、1人の男の、「一言」が救った。

まず、その男から紹介する。
営業成績で筆者のライバルだった、藤井氏だ。

藤井氏の組織は、完全に『攻め』の組織。
売上実績を作ることにおいては、抜群の結果を出し続けていた。
ただ、生徒フォローという『守り』に、力を注いではいなかった。

筆者とは、龍虎のような関係だ。
ただ、お互いに認め合っていたと思う。仲良く語ったりしたことはないが、互いに一目を置いていたはずだ。

藤井氏は、売上実績もモチロンだが、その発言力が凄かった。
説得力が突き抜けていた。
理論的な話術とは対照的な、短く、鋭く、本質を突き、感情を揺さぶる発言をした。
脳に訴えるのではなく、「胸」や「肚」に訴えるタイプ。

オーナー社長は、このような『感性』に訴えるプレゼンが、大のお気に入り。

そして、藤井氏の持つ説得力は、決して『話術』といった表面的なモノではなかった。
テクニックではないのだ。
藤井氏の『生き様』のようなものが、聞き手に伝わり、刺さった。胸に響いた。


その藤井氏が、佐々木氏に頭を下げた。
「ウチの部下たちに、生徒フォローを教えて欲しい」と、本社の許可を得て正規に、かつ、真剣に依頼したのだ。

藤井氏は、自らも、佐々木氏の研修を受講した。
佐々木氏の【本物】を理解した藤井氏は、本社でのマネージャー会議で、こう発言した。

「生徒フォローは、全国全ての支社が、佐々木君から学ぶべき」
「私の組織はそうする」
「社長! 佐々木君をカスタマーのトップにすべきです!

「全支社のカスタマーを、全員、佐々木君の部下とするべきです!」

このように、オーナー社長の前で言い切った。

この一言で、佐々木氏の頭上を覆っていた黒く分厚い煙が、一気に晴れた。(ここで、「四言じゃないか」というご指摘は、ご容赦願いたい)

「これ以降、ハッキリと風向きが変わりました」

佐々木氏は、そう語った。


・1万件のクレーム調査依頼書
会社の、守備部門のトップに、佐々木氏は据えられた。

それは同時に、全支社の、すべてのクレームに対応することでもあった。

生徒フォローをしていない支社。
契約が取りたいがために、オーバートークが常態化している支社。
クレームから、逃げて逃げて逃げ回る、そんな支社の責任者。

それら『加害者』を、許す気のない『被害者』。
被害者は高校生。そして、その保護者。

その時点でのクレーム件数が、なんと、1万件以上。

各支社のカスタマースタッフが対応しなければならず、
佐々木氏は、そのカスタマースタッフを育てなければならない。

佐々木氏は、
「クレーム調査依頼書、1万件以上を全て読みました」
「現状を把握したかったのです」

と、当時を語った。


クレーム対応を行なった経験のある方なら、想像できるのではないだろうか?

罵声は当たり前。
意地の悪い「理詰め」も、あっただろう。
泣き喚く、泣き崩れる、というケースもある。
怒りなどの【負の感情】を、遠慮なくぶつけられる。

それを、「信じられないくらい大量」に、浴びたのだ。

正当な、苦情。
もっともな、怒り。
もっともな、悲しみ。
こちらは、自分の『心の芯』にダイレクトなダメージを与える。

クレーム対応は、たった1件でもドット疲れる。
体力も精神力も疲弊する。

いくら佐々木氏が優秀でも、『クレーム対応』の嵐に、その精神が持つとは思えない。

「クレームに対応しよう」とか、「クレームを片付けよう」などという、そんなマインドではなかったはずだ。

それは一体、どんなマインドなのか?

それは一体、どれほどの精神力なのか?

筆者はインタビュー中、そのように探りながら、佐々木氏の言葉に耳を傾けた。

筆者の結論はこうだ。

佐々木氏は、うそ偽りなく、100%、保護者や生徒の、

理解に努めた。

決めつけることなく、型に分類することなく、解決しようと目論むことなく、自分の主観を混ぜることなく、

過不足なく、正確に、

ただ、理解することに全力を投じた。


保護者や生徒を、
評価することなく、裁くことなく、なだめたり説得することなく、

真摯に、ただ理解に徹した。


こう考えない限り、佐々木氏が精神を病んでいないことを、合理的には説明できない。


・心理学、コーチング、そしてカウンセリング
必要にも迫られたのだろう。
そして、興味関心もあったのだろう。

佐々木氏は自然に、心理学やコーチング、そして、カウンセリングを学びだす。


今、筆者は苦笑いしている。

【営業マン募集】では反響が小さいからと、【カウンセラー募集】とした、NPの求人広告。

佐々木氏には、「インチキ広告」ではなかったのだ。

実際は、インチキ求人広告だったのだが。


◆情報共有

・共有①
株式会社NPの販売する商品は、たった1つだった。
株式会社成雄の『大学受験必勝ゼミ』、たった1つだったのだ。

成雄はメーカーで、NPは販売会社。

商品の『大学受験必勝ゼミ』は、大学受験用の自宅用学習教材セット
物は、テキストと講義CD。
それに、「役務(えきむ)」というサービスがついた。

役務のメインディッシュは、「プロ講師による個別指導」
NPの支社数と、ほぼ同数の教室を運営していた。

他にも、電話質問、FAX質問が無制限。
コンピューターを駆使した学習プラン作成。
通信添削指導。
模擬試験。
自習室。
などが、役務の内容だ。

株式会社NPは、その教材(システム)を「売る」ことのみが、本来の業務。
受講生募集だけが仕事で、他は、すべて成雄の仕事

だが、現実は、成雄の教務陣に任せると、クレームが発生する。

NPは、売上が欲しく、「役務がメインのセールストーク」を基本マニュアルとしていた。
対して、成雄の教務陣は、「自宅学習がメインで、役務は役務にすぎない」というスタンス。

お互いがお互いを非難し合っていたような関係。

それに加えて、NPの営業本部長は、
「必ず受かります!と、言い切ってこい!」
「それが売れるトークだ!」
「それが、原則であり、基本だ!」
「選抜コースの『面接審査』だと言うんだ!」
「それが、センスというものだ!」
「高校入学時の学力が、平均以上だったので選抜コースに選ばれましたと、そう言ってアポを取るのだ!」

と、旧石器時代のインチキ手法を命令する。

営業本部長から距離のある支社は、独自の営業スタイルを模索できたが、大阪本部に近い支社は、その詐欺まがいのセールストークを、使わざるを得ない。

使わないと罵倒されるのだ。


・共有②
当初は、苦情があっても、解約や返金に応じる「法的義務」が、無かった

「騙された!」と憤る顧客も、相談する『消費者センター』からは、
「契約する際は、説明ではなく、契約書をちゃんと確認しましょう」
と、逆に、たしなめられた。

もちろん、セールストークが悪質すぎたりしたなら、
「返金に応じるべきではないですか」
と、販売会社に迫る正義感の強い担当者も、少数はいた。

そして、時代が進み、法律が改正された。

指定6業種の、売り切り(売りっぱなし)を認めない法律に変わったのだ。

特定継続的役務提供(とくていけいぞくてきえきむていきょう)とは、「特定商取引に関する法律」(特定商取引法)第41条で定義される、次の各役務の提供、又はその役務の提供を受ける権利を販売することをいう。
対象となる役務
「エステティック」で期間が1か月を超えて、料金が5万円を超えるもの
「語学教育」で期間が2か月を超えて、金額が5万円を超えるもの
「学習塾等」で期間が2か月を超えて、金額が5万円を超えるもの
「家庭教師等」で期間が2か月を超えて、金額が5万円を超えるもの
「パソコン教室等」で期間が2か月を超えて、金額が5万円を超えるもの
「結婚情報提供」で期間が2か月を超えて、金額が5万円を超えるもの

このような役務は、その性質上、受けてみないと効果がわからないものであり、実際に受けてみたところ効果が思わしくなく中途解約を行ないたくなることが少なからずある。 ところが中途解約をめぐり、中途解約が認められない、高額な違約金を請求されるといったトラブルが多発し、このため「訪問販売法等に関する法律」(現「特定商取引に関する法律」)及び「割賦販売法」が改正されるに至った(1999年10月22日施行)。この改正により、政令指定の役務に関して「特定継続的役務提供」という商取引概念が導入され、クーリングオフ権の付与、割賦販売法における抗弁の対抗などが定められた。このときは「エステティック」、「語学教育」、「学習塾等」、「家庭教師等」が政令指定された。
引用:ウィキペディア

平たく言うと、クーリングオフ制度の8日間を過ぎていようが、

解約に応じなければならない

という、法改正だ。


・共有③
この法改正と、ほぼ同時期に、世間に『2ちゃんねる』というものが現れた。

インターネット黎明期だから、NPや成雄などで検索したなら、トップページに、2ちゃんねるのサイトがヒットした。

匿名の掲示板だから、自由に書き込みができる。
「詐欺だ」「騙された」「金返せ」「返金された」「契約するな」「ウソばかり」などなど、誹謗中傷、罵詈雑言のオンパレード。

2ちゃんねるの風評被害を、モロに受けるようになった。

「風評被害」と書いたが、多くの組織は、ほぼほぼ「事実がバレた被害」であって、本当に風評被害だったのは、生徒フォローに取り組み、インチキセールストークを禁じていた、ごく一部の支社だけだ。


前提を整理する。

⋄売りっぱなしや、売り逃げが「法的に通用した」時代があった
⋄法改正で、その時代は終わった
⋄解約に応じるので、会社の売上も減り、営業マンの歩合給も減った
⋄2ちゃんねるの影響で、契約取得が困難になり売上が激減した


では、今日の記事のメインを書く。


◆メーカーの倒産

見出しのとおり、メーカーの成雄が、経営破綻し倒産した。

売上減、解約による返金、ゆえの経営破綻ではない。
「リーマンショックが原因」というウワサだった。筆者は、このウワサは正しいのではないかと思っている。

NPの売上が最も良かったときは、130億円くらいの年商だった。
不確定情報ではあるが、成雄とNPの取り分は、50:50。
成雄は、営業努力ゼロで、毎月5億円の収入があった訳だ。

投資、資産運用、という名の、ギャンブルを行なっていたのだろう。
破綻したのだから、「ギャンブル」とのそしりを受けても致し方なし。

被害者は、大学受験を控えた高校生だ。
そして、その保護者。

家庭の空気が悪くなるのだから、兄弟姉妹も、祖父母も、
家族全員が、被害者だ。


・法的解釈
筆者は、法律知識が豊富な訳ではない。
ここでは、「ザックリ、あっているだろう」という解説をする。

メーカーが破綻した。
これに対し、株式会社NPには、法的な責任はない。

大学受験を目指す受講生は、約束の役務、個別指導や電話質問などが、受けられなくなった。
「解約」ならば、経過月数に応じた「返金」があった。
しかし、経営破綻なので、「返金」がない。

成雄には、返金するお金がないし、NPには、返金する「法的義務」がない。

くり返す。
NPには、返金に応じる法的義務はない。
もし、NPが追求されるのならば、それは、「道義的責任」だけだ。


・NPの選択
これまで、NPの「売上至上主義」を赤裸々に書いてきたので、NPの選択が、大体は予想できるハズだ。

NPの選択は、
「成雄に代わって、可能な限りの『代替役務』を、NPが、自費で行なう」

というものだった。

佐々木氏へのインタビューで、この詳細を初めて知り、筆者は我が耳を疑った。座っている椅子から転げ落ちそうになった。

「ごめんなさい」、で、済むのだ。

なんなら、その「ごめんなさい」さえ、逃げたって良いのだ。

なのに、NPが、逃げずに、できる限りのことを行なう? 自費で?


この疑問に佐々木氏は、
「顧問弁護士の先生から聞いたのですが、渡辺部長が、主張したそうです」
「経営陣の会議で」
「渡辺部長の主張で、『代替役務をやろう』と、社長が決断したそうです」
「顧問弁護士の先生も、『予想と、真逆の結論でした』と言ってました」

と語った。

この、メーカー倒産の2~3年前に、旧石器時代のセールストークを強要していた鬼の営業本部長は、NPを辞めていた。
会社への背任行為があったらしい。

そして、ナンバー4の位置にいた渡辺部長が、ナンバー3になった。
トップの社長とナンバー2の副社長は、本社業務で、現場にはノータッチ。

経営陣の会議で、唯一、現場を知る渡辺部長。

深い考えがあって、全責任を負う覚悟を持って、決断し、発言したのだろう。

この結果、株式会社NPは、無償で最長約3年間、受講生のアフターフォローを行なう。
高校3年生だけなら、1年間弱だが、高校1年生の受講生もいたからだ。
ソロバンをはじくまでもなく、その経費が膨大なのは、火を見るよりも明らか。

この英断を、あえて行なうと決めた渡辺部長体制ならば、会社は生まれ変わるかもしれない。

とにもかくにも、株式会社NPは、それまでの「NP」という社名を捨て、
成雄の、取り残された教務陣も引き受けて、可能な限りの代替役務を行なう。

その、代替役務の中心人物が、佐々木氏だったのは言うまでもない。


・まるで小噺(こばなし)
消費者センターのもっと上に、国民生活センターという組織があるらしい。その、国民生活センターの担当者が、

「NPさん。今度は一体、なにを企んでいるのですか?」

と、質問したらしい。

これまで国民生活センターに寄せられた、NPの苦情。その量と質を把握している担当者は、NPが「無償で代替役務を行なう」という言葉を、そのままは信じなかった。

そのように善人ぶって、で、何を売りつける気ですか?
という、ある意味、「決めつけ」や、明白な「警戒」を、隠すことなく見せる。

NPが道義的責任を負う? バカな? 信じるか! というリアクションだ。

筆者は、この、国民生活センターの担当者に、座布団を3枚差し上げたい。


◆債権者集会

・債権者集会の概要
債権者集会が行われた。
破綻した成雄の経営陣は、誰一人、出席しない。おそらくは身の危険を感じ、どこかに雲隠れしたのだろう。

債権者への説明担当者は、佐々木氏である。
あえて説明を加えるが、本来なら、佐々木氏などNPの人間は、説明を聞く側の人間だ。(法的にはNPも成雄の被害者)

佐々木氏の脇には、副社長と弁護士が同席した。

債権者集会というものが、よく分からない筆者は、Google検索し、「裁判所で行なった」というサイトを見つけた。

そのことを佐々木氏に質問すると、「通常はわからないのですが」と前置きして、
佐々木氏は自身の体験を、淡々と説明してくれた。

「成雄の事件、・・・弁護士は「事件」と表現するのですが」
「債権者の数が多すぎるので、大阪と東京の2ヶ所で行ないました」
「それぞれ、別の日で、僕は両方に出席しました」
「裁判所ではなく、ミュージカルとかをやるような大きなホールです」
「県民センターのような施設です」
「債権者は、受講生数だけで8000人。そして、その他関連業者など」
「参加者数は、数百人規模で、東京の方が圧倒的に多かったです」
「弁護士は、日本で4番目に大きい規模の事件だって言ってましたね」
「成雄の顧問弁護士のレベルでは、対応不可能ということでした」
「結果的には、関西最大の弁護士事務所が担当したのです」

さらに佐々木氏は、

「何度か、その法律事務所に行ったのですが、もう本当にびっくりするくらいの規模で、ドラマのワンシーンに加わった感がありました」

と、余裕の発言もする。

そんな訳ない。
債権者集会が、穏やかに終わったなんて、到底考えられない。


・債権者集会のリアル
普通なら、非日常の体験は、熱く語りたくなる。
それが、相当な困難をともなっていれば、なおさら熱弁になる。

ところが佐々木氏は、一向に熱くならない。

筆者は、債権者集会の臨場感が知りたい。

「あ、罵声を浴びました」
「囲まれもしました」
「罵詈雑言も、もちろんありました」

ドラマティックな描写とは言えない。

「え~っと、あ、やはり、国民生活センターの人と同じで『NPが代替役務を行ないます』って言ったら、『今度は何を売る気だ』って、言われました」


あまりにも涼しいコメントが続くので、「そもそも、債権者集会なんて、行きたくなかったよね?」と、質問を変えてみた。


「それがですね~、そうでもなかったんですよ~」
「不謹慎かもしれませんが、当時の僕は、『会社を代表して話す』という任務を命じられて、少し、・・・いや、かなり、誇りに感じていたのです」

オンラインでインタビューしていたので、通信の不具合が発生したかと思った。

誇り・・・?

佐々木氏には言えなかったが、筆者には、損な役割を押しつけられたとしか思えない。

「保護者への説明を、保護者の気持ちにキチンと寄り添って、保護者の感情を正しく理解した上で、ちゃんとできるのって、『僕が一番の適任だなあ』という、そういう判断も、ありました」

佐々木氏のこの言葉で、腑に落ちた。

その通りだ。
佐々木氏以外が説明したなら、たとえ誰が説明したとしても、火に油を注ぐことになったのは、間違いない。


・分社化し、多角経営へ
株式会社NPは消滅した。
新たに、2つ、会社を作った。
1つは、役務の一切ない、学習教材(成雄とは無関係)を販売する会社。

もう一つは、佐々木氏を責任者とした、代替役務を行なう会社。
つまり、生徒フォロー専門の会社だ。

経営陣は、1つの商品しかなかったことを後悔し、その反動で、どんどん多角経営を進める。

佐々木氏にも、「何か、企画を出すように」と声がかかり、『オンライン予備校』がスタートする。
営業マンなし。
生徒募集も、指導も、フォローも、全てオンライン。

今では珍しくないが、当時は、オンライン予備校はなかったのではないか。
この「オンライン予備校」は、会社の稼ぎ頭となった。

更に、佐々木氏は進化する。

オンライン通信制高校(日本初)、
小中学生対象のオンラインフリースクール(日本初)、

を、スタートし、次々と成功させる。

現在は、オンライン予備校は行なっておらず、オンライン通信制高校と、オンラインフリースクールの、2つの事業部の責任者だ。

出世欲など、ほぼほぼ感じない。
見えない。
ガツガツしたところが全くない。

そんな佐々木氏が、会社を、売上でも支えて、結果的に出世している。

次回からは、そこに迫る。

ガツガツしていないのに、
そこまで出世欲などないのに、なぜ、佐々木氏は出世できたのかに。


◆精神にフォーカス

・佐々木氏の幼少期
インタビューのためのインタビューを行なっていて、佐々木氏の「精神」にフォーカスすべきと考えた。

そこで、原体験を探る質問をし、幼少期の記憶を語ってもらった。

「幼いころのことも、ハッキリと記憶があるんです」
「かなり変わっている子どもだったと思います」
「例えば、同じ年齢の子どもと遊ぶのがイヤでした」
「つまらなかったんです」
「いつも鼻水を垂らしている子とか、イヤだったし」
「鼻水垂らしてて、『なんで気がつかないの?』と不思議でした」
「なので、良く一人で遊んでいましたね」

昔は、あおっぱなを垂らした子どもが学年に1人はいたものだ。

幼児、浩喜くんは、自意識が高かったようだ。

自意識が「強い」は、
他者の視線や評価を気にしすぎること。

自意識が「高い」は、
自分を、理想の自分や、ありのままの自分と見比べ、正すこと。

引用:じょーじの、まだ深く追求し切っていない自論


「姉や、周りの大人たちは
『さしすせそ』を『さししゅしぇしょ』というと喜ぶと知っていて、なので僕は、あえて『さしゅしょ系』の言い方をしていました」
「本当は、ちゃんと、『さしすせそ』って、全部、言えたんですけどね」

具体例を思い出せないが、筆者にも思い当たる節がある。


「父がガテン系で、めっちゃカッコ良かったです」
「イケメンでした」

ただし、いつの間にか両親は離婚していて、父親とは、月に1度くらいしか会えていなかったという。
そういうものだと、思っていたらしい。


・小学校3年生
少年、浩喜くんは、小学校3年生の時に「不登校」を選択する。
行けなくなったのではない。「行かない」を、選択したのだ。

色々なことがあり、学校とクラスメイトを「不要」と定義した。

「とにかく学校が、ぜんぜん楽しくなかったんですよね」
「学校に行こうとすると、本当に頭が痛くなりましたよ」

一人遊びができるタイプなら、学校は、そこまで重要ではなかっただろう。
ガテン系の父親は、「サボりやがって」と、ガテン系らしく言ったらしい。

1ヶ月くらい経過し、
この不登校をやめて、また学校に行くようになった、その「理由」もまた、浩喜くんらしい。

「学校に行かなくなってしばらくしたら、手紙が届けられたんです」
「クラス全員からの手紙で…」
「明らかに【書かされた】手紙で、『また遊ぼう』とか、文字なのに棒読みの声が聞こえてくるみたいな…」
「まったく、ありがたくもない」
「なんなら、少し、いや、かなり気持ち悪いし…」

これは、当時の担任の先生を批判しているのではなく、友だちをバカにしているのでもなく、
少年、浩喜くんが、素直に抱いてしまった「感想」なのだ。

そして、

「僕個人の問題なのに…」
「みんなに迷惑をかけてしまった…」

とコメントが続いた。
となれば、「なんか申し訳なく感じて行く気に…」となりそうだが、

「冗談じゃない」
「本意じゃない」
「そんな、誰かに迷惑をかけているなんて、僕の本意じゃない」
「え? 僕のせいで、これを書かされたってこと?」
「そんなの、冗談じゃない」

と、少年、浩喜くんは思い、

「(そんな不名誉なそしりを受けるくらいなら)なら、行くわ…」


つまり、【佐々木節】を、すでに少年、浩喜くんは発していた。

自意識が、高いのだ。

人からどう見られるとか、そんなのは気にならない。

でも、自分が自分をどう見るのか。
自分はどうありたいのか。

それは、ちゃんと考えるのだ。

気高いのだ。

そんなことが分かるエピソードだ。


・小学校4年生
友だちのいない浩喜くん。
というか、友だちを作ろうと思っていたか、あやしい浩喜くん。

友だちが欲しいと思っていたか、少しあやしい、浩喜くん。
強がりじゃなく、
本当に「要らない」と、思っていたのかもしれない浩喜くん。

「家庭の事情もあって、旅行とか行ったことがなく」
「でも、『どこどこに行って来た』とか、『行くんだ』みたいな話になったりもするわけで」
「これは、『行きたい』とか言っても思ってもムリなことで…」
「あきらめるしかなかった」
「早々と、『あきらめるしかない』ってあるんだなぁって、そう思ってて」
「で、『どこにも行かないの?』と、少し見下す感じのヤツとかがいて」
「なんか、【そっちの世界】だけの、話しをしていて…」
「『別な世界だってあるんだぞ』って、思っていた」


インタビューで、もっと深く切り込めば、
ここだけでも『ぷち伝記』が、1つ、書けると思う。


・小学校5年生
少年、浩喜くんに、ターニングポイントが現れた。
それは、小学校5年生だ。

新しい担任の先生は、男性の先生だった。
この先生が、とんでもない先生だった。

先生には、授業という概念がなかった。
その時その時の「ベスト」を選択する。
だから、ときには1日中、ずう~っと国語ということもある。しかも、頻繁にある。

例えば「食塩水」。

「これを火にかけ熱すると~」と、答えを教えたりはしない。

「どうなると思う?」と、子どもたちに丸投げする。

子どもたちは、どんな考えでもいいから、とにかく意見を出す。
何個出してもいい。

その意見を、グループ分けさせる。
そしてディベートさせる。

このディベートが、メチャクチャ白熱した。

小説を読んでも、討論。
なにかすると討論。
教える前に、想像させ、討論。

正解を導き出すための討論ではない。
勝ち負けや優劣を決める討論でもない。

54歳の筆者は(こうかな、ああかな)と、先生の狙いをアレコレ想像したりもできるが、もしかすると、その想像は全て、的外れかもしれない。


給食は、なんとも画期的な「ビュッフェ形式」。
あの時代に、食べたくないのは、食べなくて良しとしたのだ。

このクラスになって、気づけば少年、浩喜くんには、いつの間にか友だちができていた。

浩喜くんは、プレゼンが得意だった。
いつも、特に仲良しになった6人の、その中心にいるようになった。

4年生では、孤独を愛した少年が、5年生のバレンタインデーでは、チョコレートを8個も貰う。


大人の言語力で佐々木氏が、少年、浩喜くんを語る。

「自分が『こうかなぁ』と思ったことを、とことん追求してみよう」
「既成の概念なんかは、どうでもいい」
「そんな風に、あのとき、自信を持ちましたね」

と、いうことらしい。

筆者は、バレンタインデーの話以外は、とても素晴らしいエピソードだと思った。


・小学校6年生
6年生でも、同じ先生が担任だった。
このクラスは、かなり有名になり、というか、おそらくは先生が有名だったのだろう。
ときどき授業を見学する大人がいたらしい。

転校生は、「このクラス」と決まっているふうだったし、知的障害者の同級生も加えられた。

男女の仲も良かった。
前後左右が、異性になるように、市松模様的な席の配置。

「おかげで、『男子、女子』と、変な意識を持ちようがなかった」
「このクラスのみんなは、確実にませてた」
「このクラスの、最高に楽しい遊びは『語り』だった」
「男女混合で、自由に語る」
「これが最高に楽しかった」
「学級委員とかは、みんながやりたがる」
「いつも、ワイワイとうるさいくらいのクラス」

佐々木氏の原体験は、ココだと思う。

幼児、浩喜くんが、1人孤独に耐え、大切に守った【何か】が、このクラスの仲間のおかげで、花咲いたのだと思う。

浩喜くんは、生徒会長を務めた。

小学校4年生の時には、誰も、・・・当人も、想像していなかった未来だ。

しかしこれは、現実なのだ。


🍀【閑話休題】アドラー流の尊敬

この見出しでは、筆者の想像を書く。

この、浩喜くんのクラスの先生は、アドラー心理学を学び実践していた先生ではないだろうか。

アドラー心理学では、尊敬の定義が一般のそれと異なる。

「ありのままのその人を認め、その人が唯一無二と知ること」

これを、アドラー心理学では「尊敬」という。

先生が、意見を出させ、討論させたのは、

1.自分と他者は『違う』と気づく
2.違う他者を、そのままを認める
3.その人は、唯一無二、世界でたった一人
4.自分もまた、世界でたった一人
5.それだけで、ものすごく尊いのだ

ということを、
つまりは【尊敬】を、教えたのではないだろうか。

世間の言う尊敬ではなく、アドラー心理学の、尊敬を。


◆佐々木氏の【尊重】エピソード

ここで言う【尊重】は、世間の尊重と、ほぼ同じだ。
そして、さっき書いたばかりのアドラー心理学の【尊敬】とも、ほぼ同じ。

「尊重とは」という議論をした。

佐々木氏はこう言った。

「ブッタが言ったとされる【天上天下唯我独尊】が、尊重なんだと思います」
「この【天上天下唯我独尊】は、私もそうで、他者もまた【天上天下唯我独尊】なんだ、っていう、そういう教えなんですよね」
「これが、「尊重」なんだと思うんです」


ときどき、こうも言う。

「僕にとって他者は、神ですから」

一度では理解できなかった。
二度目で、「神」と言っていると確認できた。
「カミン」などという、若者言葉とか、新語とかではなかった。

佐々木氏を知らない人が聞いたなら、このあと、数百万円するツボを勧められるに違いないと、警戒するだろう。

もっと驚いたのは、『傾聴』に、話が移ったとき。

「ええっと~。その、
『次、自分が話したいことがあるので、相手が話し終わるのを待っているのであって、それは、聴いているようで、実は聴いていない』
って、ことなんですけど~」
「相手が話し終わるのを待つって…」
「ええっと~、僕、待ったことがないんですけど~」
「そういうのって、あるんですね?」

佐々木氏に、こう確認された。
口調が素だったので、ジョークでは無いようだ。

筆者は逆に、「本当に待ったことがないの?」と、確かめてしまった。

にわかには信じがたい話だろうが、これも事実なのだ。


人は、呼吸しようと思って呼吸をしていない。
佐々木氏は、他者を、尊重しようと思って尊重していない。

自然であり、無意識であり、あたりまえなのだ。



筆者は学生時代、女子に、まったくモテなかった。

佐々木浩喜氏にFOCUSする全記事の中で、今日は、一番筆が進みそうにない。
なので、筆者同様、学生時代モテなかった男性読者諸君、及び、今もモテていない男性読者諸君は、今日の記事は読まなくて構わない。


◆思春期

・中学生時代
浩喜君が、中学生になって感じたことは、

「同級生が幼稚でした」
「っていうか、先生までが幼稚に感じましたねぇ」

ということだ。


日本は、令和の時代になっても、いまだに、子どもを『子ども扱い』する。
人格ある一人の人間として接する大人が、極端に少ない。

「半人前」と子どもを定義し、大人のコントロール下に置こうとする。

これは、つい最近までの筆者の、無意識化に根を張った「固定概念」であり、「常識」であり、正しい「考え方」でもあった。

つまり、一般的といわれるほとんどの日本人の大人は、「他者から愛されようとする世界観の中で生きる【子ども】のまま」なのだ。

この、詳しい解説は省く。
アドラー心理学の『幸せになる勇気』の、受け売りを書くだけになるからだ。


浩喜君のことに話を戻す。

浩喜君は小学5~6年生のときに、
「他者を尊重すること」を学び(しかもそれは座学で知識をなぞったのではなく実践の中での体得)、
ありのままの自分を肯定(もしくは受容)することを学び、体得したのだ。

精神的に自立した中学1年生は、そうはいない。
精神的に自立した先生(大人)も、そうはいない。

浩喜君が「幼稚だなぁ」と感じたのも、無理はない。

小学校で生徒会長を務めたからだろう。中学でも「ぜひ、生徒会長を!」と薦められた。

浩喜君は、「辞退」を選択した。

インタビューで質問し損ねたが、
その中学校に魅力を感じなかったのか。
又は、経験済みの『生徒会長』に、前ほどの興味を抱かなかったのか。

一つだけ確かなことがある。
例え中学生であろうと、浩喜君の出した結論を、
「説得し、結論を変更させること」は、

ほぼ不可能と言うことだ。


・高校生時代
「授業をサボって『中抜け』してみたんです」
「やったことなかったので」

インタビューで、佐々木氏は、高校時代のエピソードを語ってくれた。

「バレて、・・ま、教室に居ないのですからバレるんですけど」
「職員室に呼ばれました」
「仲間は、適当な言い訳をしていましたね」
「先生に、『君が? なぜ?』って聞かれました」
「そういうことをするタイプではなかったので」
「正直に、『一度、経験してみたかったんです』って答えました」
「先生は苦笑いしていました」

もうこの辺で、モテなかった男性陣は、イヤな予感がしているだろう。


「悪いことは、別に、やらなかったですねぇ」(中抜けは悪いゾ)
「タバコも吸いませんでした」(健康を意識したのか?)
「学生服でタバコを吸うて、カッコ悪いなって思って」(不良と逆だな)
「あ、高校選んだ理由は『学ラン』でした」(ん?)
「ブレザーが嫌で、学ランに憧れてたんです」(やっぱ変わってんなぁ)
「下駄を、高下駄を履いてました」(は?)
「そのまま校内も歩いてました」(土足じゃないか)
「下駄なら、接地面積が少ないから、イイかなって」(良くないから)


佐々木節は、まだまだ続く、

「3年生のときは、部活は、9個入りました」(はい?)
「卓球部は、試合のときだけ行きました」(はいのはいのはい?)
「卓球部の友達が、それで良いって言うんで」(上手かった自慢か?)
「ロックに夢中になって、バンドをやりました」(女子にモテるヤツだ)
「ロックミュージシャンが髪を伸ばすのって」(質問してないけど)
「あれ、ファッションじゃないんです」(カッコイイと思ってでしょ)
「髪を切りに行くのが、面倒クサイだけなんです」(信じないけどね)
「あ、面倒なんで、一度、坊主にしました」(ん?)
「野球部は県のベスト8とかの強豪で、部員数多くて」(ああ、知ってる)
「僕、頭の形が良いのか、坊主が似合ってて~」(で、出た、自慢だ…)
「けっこう、評判良くって」(その「評判」って、女子だろ…)
「野球部員から、なんかナンクセをつけられて」(野球部、頑張れ!)
「なんか『あいつは坊主の美学をわかっちゃいない』とか」(おい野球部)
「自分たちこそ、前髪だけホンの少し長くしたりとかして」(わ、わかる)
「僕はただの坊主だし」(だから、ただの坊主で女子に「キャー!」とか)(「触らせて~!」とか、そんなの野球部員としては絶対に許せんのよ!)
「なんか『みんな一緒が大事』って、くだらないなぁと」(ぬおおおお…)

佐々木節は、まだ終わらない。


・良く不良に絡まれた
佐々木氏は、
「そんなんだからか、僕、良く不良に絡まれました」と言った。
(頑張れ! 不良たち!)


「中学生のころから、良く絡まれましたね」(ふむふむ)
「たぶん、普通に目を見ちゃうからかも…」(うんうん)
「彼女と楽しく会話しているからか…」(常に彼女いたっぽいなコイツ)
「目をそらせば良かったのかなぁ」(それだけじゃないけどそれもあるな)
「小学生からモテたんで、で、女子と普通に楽しく会話できたんで」(…)
「だいたい横には、常に彼女がいたんで~」(ヤンキー、やっちゃいな!)
「一度、不良に、眉毛を剃られそうになりましたね~」(剃られとけよ!)

「いい気味だ」と思ったのは、筆者だけではないだろう。
さすがに筆者も、「剃られれば良かったのに」とまでは、ホンの少ししか思ってはいないが。


・ロック
浩喜君は、バンドに入った。
最初はドラムだった。
そして、(もっと目立ちたいなぁ)という思いから、ギターに変える。

スキなバンドのコピーをして、洋楽に嵌り、やがてオリジナル曲も作る。
ロックバンドだった。


【 ロック 】とは、その音楽のジャンルだけにとどまらず、「ロック魂」とか「ロックな精神」などと、歌詞や、バンドやその個人の、「あり方」や「生き方」などにも議論が及ぶ。

ロックの核(コア)には、自由 があると思う。
自由を説明するのではなく、自由を見せつけるというか、自由を謳歌したり、自由を体現してみせる。

自意識は強くない。
他者からの評価などは、どうでも良いのだ。

だが、自意識は高い。
自分が自分をどう思うかに関しては、とてつもなく頑固になる。だから解散するバンドが多いのだろう。

譲ったり、妥協した、その瞬間に、ロックンローラーでなくなってしまうのだから。

以上の、筆者のロック論は、今すぐ忘れてしまっていい。
どこかで聞きかじったことを、それらしく書いたに過ぎない、魂のこもっていない文章だ。


今回のインタビューで、佐々木氏がロックについて、こんなことを語った。

「高校生の時に出会った、あるロックバンドのあるアルバム」
「そのアルバムが3部構成だったハズなのですが」
「タイトルが『Ⅲ Sides to Every Story』で…」
「意味は、物事には3つの側面がある、って感じですかね」
「Yours(他者から見た見解)」
「Mine(自分の見解)」
「& The Truth(真実)」
「このように物事って、『自分から見えてるもの』が、全てだったり…」
「『自分が正しいと思うこと』が、絶対なわけじゃなくって…」
「他者の視点、そして真実、というものがある」
「英語のtruthは、真実と訳されますが、『fact:事実』とは違うので」
「日本語の、真実、真相、というよりも、『その本質』と…」
「そんな風に、僕は理解しているんですけど、ともかく」
「3つの、物の捉え方がある」
「ロックを通じて、こういうことも学びました」
「学んだというか、確認したというか…」


高校生にして、哲学者の思考をしている。

この精神が、キチっと確立しているから、たとえ誰が書こうが、ダメな歌詞はダメなんだと、ボツの山が出来上がることとなる。


・追加情報
佐々木氏が記事を読んで、追加情報をくれた。

学生時代モテモテだった佐々木氏のエピソードというものが、
学生時代まったくモテなかった心の狭い筆者は、
どうしても許容できず嫉妬に駆られて、佐々木氏を少し茶化したような記事となった。

なので、お詫びを兼ねて、いくつかある追加情報の中から、
ここでは、佐々木氏の株が上がりそうなモノを、選択して紹介する。


「『僕にとって他者は、神ですから』は…」
「他人のことも、すごく崇めることが出来ているという」
「なんか『イイ人』っぽい感じがあるのですが…」
「僕的に、『みんな神』は、」
「僕、佐々木浩喜も神だし」
「みんなひとりひとりが神で、」
「イエスやブッダも、なんなら同じで…」
「みたいな感じ、なのです」

ほほう、キリスト教徒や仏教徒が、「何を言うか!」「不遜な!」「イエス(ブッダ)を愚弄するな!」などと、騒ぎ出しかねない。
しかし、当のキリストご本人やブッダご本人は、「そうだよ。その通りだよ」って、そう言うんじゃないかと、筆者は思う。

「自分以外のもの(人だけでなく全て)を…」
「尊敬するのは当たり前というか、」
「そうありたいな、と思っているのでして…」
「自分(佐々木)も神だから、『この佐々木を尊敬しろ』では、全くないし」
「どちらかというと…」
「あなたが、誰かや何かより『下』ということは、ないのですよ」
「だからあなたも、『神』って、思っても、言ってもいいのですよ」
「そういうことでいうと、僕(佐々木)だって神だし…」
「みたいな、ことなのです~」

佐々木氏からのLINEのコピペだ。
読みやすく工夫しただけで、内容は変えていない。

佐々木氏の、誠実な人となりが伺えると思う。

学生時代女子にモテても、インチキではなく、誠実な人って、どうやらいるようだ。


◆出世(昇進)

・いわゆる「出世欲」は、おそらく皆無
昔も、そして今も、佐々木浩喜氏からは、ガツガツした雰囲気を一切感じない。むしろその逆で、「飄々」とか「淡々」という雰囲気を常にまとっている。

しかし、『出世』、『昇進』、という結果を出している。
オンライン通信制高校では「キャンパス長」。
オンラインフリースクールでも、「代表理事」。

その2つの部門の責任者を任され、会社での肩書は「部長」。

インタビューで、
「出世した理由を、自己分析できますか?」という質問をぶつけてみた。


・出世した理由
佐々木氏は、

「自己分析できます」
「明確な、理由があります」

と、即答した。

これは意外だった。「自然に、気がついたら今の立場にいました」という感じの答えを、予想していたからだ。


「アドラー心理学でいう『課題の分離』」
「7つの習慣でいう『影響の輪』です」

と、佐々木氏はハッキリと言い切る。

『課題の分離』と『影響の輪』は、ほぼほぼ同じことをいっていると思って良い。

筆者は『課題の分離』と『影響の輪』の、それぞれの概念も、その効用も承知しているつもりだが、それだけで「出世した」というのは、話しが少し、飛躍しすぎではないかと思った。

ちなみに、もし、『課題の分離』や『影響の輪』をご存じない方は、
『嫌われる勇気』、岸見一郎と古賀史健の共著、
『7つの習慣』、スティーブン・R.コヴィー著、

の、それぞれを、ぜひ読んでいただきたい。誰もが認める名著なので、読んで損はない。



・関心の輪(課題の分離)
2つは、ほぼ同じなので、「影響の輪」だけ、ごく簡単に紹介する。
この『影響の輪』を理解するには、まずは『関心の輪』を知る必要がある。

ありとあらゆる全ての「物」、「事」、をイメージしてほしい。
この日本だけでなく、世界を、そして宇宙を、イメージしてほしい。
物だけではなく、行為や、心の動きや、感情なども、事象も心象も、それらの全てを、ざっくりとイメージしてほしい。

その「すべて」を、仮に、大きなホワイトボードの一面とする。

そこに、直径70~80センチの「輪」を書く。イメージでかまわない。

この輪を、『関心の輪』という。

この世の、ありとあらゆる全ての中から、あなたが「関心があること」と、「関心がないこと」とに、分けるのだ。

関心があることは、先ほどの輪の中に入れる。
関心がないことは、先ほどの輪の外となる。

例えば筆者ならば、「骨盤底筋群」が関心の輪に入る。
これは3日前は、知らない言葉で、当然だが、関心の輪の外だった言葉だ。
以前から頻尿の気があって、一昨日、とある動画にたどり着き、今、この記事を書いている最中も「骨盤底筋群」に力を入れることを意識している。

その他、岩手県宮古市の人口減少も「関心の輪」の中に入るし、オリオン座や、なんなら宇宙の不思議にも関心がある。

でも、関心の輪に入らないこともたくさんある。
バラエティー番組には、ほとんど関心がないし、ワイドショー的な番組や、そこで扱うゴシップネタにも関心がない。
韓国の、ベーコンレタストマトバーガーみたいな名前のグループ(Bなんちゃら)にも関心がないし、TikTokにも関心がない。
バス釣りにも、演歌歌手の新曲にも関心がない。
難しいであろう「量子力学」を、詳しく学ぼうとも思わない。

これらは、筆者の場合は『関心の輪』の中には入らないモノたちなのだ。

一人一人に、それぞれの『関心の輪』があることは、ご理解いただけるだろう。


・影響の輪
続いて、この『関心の輪』の、その輪の中に、もう1つ、輪を書いて欲しい。イメージでかまわない。

さっきホワイトボード(全宇宙)に、直径70~80センチの輪を書いた。
その輪の中に、ひと回り小さい輪を書くのだ。
直径40~50センチくらいの輪を書く。

この輪を『影響の輪』と呼ぶ。

関心の輪の中から、自分が大きく影響できること、直接コントロールできることは、この小さい輪、『影響の輪』の中に、入れる。

関心があっても、自分がコントロールできないことや、ほぼ影響力を発揮できない事やモノは、この小さい輪には入れない。
関心のエリアに、とどめる。

先ほどの筆者の例で言うと、
筆者自身の骨盤底筋群は、『影響の輪』に入る。動画で、意識の仕方や、力の入れ方、そのエクササイズを学んで、今もそのエクササイズを実践中だ。

しかし、岩手県宮古市の人口の減少は、関心はあるが、影響力はない。コントロールもできない。市長でも市議会議員でもないのだ。
なので、この項目は、関心のエリアにとどまり、『影響の輪』には加わらない。

ザックリと、まずはここまでを、完全に理解してほしい。


・まとめ
人には、それぞれの『関心の輪』がある。

関心はあっても、自分がコントロールできないことは、『関心の輪』の中だが『影響の輪』の外だ。
(ドーナツの食べれる部分だ)

関心があって、自分がコントロールできることは、『影響の輪』に入る。
(ドーナツの一番小さい輪の中だ)


・7つの習慣の教え
関心の輪に注力するな。関心の輪にこだわるな。関心の輪には関わるな。
影響の輪に集中せよ。
影響の輪に没頭せよ。


・影響の輪クラブ会長
佐々木氏は自らを、「影響の輪クラブ会長」と名乗る。
大事なので繰り返す。
7つの習慣で説く真理は、「影響の輪に没頭せよ」というものだ。

関心の輪の中で生きてダメだ。どんどん影響力がなくなる。
逆に、影響の輪に没頭すれば、いつの間にか影響の輪が大きくなる。

影響力が大きくなるのだ、と、説いている。

つまり佐々木氏は、

「影響の輪に没頭する第一人者です」
「影響の輪に没頭することならば、超、自信があります」
「なんなら、同じように『影響の輪に没頭する者たち』の会長を務めます」

と、このように思っているのだ。

ここでも例を出した方が分かりやすいだろう。

筆者は、2度目の結婚(同居生活)をスタートして、関心の輪の中で生きてしまった。
「ドアの開けっ放しは、だらしない」
「靴が何足も出しっ放しは、見っともない」
と、自分が正しいと思うことを主張し、妻を変えようとした。

結果は、筆者の影響の輪がどんどん小さくなり、たとえ筆者が家族にとってとても良い提案をした場合であっても、その発言は家族から、眉をひそめられるモノとなった。
「また、なんか言っている」と、筆者の発する声は聞こえても、その内容には耳を傾けてもらえなくなったのだ。
仕事に出かけるとき玄関まで見送ってくれた妻が、その見送りをリビングで済ませるようになった。

それからしばらくして、筆者は、影響の輪に没頭しはじめた。

noteを書き、散歩し、運動を始めた。
そしてそれを、コツコツ続けた。
他者をコントロールしようと思うことをやめるように努めた。
政治批判やコメンテーター批判をやめた。それらは関心の輪だ。
会社批判も顧客批判もやめて、自分ができることに工夫や改善を行なった。
そして1年が経過した。

すると妻が、筆者の話に耳を傾けてくれるようになった。
自転車通勤に、一切反対をしなかったし、今では富士山登頂の誘いも、前向きに検討してくれている。
そして、新婚のときのように、朝、玄関まで見送ってくれるようになった。

あなたならどうだ?

自分のやるべきことや、自分ができることに集中も没頭もしていない。
そのくせ、影響もコントロールも不可能なテレビのコメンテーターに文句を言って知識をひけらかしたり、岩手県宮古市の人口を気にしたり、宇宙の不思議をのたまって、その話をちゃんと聞かないと不機嫌になったり・・・

そんな面倒くさい人物が、何か、協力を求めたならば?

では逆に、
やるべき仕事を全力で行ない、かつ、勉強や運動などを継続し、新たな挑戦を始めて、それら全てをコツコツ継続している。
当人がコントロールできないことには口も挟まず、余計な介入(求められていないアドバイスなど)も行なわない。自分のことに全集中している・・・

そんなストイックな人物が、何か、協力を求めたならば?

喜んで協力したくなるのは、当然、後者の場合だろう。

後者は、あなたを説得することなく、自らの『影響の輪』に没頭することだけで、影響の輪を、少し大きくしたのだ。


今一度問う。

あなたはどうだ?

あなたは、「私は『影響の輪』に没頭している」と、言えるか?
自分がコントロールできない関心ごとに、多くの時間を使っていないか?
日々『関心の輪』の中で、暮らしてはいないか?


佐々木氏は、

「僕は、『影響の輪クラブ会長』になります」

と、言い切れる人物なのだ。

出世欲なくして出世した、1番の理由を、

「自己分析できます」
「明確な、理由があります」
「アドラー心理学でいう『課題の分離』」
「7つの習慣でいう『影響の輪』です」

「僕が出世したのは、影響の輪に没頭したからです」

と、インタビューで即答したのだ。


・7つの習慣の事例を紹介
7つの習慣には、大変わかりやすい事例が紹介されている。
ここは、あえて、そのまま引用させていただく。
ただし、かなりの簡略化を行なう。

とても強引な性格の社長が率いる企業がある。

その社長は業界動向を予測する能力が高かった。彼には天才的な能力、知力、創造力があった。
しかし、彼の経営スタイルは非常に独裁的なもので、部下をまるで判断能力のない使い走りのように扱っていた。
従業員に対する口調も「これをしろ、あれをしろ、あれを取ってこい、俺が全部決めるから」という調子だった。

その結果、周りの経営幹部全員を敵に回すはめになった。
幹部らは廊下に集まると陰口を言うようになった。
「すべてうまくいってたのに、社長がうちの部に来て全然違う指示を出すもんだから、何ヶ月もの仕事が水の泡だよ」
「あんな社長の下でどうやって働けというんだ」
「彼が引退するまで、あと何年だっけ」
「社長はまだ59歳だよ」
「何だって。あと6年も我慢しなきゃなんないのか」
「知るもんか。あの社長は定年退職なんかしないだろ」

しかし、そうした経営幹部の中で、1人だけ主体的な人物がいた。

彼は率先力を発揮し、言われる前から先を予見し、社長の気持ちを読もうとした。社長の状況や立場を理解するように努めた。
彼は社長の弱点を認識はしてはいたが、それを批判するのではなく、それを補うようにした。部下たちに社長の管理スタイルなどの影響を感じさせないように努力した。
そして、社長の長所、ビジョン、才能、創造力などを活かすように努めた。

彼は自分の影響の輪に集中した。

彼も使い走りにされたが、求められた以上のことをするようにしていた。
社長のニーズをうまく汲み取り、社長の考えを理解し、社長に報告を上げるときは、要求された情報だけでなく、社長のニーズに合った分析とその分析に基づく提案、あるいは意見も合わせて提出するようにした。

ある日社長はコンサルタントに、次のように言い出した。
「先生、この人物は凄いですよ。彼の担当部署については何も心配しなくていい」

次の会議でほかの経営幹部に対する社長の口調は、「あれやれ、これやれ」といういつもの調子であった。
しかし、この人物に対してだけは、「君の意見はどうだね」という言い方に変わっていた。つまり、彼の影響の輪が広がったのである。

社長のこの言葉が、会社の中にかなりの騒ぎを引き起こした。

関心の輪にとどまる幹部たちは、また廊下に集まると、今度はこの『影響の輪幹部』の悪口を言い始めた。
ところが、この人物は彼らに対しても主体的だった。自分ができることだけに集中した。

徐々にか彼らに対しても、この人物の影響の輪が広がり始めた。
やがて、その組織の中で、この人物の賛成と参加を得なければ、社長も含めて誰も重要な決定を下せないほどに、彼の影響の輪が拡大した。

社長はこの人物のことを脅威に感じることはなかった。
この人物の強みは社長の弱点を補うものだったからである。
2人の強さを活かしあい、相互に補完し合うチームを形成したのだった。

引用:7つの習慣(スティーブン・R・コヴィー著)


佐々木氏のインタビューを終えて、数日後に、このエピソードを思い出した。

この7つの習慣のエピソードは、佐々木浩喜氏のことなのではないか?

そう思った。
タイムマシンは「ない」という持論の筆者が、「あるかも」と考えてしまった。

影響の輪に没頭するだけで、周りの者を蹴落とす必要もなく、競うこともなく、ガツガツすることもなく、出世できるのだ。

飄々と、淡々と…。

爽やかに、涼しく、出世できるのだ。


◆佐々木氏を理解する

・前提① Win-Win
佐々木氏は、

爽やかで、やわらかく
かつ
頑固

という特徴を持つ。

今回、佐々木氏をインタビューさせていただき、こうして記事を書いたからこそ言語化できた特徴だ。

言い得て妙と、ひとり納得している。

昨日の記事を書いていて、ハッと気づいた。

この佐々木氏の特徴は、7つの習慣の、『Win-Win』の実践なのだと。


今では、ビジネス用語としてすっかり定着した感のある「Win-Win」。

でも、念のため『7つの習慣』から引用し、解説しよう。

1.Win-Win :自分も勝ち、相手も勝つ。それぞれの当事者がほしい結果を得ること
2.Win-Lose :自分が勝ち、相手は負ける
3.Lose-Win :自分が負けて、相手が勝つ
4.Lose-Lose :自分も負けて、相手も負ける
5.Win :自分だけの勝ちを考える
6.Win-WinまたはNo Deal :Win-Winの合意またはWin-Winに至らなければ「取引しない」ことに合意する(No Deal は、取引しないという意味)
引用:『7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー著)


7つの習慣の筆者コヴィー氏は、1の、Win-Winを目指すことが原理原則だと説く。

1のWin-Winよりも、より高次な意識や態度が、
6の、Win-WinまたはNo Deal だと、そう説いている。

詳しくは、ぜひ、『7つの習慣』を読んでほしい。


毒舌に感じたなら申し訳ないが、
多くのビジネスマンは、ごく浅い知識で「Win-Win」という言葉を使用している。
ほぼ、ファッション感覚で使用しているように感じる。

「Win-Winってワードを使うオレ、イケてるしょ」って、
そう見えてしまう。

本質的な理解はなく、また、本質的な理解があると思ってもいないだろう。

これは、批判しているのではない。
30代の筆者も、ほぼ、それに近かった。

「そのように見え、そのように聞こえる」という、筆者の感想なのだ。


・Win-Winを本当に理解することは、超難関
筆者は、あらためて『7つの習慣』を開き、この「Win-Win」の章を読んだ。
そして、少し、理解が進んだ気がする。

ということは、やはり、
初めて読んだ30代の筆者は、浅い理解しかできていなかった、となる。

そうなのだ。
30代のときに、「難しいな」と思った。半分は理解できても、残り半分は理解できなかった。
その記憶が、ちゃんとある。

54歳になった今だから、これまでの人生経験のおかげで理解が進んだのだろう。

「Win-Winの関係じゃないとね」、などと、のたまっているビジネスマンのうち、
ちゃんと理解しているのは、10%以下ではないか。
そして、実践できているのは1%以下ではないか。

そう思ってしまう。

試しに、1のWin-Winと、5のWinの違いが、ちゃんと説明できるだろうか?

「Win-Winは、どっちも勝つですよ。Winは、勝つです」

もちろんだが、これでは説明になっていない。
分かりやすい実例を上げて、その違いを解説できるだろうか。

または、6の、Win-WinまたはNo Deal を、きちんと説明できるだろうか?

「Win-Winか、もし、そうならないなら取引はしないってことです」

これも、これでは分かりやすく説明したとは言えない。
そこからさらに、具体的に説明できるだろうか?

ここでは、その解説はしない。
ここで解説すると、かなりの文章量を要するし、それだけの文章を書き切ってもなお、分からない方が多いと思う。

そして、この記事の趣旨からズレすぎるという理由もある。

ぜひ、『7つの習慣』を読んでほしい。その難解さに驚くことだろう。


高次の教えは、その理解も難解になる。
実践となれば、その難易度は、さらに跳ね上がる。

努力すれば実践できるようになる、というものでもなさそうだ。

「ふふ~ん、どっちも勝てば良いのね~」という、遠浅海岸の波打ち際のような理解から、

「この場合は?」
「 こうだと?」
「 これは? 」

と試行錯誤して、

「はは~ん」と、胸の辺りまで理解を深めて、

シーソーの理論ではなく、グリッド(もしくは4象限)で考える、ということを実践し、習慣化として、

「第3、第4の案がある」と信じられる【豊かさマインド】を身につけて、

ここまで、理解し解説できる筆者が、まだ、「ちゃんと理解した」とは思えない。

仮に、筆者の理解は90点の合格ラインを超えていたとしても、
実践は、20点や30点という、赤点ラインを切っている。

そういう自覚がある。

Win-Winの実践には、勇気や、粘り強さや、「理解」以外の、精神力や胆力や、
または、それらが「通常」と言える【人格】などが、必要となる。


・前提② グリッド思考
シーソーの理論
と、いうものがある。
片方を重んじれば、片方は軽んじるしかない。という理論や思考のクセを指す。

最近は「ゼロサム思考」という人が多いが、それにも似ている。

ゼロサム思考、またはゼロサム・バイアスとは、認知バイアスの1種で、状況がゼロサム・ゲームと同じ、すなわち1人の得がもう1人の損を意味するという判断を指す。 < 中略 > ゼロサム思考を端的な言葉で表現すると、「あなたの得は私の損」(またはその逆、「あなたの損は私の得」)である。
「ある社会や文化圏の人びとが、世界に存在する品物の数には限りがあるという暗黙の仮定にもとづき共有する、社会関係上相反する性質に対する一般的な思考体系。その考えでは、ある者が勝利すればそうでない者が敗者になり、その逆もまた真 …… 社会関係は「ゼロサムゲーム」のようなものとする比較的永続的かつ一般的な考え方
この考えを共有する人びとは、成功は、他者の失敗という犠牲があってはじめて可能になると信じている
引用:Wikipedia


「0か100か」と考える人、(0点か100点か、ダメか良いか)
「白か黒か」というセリフ、

これらは全て、シーソーの理論だ。

この『シーソーの理論』に、グラデーションを加えても、Win-Winにはならない。

70:30でも、30:70でも、シーソーの理論のままなのだ。

50:50の、シーソーで言えばバランスをとった状態。
勘違いしている人が多い気がするが、この、折衷案や妥協案が、Win-Winではない。

あるラーメン屋の店主が、「立地が悪いから、客が来ない」と、思い悩んでいる。
しかし、来客数の期待できる好立地の店舗は、その賃料が高い。

高い賃料を覚悟して、移転するのか、
それとも、
賃料が安いからと、このままの場所で続けるのか。

これは、シーソーの理論だ。

安い賃料の立地では、来客数は少ない。
多くの来客数が欲しいなら、高い賃料の立地に移転しなければならない。

あちらを選択すれば、こちらは得られず。

安い賃料を重視すれば(シーソーの賃料側に乗れば)、
来客数は(シーソーの来客数側は上がってしまい)得られない。

来客数を重視するならば(シーソーの来客数側に乗れば)、
高い賃料を(シーソーの賃料側は上がってしまい)支払うしかない。

この『シーソーの理論』の、信奉者は多い。
そして、頑なに、この考え方に固執する。


対して、グリッド思考では、

縦軸を「来客数」、
横軸を「賃料(立地)」、

として思考する。

すると、

①来客数が少なく、賃料が安い(立地が悪い)
②来客数が少なく、賃料が高い(立地が良い)(最悪)
③そこそこの来客数で、賃料も中間(立地も中レベル)
④来客数が多く、賃料が安い(立地が悪い)(最高)
⑤来客数が多く、賃料が高い(立地が良い)

という、5つの現象が可視化される。

①と⑤は、シーソーの理論の典型だ。
③も。シーソーの真ん中でバランスをとった状態だ。

②と④は、シーソーではあり得ない現象なのだ。

シーソーの、両側が下がる、
も、
シーソーの、両側が上がる、
も、

シーソーならば、どちらもあり得ない。

グリッドで考えると、シーソーが「V字」になったり「逆V字」になる、そんなことが可視化される。

現実に、賃料の安い立地のお店でも、繁盛店はある。行列のできるお店だってある。
そして、
賃料の高い好立地のお店でも、閑古鳥の鳴いている店は、いくらでもある。

一番良い、理想の「安い賃料で来客数が多い」とするには、どうすれば良いか? という思考が生まれる「余地」がある。

「そういう店を調べてみるか?」
「共通点って、あるだろうか?」
「もしかしたなら、客が来ないのを立地のせいにしていただけなのか?」

このような発想は、シーソーの理論から、1度、抜け出さなければ生まれない。

また、最悪の、『高い賃料を払っても客が来ない』という、怖ろしい現実を、シーソーの理論では、見落とす可能性がある。


グリッド思考が習慣になっていない人がつぶやく「Win-Win」は、
おそらくは、Win-Winの本質を語ってはいない。


・前提③ 豊かさマインド
誰かが勝つと、自分が負けたわけでもないのに、「面白くない」と思う人がいる。
誰かが儲けると、「なぜか、自分が損した気持ちになる」と言う人もいる。

これは、無意識に作られた「パイには限りがある」という、固定観念からの発想だ。

これを「欠乏マインド」という。

限りあるパイなのだ。
誰かが1枚食べたなら、確認などしなくても、残りは1枚減っている。

だから、
欠乏マインドの人は、他人をひがみ、妬み、ときには他人の足を引っ張る。


逆に、
無意識下で、深層心理で、「パイは無限にある」と、考えている人もいる。

当然、他者の成功を手放しで祝福できる。
他者をひがみもないし、妬みもしない。

むしろ、嬉しいし、楽しいし、参考になりありがたいし、マネたり、勉強したり、刺激をもらって、感謝さえする。

もちろん、本心でだ。

欠乏マインドの人には、Win-Winは不可能なのだ。
Win-Winを実践するには、豊かさマインドは欠かせない。


・Win-Winが難解なエピソード
普通なら、対人関係は、Win-Loseか、Lose-Winになる。

Win-Winを目指しているつもりで、実はWin-Loseを目指していたり、
それは良くないと、妥協し、折れて、気づいたらLose-Winだった、なんてケースも多い。

利益を上げたい、なので「この価格で買って欲しい」と思う、販売側の営業マン。
対して、 経費を抑えたいので、「値引きしてください」と要求する、仕入れ担当者。

利害が対立している。
このような場合、簡単にWin-Winは実現しない。

サラタメ君の動画に、格好の『実例』がある。
(7分を過ぎたところからの視聴で、充分に参考となる)

サラタメ君は、「第1のステップで、徹底的に聴くことが大事」と言っている。
ここで、「傾聴とは」と、見出しを書こうものなら、この記事は前提だらけになってしまう。
なので、ここでは「傾聴力」はスルーする。

傾聴力だけで、1冊の本が出来上がるし、この手の名著がたくさんある。

なにが言いたいのかというと、

「Win-Winって、そんな、簡単じゃないよ」と、このように言いたのだ。


◆佐々木氏とは

・口癖①
先々、口癖②も書く。
しばし、お待ちあれ。

ここでは①だ。

「Win-Win以外、興味ない」

これが、佐々木氏の口癖の1つだ。

佐々木氏は、インタビュー中で、このセリフを何度も言った。

他にも、
「Win-Lose には興味ない」
「負けが生まれるって、良くない」
「負けさせるって、ダメだなぁ」
「第3、第4の案が、あるんですよねぇ」

などが、何度となく語られた。

これらも、「Win-Win以外、興味ない」にカウントしたなら、もの凄い回数を口にしている。

佐々木氏のくしゃみは、「Win-Win」の可能性がある。


・爽やかでやわらかく、かつ、頑固
さて、長く、遠回りしたような気がする。
佐々木氏の、その特徴だ。それを解説しよう。

⋄爽やか
Win-Winにしか興味がない
なので、
相手を負かすWin-Loseに、まったく興味がない
勝とうなどとも、思っていない
負かそうとも思わないし、さらに言うと、負かしたくない

だから、爽やか に、感じるのだ

⋄やわらかい
第3、第4の案があると信じている
それを、落ち着いて模索する
当初の持論には、まったく、こだわらない
発想が柔軟
豊かさマインドがあり、それは『心がけ』ではなく、【人格化】している

だから、やわらかい と、感じるのだ

⋄頑固
Win-Winしか考えない
Win-Winしか認めない
粘り強い
Win-WinまたはNo Deal を実践する
似て非なるモノに、「妥協案」というものがあるが、
その「妥協案」も、拒む
Win-WinかNo Deal を貫く
歌詞の、『ボツの山』が、出来上がる

だから、頑固 と、感じるのだ


きっとコヴィー氏も、この佐々木氏には、
「あっぱれ」と、そう言うんじゃないかなぁ。英語訛りで。

ボツになった歌詞たちも、これならば致し方ないと、浮かばれたのではないだろうか。


・佐々木氏は、女性にモテる
佐々木浩喜氏は、女性にモテる。
学生時代だけではなく、今なお、女性にモテる。

しかも、イイ女にモテる。

その理由を考えてみた。

1.人をカテゴライズしない
2.女心を、普通の男より知っている
3.名言の打率が高い
4.イケメン
5.歌が上手い
6.ギターが弾ける
7.作曲できる

1~3を、それぞれ深掘りし、解説する。


・人をカテゴライズしない
佐々木氏は、決して人をカテゴライズしない。
分類したり、十把一絡げにした見方などを、絶対にしない。見たことも聞いたこともない。

国民性や県民性のような、傾向性は、ある程度は参考にするのかもしれないが、しかし、そのような傾向性を、その人個人に当てはめることはない。

見出しを、「人をありのままに見る」とか、「他者を尊重する」とかにしようと思った。
しかし、「カテゴライズしない」とした方が、断然、分かりやすいだろうと判断した。


佐々木氏の教育論を聞いたとき、「女性性」という単語を聞いた。
言い間違いかと思ったら、その後も、2度、「女性性」と発言したのだ。

この発言一つとっても、「女性だから」とか、「男ならば」などという、カテゴライズした発想が皆無なのだと知れる。

佐々木氏には、女性蔑視発言での更迭などは、絶対にあり得ない。


何かに分類されて、「君もだいたいそんな感じなのだろう」という先入観を行使されて、良い気分になる人はいない。

ありのままのその人を、ありのままに見る。
聴く。
肯定する。
受容する。

佐々木氏は、このような立ち居振舞いが『通常』で、習慣になっている。

そりゃあ、モテる。


ちなみに、
『女性性』は、女性にも男性にもある。
逆に、『男性性』も、女性にも男性にもある。

ホンの少し、インターネット検索をしてみたが、興味深い考察や、分かりやすい解説なども見つかった。

だが、
まだ日本では、『女性性』『男性性』というワードや思考は、浸透していないように感じた。


・女心を、普通の男より知っている
佐々木氏は、母と姉の3人暮らしだった。
家庭内の相手は、常に女性だ。

そして、幼少期から「さししゅしぇしょ」を、あえて使い、母や姉を喜ばせるサービス精神があった。
もっと言うなら、自分が何をすれば相手が喜ぶのかを分析し実行した。

その相手は、女性だった。


そして佐々木氏には、とんでもない傾聴力がある。
このぷち伝記のどこかで書いたが、

「相手が話し終わるのを待つという感覚がわからない」

と、素で言ってしまうほどの傾聴力だ。

俗説がある。
女性は悩みや相談をしたときに、解決などは求めていない。
共感を求めているのだ。
求めていないアドバイスはゴミだ。

この俗説は、かなり正しいのではないだろうか。

ただただ聞いて欲しい。
共感してほしい。

そんな要望に応えられる男性って、はたしているのだろうか。

筆者は、石田純一さんと、佐々木浩喜氏と、54歳になってからの筆者くらいしか知らない。

ま、とにかく、この傾聴力だ。
この傾聴力だけでも、モテて当然だ。

そして、きちんと聴けば、だんだんと、その女性の気持ちや考えなども分かってくる。

佐々木氏は、女心がわかるからモテるのだ。


・名言の打率が高い
佐々木氏の言う名言は、100発100中だ。
話しを、聴いて、聴いて、聴いて、聴いて、聴いて、聴いて、聴いて、
ズバッ!と、名言を吐く。

そりゃあ、モテる。


少し前に、マコなり社長のとある動画を観た。

その15分30秒くらいからの、最後のオマケトークに「打率」の話がある。

「面白い人間だって思われたいんだったら、打席数よりも打率が大事」
「打席にたくさん入ってスベってばかりいると、」
「面白くない人、というイメージが定着してしまう」
「面白い話をするときは、絶対に面白い話をすべき」
「面白いことを話せないときは、話さない方がイイ」
「無理に話すくらいなら、聞き役に回りましょう」
「その方が好印象を持たれます」


要約すると、こんな内容だ。

この同じ理論だ。

佐々木氏の名言は、ズバッ!と、聴く者の心を刺す。
射貫く。
響く。
痺れる。

佐々木氏の発言は重い。
だから、佐々木氏が発言しそうな気配があると、誰もがその一言に耳を傾ける。

これも、ずば抜けた傾聴力の効果だ。

打率が高いから、説得力が増しているのだろう。
これは、ドラえもんの秘密道具『ジーンマイク』を持っているのと同等ではないか。


・判断基準
筆者には、「損得を判断基準にしない。美醜を判断基準にする」という持論がある。
美しいか、美しくないか。
この観点で、物事を判断する。そういう意味だ。そして、この判断基準を大変気に入ってもいる。なかなか、ステキな持論だと思っている。

言うは易し行なうは難し、だろうが、でも、そういう生き方をしたい。

何年か前に、こんな話を数人で行なっていた。
ワーワー持論が飛び交う。
そんな中でも、例によって佐々木氏は傾聴姿勢だ。話す量より聞く量が、圧倒的に多い。

満を持して佐々木氏が発言した。
声を張り上げたりせず、やや小さな声で、ボソッと言った。

「僕の判断基準は、『最善』です」


唸った。
痺れた。
胸を突かれた。
考えさせられた。

筆者は、このエピソードを、妻と娘に披露した。

名古屋めしにバッドリアクションだったがために、わが家の女性陣には低評価だった佐々木氏。
その佐々木氏の株が、一気にストップ高まで上昇した。

妻と娘まで、痺れている。

妻は、「か~、やられた~」と唸り、
娘は、「凄っ!」と、短く感嘆した。

佐々木氏の名言は、満を持したタイミングの賜物ではない。
その内容も、本物なのだ。


・追加情報
佐々木氏が、ここまでの記事を読み、ちょっとした訂正や、より詳しい解説をLINEでくれていたので、その一部を紹介する。

<その2◆佐々木氏の先見の明>
「宵越しの銭は持たない」というタイプの筆者に、上司としての才能は認めても、経営者としての才能には疑問を抱いたのではないか?」
といったことは、全くありません!
そういったことでお断りさせていただいたということは全くありません!
むしろ独立してスタートスタッフでやるならば、自分も経営に参画してやるものであり、奈星さんに食べさせていただこうとは全く思っていませんでしたので、もし食べていけないならそれは奈星さんの経営力というよりも、自分の実力や補佐力がないからと考えますし…。

この部分は、インタビューの時ににもお話しさせていただいたような感じで、本当に悩んで考えて、考えても答えが出なくて、胸に手を当ててみた時に「あ、こっち(なん)だな」と悟った、なのです。

目の前のことを完了、あるいは一定の形にする、自分がいなくても成果が出るようなものにまだしていないのに、その時点で離れるのは、自分の中にどうしても違和感が残るといいますか、どうしてもそれを拭えなかった。
みたいな感じだったのかなと思います。
奈星さんと自分で迷ったというよりは、
「奈星さんと公(おおやけ)」で迷ったっという感じかもです。

奈星さんの方が「私」ということではなくて、
僕の個人的な希望は「奈星さんに着いていきたい! 奈星さんと一生一緒に仕事がしたい」でしたので、
この僕の希望は、僕の「私」が、大きく入っていたんですよね…。


<その4◆小学校3年生>
「(そんな不名誉なそしりを受けるくらいなら)なら、行くわ…」
この部分は、
自分が自分をどう見るのか、自分がどうありたいのかは、
「そうだな、そういうことなんだな」と、自分でも思ったのですが、

一番は「本意じゃない」で、
自分が想定できてなかったのは、自分の落ち度だった。
だから改める。

みたいな感じで、
「そんな不名誉なそしりを受けるくらいなら」みたいな感じではないんですよね。
奈星さんは同様の意味で、表現していただいたかもと思うのですが…。
『不名誉なそしり』は、なんか他人からの評価っぽいイメージもあるので、そういうのは、僕にとってはそんなに大事じゃないので、
という感じです。


<その5◆ロック>
バンドでは、ロックの曲をやることが多かったのですが、
ドラムからギターへは、ギターの方が目立ってた、はそうなのですが、
だからそっちの方が良い。もっと目立ちたいから、というよりは、
音楽的に「音階楽器」の方が、「音楽を奏でられていいな〜」と思ったからですね
友人のドラマーは、「ドラムも音階楽器だと言いそうですが…」

「自分の、自分たちの音楽」をやりたかったので、
ロックバンドをやってたとか、
ロックバンドをやりたかったわけではないんですよね。
なので、ブルースもやりましたし、テクノっぽいのとか、フュージョンっぽいの、日本のニューミュージックっぽいのもやってました。

まあ、周りから見たら「ロックバンドをやってる」という風に、確かに見えてはいただろうなと思うのですが。
自分たち、僕としては、
「自分の音楽、自分たちの音楽」をやってたという認識でした。


太字にした部分の共通点に、お気づきになられただろうか。

佐々木氏は、他者からの評価を徹底的に気にしない。
しかし、自分がどう思ったのか、どう考えたのか、どう選択したのか、という、自分の意思決定には、その細部にまでこだわる。

徹底的に、主体的なのである。
どんな場合でも、他者のせいにすることはあり得ない。

佐々木氏の微修正コメントは、
全て、【佐々木氏自身の、心象について】だったのだ


筆者も主体的な人間のつもりだ。日々、そうあろうと心がけている。
しかし筆者には、まだ承認欲求があり、捨てきれていない。

この佐々木氏の境地には、まったくもって、至っていない。


・佐々木氏の発言メモを列挙
佐々木氏のインタビューは、おそらく、延べ14時間ぐらいに及んだ。
インタビュー前に、事前インタビューを行なった。インタビューで、どんな質問をするべきかを探るためのインタビューだった。
これが、1時間と少しだった。2時間だったかもしれない。

本番のインタビューが、約7時間。

その本番インタビューの結果、深掘りしたい項目が浮かび上がり、再度行ったインタビューが6時間前後だったと思う。

インタビューでの、佐々木氏の発言の90%を、活字化していない。
このままでは、このぷち伝記。佐々木氏のコメントが10%で終わる。

それを20%にしようと思う。

「」は、佐々木氏のコメントだ。正確には、それを走り書きしたメモの転記だ。
佐々木氏のコメント内の()は、筆者の余計な注釈。
※印は、筆者の思考や発言や釈注となる。


・教育論

「子どもを『育てる』は、間違っている」

「例えば、『良いタネを植えれば、やがて良い花が咲く』みたいな考え方がありますが、この考え方も少し違うと思う」
「そもそも『タネ』は、その子の中にある」
「この『タネ』は、沈黙していて」
「芽が出るには、自力だけではムリで」

「教育とは、『芽が出るように』、援助をするにすぎない」
「教育とは、『育つようにする』、であって」
「(決して)『育てる』、ではない」

「子どもは、『成長したい』し、『成長する』のです」
「しかし、『成長させられたくはない』、のです」

「自ら成長することは『喜び』です」
※成長させられるのは、『苦痛』や『不快』ということだろう。

「(成長には)その子どもの『ありのまま』の『自己受容』が大切」
「他者の評価を気にするのではなく、自分が自分を大切にする」

※この『他者』には、親や教師も含まれるはず。

※ここで、少し「言わせて」と、筆者のヨコヤリ。
※「簡単に『平均以上の上司になれる方法』がある」
※「これは、常々思っている持論で」
※「それは、『何もしない上司』」
※「なぜなら、上司の大半は部下の足を引っ張ったり、やる気を奪ったり、失敗体験を奪ったり」
※「部下の成長にとって、マイナスな言動をしているだけだから」
※「上司が、絶対にやってはいけないのが、部下の『じゃま』」
※「だから、じゃましない上司は、ただそれだけで、平均点以上になる」
※「この、僕の持論に似ている気がした」
※「すみません、言いたかっただけです」

「今まで(の日本)は、【 他者評価 >自己受容(自己評価)】でした」
「ちょうど今は、世の中の価値観が変わりつつあります」

「赤ちゃんって、赤ちゃん自身が『出てくる』のです」
「人生で1番大変なのは『誕生』で」
「これを成し遂げたわが子を見て、『大丈夫!』って、思いました」
「この困難、苦難を! ・・ならもう大丈夫だ、って思ったんです」

「そもそも大丈夫で」
「(例えば)赤ちゃんが立とうとする」
「こてん、となる」
「笑っているのです」
「『立てる』を疑っていない!」

「成長って、自分でするんです」

・アドラー心理学
※1度目と2度目のインタビューの間1週間で、佐々木氏は『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』を読んだ。

「アドラー心理学では、『叱る』ことも『褒める』こともNGですが」
「これには同意です」
「アドラー心理学には納得です」

「しかし、『褒める』は、例外的な使用だけは【あり】だと思います」
「褒めることは【劇薬】なので、細心の注意を払って使用するのです」
「大人の喘息にステロイドを投与し、咳が「ピタ」っと止まった」
「ステロイドは劇薬です」
「同じように劇薬だが、例外的に『褒める』の使用は【あり】です」

「自信を溜める【コップ】が、割れている子どもがいるのです」
「割れているから、自信の溜まりようがないのです」
「そのような場合にのみ、例外的使用の【褒める】は【あり】です」

※ちなみに筆者は、それでも『褒める』ことを否定する考えだ。
※筆者の意見は、アドラー心理学の2冊の本を読んだだけの「机上の論」。


「カウンセリングに、『ユー・メッセージ』はNGで、『アイ・メッセージ』で話すのはOK、ってあるんです」
「ユー・メッセージだと、『あなたは約束を破った』『あなたはひどい』になりますが」
「アイ・メッセージなら、『私は約束が楽しみだった』『私は哀しかった』となり、こちらを選択すべきなんです」

「コーチングも学びましたが、コーチングの理論には、明らかにアドラー心理学が活用されていると思います」
「コーチングでは、その最終段階では、コーチが『何もしない』のです」
「この段階では、褒めるどころか承認もしません」
「自立を目指すという定義も同じです」

「アドラー心理学のいう『他者の目で見て、他者の耳で聞いて』って、本当にそうで」
「これは、単なる傾聴以上が必要で」
「その人の『言葉の定義』があるので、その通訳(翻訳)が必要です」

「不登校の子への対応も、フロイトやユングのトラウマ論は無意味で、カウンセリング界では『トラウマほじり』、と(揶揄)されています」
「アドラー心理学の【目的論】はその通りで、(納得です)」
「経営コンサルタント、角田識之さんの『言葉は建前、行動が本音』という教えがありまして」
「アドラー心理学の目的論と、同じだな、と思います」

「教育改革って、政治や経済と切り離せなく、グランドデザインからの変革が必要です」
「失われた30年って言いますけど、致命的なのは『変化していない』ことです」

※筆者は、2週間前に『超入門 失敗の本質』鈴木博毅著を読んだ。この本では、太平洋戦争の敗因を分析し分かりやすく解説している。
※読後、「変化しなかったから負けたんだ」と思った。
※「アメリカ軍には、変化するという【前提】があった」
※「なのに日本軍は、【型】や【前例】や【成功体験】にこだわった」


その反省が活かされることなく、また30年間、我々は変化を拒んだ。

筆者の世代(50代~60代)は、後世に汚点を残してしまった。
敗戦軍の幹部と同様、この日本を「変化させられなかった」のだから。

話題は、政治論へと移った。


・政治論

「人間のためのルールであって、ルールのための人間ではない」

「今の公務員は、公務員に向いていない(マインドの)人が志し、勤めていると思う」

「セーフティーネットのためのベーシックインカムは、議論すべきと思う」
「いきなり採用するとかだけではなく、(例えば)1つの都市で実験してみるとか」
「0か100かの議論はおかしい」

「スイスのように、政策ごとに国民投票するのは、面白いと思う」
「少なくとも『政治への関心』は高まりそう」

「単なる方法論ですが…」
「参議院を、裁判の裁判員制度と同じように『選出指名制』にするのも、良いかもしれません」
「国民の、政治への関心は高まるはず」
「他にも、
クウォーター制(女性を○%、障がい者を○%、など)とか、年代でそれを考えるとか…」

※筆者は、『政治家60歳定年制』で、政治から老害を排除すべきと思考していた。しかし、政治家が政治家自身を苦しめるルールは作らないだろう、とも思っていた。
※そんなタイミングで、『年金受給者、選挙権終了案』を聞き、それなら自然に、当選者も若返る妙案だと思った。
※以上を、佐々木氏に説明し、見解を求めた。

「面白い発想です」
「しかし、少し刹那的というか、0か100、じゃないんですよね」
「蒼天航路の孫権の口ぐせの、『【要は】って言うな』、が好きなんです」
「それ(政治家60歳定年案や年金受給者、選挙権終了案)なら、割合で工夫する方がイイかなぁ」
「(政治家の)若返りはした方がいいと思います」


「(懸念されている)『衆愚政治』の打破は、国民の政治への関心を高めることが鍵になると思います」

「経済政策の基本は、『じゃましない』ですね」
(市場原理をじゃましないの意味)

「エネルギー政策なども、0か100の議論では本質からそれてしまう」

「外交政策や道州制などは、そもそも、『もう国家という枠組みは要らないなぁ』と、半ば本気で思うんですよね(半笑)」
「ま、すぐはムリでも…」
「(国とかじゃなく)(もう)コミュニティで良いと思う」

「指導者(為政者)は、女性性を(多く)持っている人が良いですね」


・佐々木氏の口ぐせ②

「0か100じゃない」

これが、佐々木氏の口ぐせの2つ目だ。
インタビュー中に、何度も出てきた言葉だ。

第3、第4の案を信じての、
その、より良い案を目指しての議論が、なかなか行なわれない。

議論といえば、
論破したとかされたとか、勝ったとか負けたとか、白か黒か、0か100か、100か0か、

そんな議論ばかりだ。

と、そこに小さな憤り(公憤)を抱いている。

私的な怒りではなく、公の怒りだ。


・佐々木浩喜氏の長所
佐々木浩喜氏の長所をまとめてみよう。

佐々木氏のことが大好きな架空の女性(20代)が、誰かに語る風に書いた。
だから是非、きゃぴきゃぴ口調で、読んでほしい。

イケメンでぇ~、
スピッツの草野マサムネさんにぃ~、少し似ていてぇ~、
歌が上手くてぇ~、
高いキーがどこまでも出るタイプでぇ~、
女性ボーカルの曲を原曲キーで歌いこなしてぇ~、
純粋でぇ~、
「あ、僕は、カシスウーロンでお願いします」という、マイペースでぇ~、
そのマイペースがぁ、許されてしまう雰囲気をまとっていてぇ~、
冷静でぇ~、やわらかい言い方をする方でぇ~、
出世欲など、ほぼほぼ感じないのに出世しててぇ~、
自意識が高くてぇ~、
生徒会長を務めた、つまり、人望があってぇ~、
自然に、無意識に、他者を尊重する方でぇ~、
誠実でぇ~、
飄々としていてぇ~、
淡々ともしていてぇ~、
影響の輪に没頭する方でぇ~、
Win-Winのみに注力しててぇ~、
女性にモテてぇ~(ぷんぷん)、
5年生のバレンタインデーでは、チョコレートを8個も貰ってぇ~、
今なお、女性にモテてぇ~(ぷんぷんのぷん)、
しかも、イイ女にモテてぇ~(半泣きぷんぷん)、
傾聴力が半端なくってぇ~、
女心がわかる方でぇ~、
名言の打率が高くってぇ~、
その発言が重くってぇ~、
判断基準は『最善』っていう~、
承認欲求が、まったくない方、で~っす!

と、こんな風になった。


◆内閣総理大臣に、なれる人物

佐々木浩喜氏は、生徒会長を経験した。
そのときポロっと、「総理大臣になりたくもある」とつぶやいた。

インタビューが進めば進むほど、佐々木氏のコメントを聴けば聴くほど、彼こそがこの国の首相にふさわしいと思った。
これは、おべっかではない。

適任だと思うし、また、国会議員に当選する可能性も高いと思う。
なにより、佐々木氏が指揮を執る日本に、期待が膨らみ、ワクワクが止まらない。

佐々木氏の、その能力を確認してみよう。


⋄イケメン

選挙においては、ルックスも重要になる。
有権者の半数は女性なのだ。

筆者の妻は、小泉進次郎議員に「キャーキャー」騒ぐ。横須賀市をドライブしたときは、それはうるさいくらいだった。

その理由は、小泉進次郎議員がイケメンだからだ。
おそらくは、小泉氏の掲げる政策や主義主張は、あまり知らないはず。

ブサイクよりイケメンが有利なのは、間違いないだろう。


⋄聞き上手

これまでも散々書いてきたが、佐々木氏の「聞き上手」は、半端ない。
その傾聴力たるや、驚愕のレベルにある。

この姿勢や、技術、能力、マインドは、熱狂的なコアファンを獲得するだろう。
そのコアファンは、支援活動を喜んで行なうはずだ。仲間に声をかけ、行動し、汗を流すだろう。

聞き上手は、コアファンの獲得だけではなく、政策にもダイレクトに役立つ。
有権者の声を聴くことは、基本中の基本で、有権者の言葉の意味だけではなく、その発言の背景や、発言に伴う感情や、願いや、希望をまでも、ちゃんと汲み取ってくれることだろう。


⋄語り方

語り方が、すごく良い。
色っぽい。
それでいながら、常に冷静。

その話し方は、いたってソフトだ。

で、粘り強い。
イライラが見えることもない。出すこともない。おそらくイライラしないのだろう。課題の分離を発動していると思われる。

そして、満を持して ビシッ! と決める。

その、名言力。単語のチョイス能力。コピーライティング能力に、かなり長けている。

さらに佐々木氏は、アドリブに強い。

ハプニングにも強い。もちろん、前もって準備する演説も上手いだろうが、アドリブやハプニングには、他の追随を許さないほどの強さを発揮する。

比較が筆者で申し訳ないが、前もって準備する演説やプレゼンならば、筆者が佐々木氏に勝利する可能性もゼロではない。そう思う。

ただし、プレゼン後の質疑応答や、事前準備のできないインタビューなどになると、筆者に勝ち目などあり得ない。1%ない。

佐々木氏の発言の、その説得力は、技術やテクニックではない。
フィジカルとかマインドといった、日々の、毎時毎時の積み重ねの【結晶】なのだ。

一朝一夕にして、出来上がるものではない。

常に『最善』を模索し続けて、数十年経って、はじめて、その境地にたどり着ける。
そのような、高いレベルなのだ。


⋄100%の顧客視点

今でこそ、「顧客満足が大事」と言っても笑われなくなった。
しかし未だに、掲げる「顧客満足」のスローガンが、単なるお題目な企業も多くある。

佐々木氏は、
「『どうすれば売れるか?』ではないんです」
「買うお客様には『買う理由』があるのです」
「売るとか、売れるとかは、売る側の視点です」
「マーケティングも販売戦略も、本当は要らなくて」
「『100%の顧客視点』に立って、考え抜くことなんです」
「これだけで充分なんです」

と、インタビューで語った。

筆者は佐々木氏に「ハイパワーマーケティングという本を読みましたか?」と、質問した。

答えはNO。

佐々木氏は、自身の経験から、ハイパワーマーケティングというベストセラーの本質を確信し、会得していたのだ。

これは、「100%の有権者視点」を持てる、と言い換え可能だ。

そんな政治家が欲しいじゃないか。

そんな首相こそが、望まれているのではないか。


◆日本初、女性総理大臣の参謀

ここまで思考して、佐々木氏の『2つの優れた資質』が残されていると思った。

1つは、参謀向き、という資質。
もう1つは、女性や女性性を良く理解している、という資質。

この2つの、特筆すべき資質を使わないのは勿体ない。

そして、数秒思考し、閃いた。
佐々木氏は、日本初となる【女性総理大臣の参謀】にこそ相応しい。


ここからは、【日本初の女性総理大臣】になろうと思っている、

あなた!

に、向けて書く。


⋄参謀としての能力

先に上げた、総理大臣になれる要素が、『日本初の女性総理大臣誕生』に、そっくりそのまま役立つ。

当人が、なれるほどの人物だ。首相に相応しい能力の持ち主だ。

その能力で、あなたをバックアップする。

今一度、その6 を読み返してほしい。

あなたを総理大臣にするために、その【影響の輪】に没頭する佐々木氏だ。
これほど頼もしい参謀はいないだろう。


⋄万が一、危機に直面した時の対応能力

あなたは、内閣総理大臣に任命されて、そこで終わりではない。
そこから始まるのだ。

あなたが任命した大臣が失言し、マスコミから叩かれるかもしれない。

今一度、このぷち伝記の前半を読み返してほしい。

債権者集会での説明。
誰にでもできると思うか。
あなたの側近に、できる人はいるか。

わが子の、人生をかけた大学受験が控えているという、その保護者の憤り。
100万円近くの金銭的損害がある。その怒り。
契約するときは超熱心だったのに、という哀しみ。

どう向き合って、どう話せば良いのか。
前例もない。経験もない。

それを、見事にやってのけた人物だ。


ワイドショーでの記者会見はどうだ。
謝罪会見は、ことごとく逆効果の会見ばかりではないか。

「自分ならできるか?」と、自問してみていただきたい。
あの窮地を、きちんと対応できるだろうか。

おそらくは、 「こうするべき」と、もっともらしいことを言って近づく輩がいるだろう。
「謝罪会見のやり方を教えます」という、コンサルタントの広告を見たことがある。

勝手な想像で、間違っていたなら申し訳ないが、
「謝罪の頭の下げ方は、何度で、何十秒で」、とか、
「髪は黒く染めて」とか、

そんな、表面的な事しかレクチャーできないのではないだろうか。

その薄っぺらさがバレて、視聴者に伝わってしまい、逆効果会見が量産されているのではないか。

そのコンサルタントなら、本当に素晴らしい謝罪会見ができるのか?

わかると、できるは、違う。
また、本質が”わかっている”とも思えない。

佐々木氏なら、そのときの最善を選ぶだろう。
佐々木氏は、本心を伝えるだろう。
決して、誤魔化したり逃げたりはしない。

だから、おそらくは、ピンチをチャンスに変えるだろう。


佐々木氏は、そのときの記事を読んで、すぐにコメントをLINEでくれた。
そのコメントを、コピペして紹介する。

その3 への、佐々木氏のコメント(LINE)
他人のことだとスゴク嫌そうなことでも、これが自分に巡ってくると、
影響の輪(課題の分離)と、プラス思考と、
事実は事実のみと捉え、
解釈の選択、などが、思いっきり発動されて、

なんなら、そのことが僕にとっては凄いポジティブなことに思えたり、凄いチャンスに感じられてきちゃうんですよね〜
僕、自分が嫌なことにはメッポウ弱いので、自分が嫌なことなら全然出来ないし、「嫌なことに強い」では、全くないのですが…

影響の輪に没頭すればいいと、わかる人。
プラス思考をすればいいと、わかる人。
事実は事実のみと捉えて、解釈を選択するのだと、わかる人。

「わかる人」は、探せばそれなりに見つかるだろう。

しかし、これが「できる人」は、そうはいない。

有能な秘書が欲しい、あなた。
総理大臣を志している、あなた。

連絡いただければ、本人に伝えますよ。


◆あとがき

・ギフテッド
つい数日前に、【ギフテッド】という単語をはじめて聞いた。

ギフテッド(Gifted)、知的ギフテッド(Intellectual giftedness)とは、先天的に、平均よりも、顕著に高い知性と共感的理解、倫理観、正義感、博愛精神を持っている人のこと。外部に対する世間的な成功を収める、収めないにかかわらず、内在的な学習の素質、生まれつきの高い学習能力や豊かな精神性を持っているということである。引用:Wikipedia

知性や能力が高すぎる人のことらしい。

このサイトは、見出しだけでも良いので見てほしい。
2ページあるので、2ページ目も、見てほしい。見出しを眺めるだけでも良い。


ここにリンクを貼り、紹介する理由は、

・・・そうなのだ。

佐々木浩喜氏は、ギフテッドだった可能性が高い。


・唯一、心配な所
僕は、2025年1月。マラソン大会(10㎞)に出場する。
僕は、2026年夏。富士登山する。
僕は、何年かかけて、フルマラソン完走を達成する。

佐々木君。
一緒に走らないか。
一緒に富士登山しないか。

なぜかって?

佐々木君は、運動不足だと思うからさ。








PS. 僕のKindle本 ↓『いいかい、タケルくん』【考え方編】です。


読むと、恋人ができてしまう自分に変わります。

「考え方」ですから、若者だけでなく中年にも初老にも参考になります。

人生100年時代。
40代、50代、60代、70代でも、恋は必要です。(僕の主観です)
そばにいるパートナーは必要です。(僕の感想です)


いずれにせよ、Kindleアンリミデッド会員でしたなら、無料で読めます。

ご一読いただけたら幸いです。

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