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第101話 マナカナ


ゆかりちゃんが、「同僚たちの夫も、じょーじと同じだって~」と言った。

「ケンカになると、理屈で攻撃してくるって」

「だからみんな、黙るんやって~」

「特に油谷(仮名)さんのご主人は、聞くともう、じょーじにソックリ!」

・・・嬉しそうだ。


「マナカナはウケたよ~」

「そんなんで怒る?って、みんな不思議がっていた」

「我が家では、じょーじの怒りレベルが、1位か2位の出来事だったのに」

「みんな、そんなんでケンカになるの?って言ってた~」

・・・おいおいおい。


ゆかりちゃんは、僕の長い話しは聴いてくれないので、文章で解説をする。



◆僕の語っていた話

こどもの頃の、思い出話をしていた。

もの心ついてから小学3年生の1学期まで、僕の家の近所に双子の女の子がいた。その子のお兄ちゃんと、僕のお姉ちゃんが同級生だから、母親同士が仲良くなったのだ。

双子の女の子は、ゆきちゃんとゆりちゃん。ちなみにそのお兄ちゃんの伸ちゃんは運動神経抜群で、僕たちのヒーローだった。

男と女だから、そうしょっちゅう遊ぶわけではないが、伸ちゃんのお母さんがうちに来ると、ゆきちゃんゆりちゃんもついてきた。

小学2年生。ふすま一枚隔てて親がいるのに、お医者さんごっこをしたときは、メチャクチャどきどきした。少し気の強いゆりちゃん主導だった。

僕は、やさしいゆきちゃんの方が好きだった。ただこれは、ふたりを比べればであって、恋ごころが芽生えたとかではない。

ふたごでも、何度も会っていると違いがわかるようになる。顔もほんの少し違うところがあるし、性格はかなり違うと思った。


僕は小学3年生の夏休みに引越しした。市内の北の外れの小学校へ転校したのだ。だから、それっきりゆきちゃんゆりちゃんには会わなくなった。

僕が高校3年生の時、高校2年生のゆきちゃんゆりちゃんと再会した。

めちゃくちゃ美人になっていて、すごくびっくりした。

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カワイイのレベルが【学年1位レベル】だ。【クラス1位レベル】ではない。学年や学校レベルだ。ちょっとやそっとの可愛さではなかったのだ。そして双子だ。一卵性双生児だ。あたりまえだが、ふたりともメチャクチャ可愛いのだ。高校の同級生の男子が、相当ざわついたと想像できるし、そして少しうらやましい。

(お医者さんごっこ、おぼえているのかな)と、高校生の僕には、とにかくそれが心配だった。言い出されたらどうしようという焦りと、かわいいのが嬉しいやら誇らしいやら。複雑な感情がないまぜになって、まともに会話ができなかったのだ。

大人の今なら「またやらない?」ぐらい言って、「エッチ~!!」とか「キモイ~」とかの笑いを取るとこだが。



◆かわいい?

上記の僕の話は、最後の

(お医者さんごっこ、おぼえているのかな)と、高校生の僕には、とにかくそれが心配だった。
大人の今なら「またやらない?」ぐらい言って、「エッチ~!!」とか「キモイ~」とかの笑いを取るとこだが。

ココは、ゆかりちゃんに語っていない。語れなかったのだ。

ゆきちゃんゆりちゃんが【メチャクチャにかわいい】の例えに、僕がマナカナを出したからだ。

「もう、マナカナぐらいに、むしろそれ以上に可愛くってさぁ~」

「ん? ・・・マナカナって可愛い?」


「・・・ん、まあ可愛いやん。で、それ以上に、もうメチャクチャ可愛くって、それこそ芸能界からスカウトあってもおかしくないくらいで・・・」

「わたし、マナカナって、たいして可愛いと思わないんだよね~」


・・・オチの直前や。

(お医者さんごっこ、おぼえているのかな)と、高校生の僕には、とにかくそれが心配だった。

って言わせろ。


【マナカナみたいに可愛い】の【可愛い】を否定されたら、高校生のオレは、たいして可愛くもない女の子に再開してドキドキしたという、変な話になるじゃないか。


「マナカナはたいして可愛くない」と言ったゆかりちゃんの意見に怒ったんじゃない。

なんで、そんなことを今言うの?、というタイミングだ。

ただ、このタイミングには少しイラっとしただけだ。怒ったのはしつこかったからだ。

「マナカナはタレントだし、可愛いでイイやん。でね、その双子が・・・」

「でも、私は可愛いって思わないんだよね~。昔からなんだよなぁ」


持論は後で良くないか?

いま、オレの話途中だし。っていうか、オチの直前だったし。


もう、この話は、無理やりオチを話しても笑いにはならない。

大人の今なら「またやらない?」ぐらい言って、「エッチ~!!」とか「キモイ~」とかの笑いを取るとこだが。

こんなことを言う雰囲気ではなくなった。


僕が怒った理由は、話の腰を折り、かつそれがしつこかったからだ。

「空気読めよ」だったのだ。



◆さらに

そして、プラスαがある。

僕は、日頃から、折に触れ注意していた。

ゆかりちゃんがテレビに出ている女性を「ブス」「ブサイク」「たいして可愛くない」ということを。すれ違う女性のことも、ちょくちょくディスる。

娘のるうちゃんまで同じことを言う。ゆかりちゃんの影響だと思う。

「世間は可愛いって言うけど、わたし、たいして可愛いって思わん」

「わかる~」

「やら~」


僕が注意すると、「家庭以外では言わないから大丈夫」と屁理屈を言う。

それを言って、誰が幸せになる?

少なくとも僕は不愉快になる。そして、「だから言わないで」と伝えている。僕は、ブサイクコンプレックスを抱えて思春期を過ごしたから、そんなことを言って欲しくないとも説明した。

体重とか成績とか、当人が努力で改善できることを非難するのは、まだほんの少しだけマシだろう。だが、当人の努力ではいかんともしがたいことをディスるのは、極端な例で言えば身障者をバカにするのと同じだ。

貧乏な家庭の働き手に「やーい、貧乏」はまだマシだが、その子どもに「やーい、貧乏」は、それは言っても、思ってもいけない。子どもは、その貧乏を改善できないからだ。

容姿だって、改善はできない。ブサイクに生まれたくて生まれる人はいない。


そんなことを、これまでも何回も注意して、少なくとも僕は聞くと不愉快だと伝えてきたのだ。

「自分が、どんだけキレイだと思ってんの」と、何度もたしなめた。


それを、まだ言う?

それを、オチの前に言う?


軽く流そうとしたのに、しつこく「可愛くない」と繰り返す?


「じゃあ私は、思ったこと言っちゃアカンの!」って逆切れする?


じょーじは、仏ではありませんから怒ります。

たとえ仏でも、これは怒ります。



◆思っているだけは良いのか

『塩狩峠』や『泥流地帯』などの名作を書いた三浦綾子さんの小説で学んだ。

「行なう罪」と「思う罪」は同罪と。

少なくとも、キリスト教ではそういう教えがあるらしい。男が「あの女性を抱きたい」と思ったのなら、その罪は実際に強姦した者と同罪だと。

正確ではないかもしれないが、そいうことを小説を読んで知り、なんて厳しい教えなんだろうと、20代で考えさせられた。


今の僕はこう考える。

言えないようなことを思う。例えば「マナカナは可愛くない」と。

言わなくても、自分の脳には記憶される。心には刻まれる。【自分が美しくない心を抱いたこと】を。

「死ね」とか「きえろ」とか「ブス」とか、そういう汚い言葉を使う人は、顔がだんだんと醜くなる。

例え言葉にしなくても、思えば自分には聞こえる。つまり、思っているだけでも、顔がだんだん醜くなる。

「あの人はたいして可愛くない」とか「あの人は皆が言うほど可愛いと私は思わない」なんて、思ってもダメなのだ。

口に出さなかったとしても、思うだけでもダメなのだ。

それでも思ってしまったら。【思うだけにしておけ】だ。

【いかん、いかん、いまの無し】と念じろ。


大事な人の顔が醜くならないように忠告するのは、僕は、普通だと思う。

大事じゃない人なら、ちゃんと伝えるのが大変だし、誤解されるだろうし、ありがた迷惑だろうし、だから言わない。


このことは、けっこう大事なのだが「思ったこと言っちゃあかんの」「外では言わんもん」と言って、なかなか僕の本心を伝えられなかった。



◆結論

このような、長~い長~い説明の要する【夫婦げんか】を、ゆかりちゃんは同僚に

「マナカナを、たいして可愛いって思わんって言ったら、じょーじが切れるの~」

「なんか言うと、何倍も理屈が返ってくるから、黙るしかないの~」

と同僚に言ったらしい。


省略し過ぎ!


あと同僚は、基本「そうそう」とか「そう思う」とか「私も~」って、そう言うさ。

本心では(マナカナ可愛いよね~。ゆかりさん、どんだけ自分を美人って思ってるのだろう)って思っているかもしれないよ。


あと、やっぱりマナカナは普通に可愛い。美人だ。

そして、ゆきちゃんゆりちゃんは、それと同等か、それ以上に可愛かった。



でも僕は、そんなことを同僚に言うゆかりちゃんでも、

僕の話のオチの直前に「マナカナは可愛いと思えない」というゆかりちゃんでも、

そんなところもひっくるめて、とにかくゆかりちゃんが大好きなのだ。







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