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言わないけど、ご近所さんのお父さんに言いたい!「答えを教えないで!」って

どうしても言いたいことがあります。
ガマンできなくなってしまいました。

その人に直接言うワケにはいかないので、このnoteに書きます!
その方に届けたいのではありません。(お互いに名前も知りません)

書いて、僕が少し、スッキリしたいだけです。

結論は、「答えを教えないで!」です。

◆トレーニング(事象①)

もう、何年も見てきました。

ご近所のお父さんが、朝、息子さんに野球のコーチをしているのです。
その親子は、おそらく7時ちょっと前から練習を行ないます。

前は、兄弟2人に、お父さんはコーチしていました。
お兄ちゃんは少し運動が苦手な様子で、お父さんは明らかに、弟くんへの指導に集中しています。なんならお兄ちゃんは、球拾いなどの雑用係です。

やがて、お父さんと弟くんだけしか来なくなりました。
さらに数年が経過し、その背格好から弟くんは、現在小学4年生前後だと思われます。


◆トレーニング(事象②)

そのお父さんの、コーチの手法は、「しゃべりまくる」です。

キャッチボールもトスバッティングも、1球1球、手を止めて解説します。
身振り手振りをして、「違う! こうだ! お前のはこうだ!」と言います。

何球かに1回ではなく、つどつどしゃべります。

おそらく、そのお父さんは、投げるにしても打つにしても、ちゃんと勉強をしていて、その技術論に自信があるのでしょう。

ただ、練習中の弟くんの表情はさえません。
楽しくなさそうです。

僕は、よく続くなぁ、と感心しきりでした。
よっぽど「上手くなりたい」と、強く思っているのでしょう。

今現在、弟くんのバットスイングは、小学生レベルとは思えません。
もの凄い鋭いスイングです。

少年野球レベルではなく、リトルリーグのレベルなのでしょう。


ある日、たまたま別な野球ママさんも、息子さんを連れて、同じ公園に来ました。子どもは小6か中1かな、という体格です。

このお母さんも同じ!

1球1球、手を止めて解説します。
身振り手振りをして、「違う! こうだ! お前のはこうだ!」と解説しまくるのです。


◆じょーじの検証(思考、想像、予想)

1.お父さんの真の目的

「野球が上手くなりたい」、あるいは「プロ野球選手になりたい」という、わが子の目標への援助

お父さんは、そう言うでしょう。また、本心からそのつもりでしょう。

でも、それはウソです。
潜在意識には別な【本心】が隠れていると、僕は思います。

「オレが上手くしてあげた」
「オレが育てた」
「オレがコーチしたからだ」

という思いです。

弟くんが活躍したときに、鼻高々になりたい。
周りから「すごい」とか「さすが」とか言われたい。

実は、「息子のために」と言いながら、あなたが『主』でしょ。
あなたの自己実現や承認欲求を満たすことがメインでしょう。

違いますか?


2.手段について

こうしろという、命令。
こうすれば打球が飛ぶのだという、答え。
こうすれば、投球が速くなるという、答え。

一生懸命、わが子に答えを教えています。

僕なら、答えは教えません。
ちなみに僕は、答えがあるとも思いません。

もし答えがあるとするのならば、それは、野球少年の数と同じだけ 答えがあるのです。
1人1人に、違う正解があると思うのです。


3.未来を想像

やがて弟くんは成長します。
中学、高校と、環境が変化します。

そこには、指導者、監督、コーチ、先輩がいます。

おそらく、みんな言うことはバラバラでしょう。
同じことを言うとしたならば、それは、基本中の基本だけでしょう。

僕がしてしまう想像の中で、1番怖ろしいのは、
弟くんが受け身になることです。

野球とは、誰かが教えてくれるもの。
練習とは、言われたとおりにトレーニングするもの。

このような固定観念が、弟くんの無意識層に形成されることです。
この場合、望む結果が出なかったときに、人のせいにしたくなります。

誰かのせいにしてしまう。
そうなる確率を上げているように思うのです。

もう1つ怖ろしい想像があります。
それは、いつか弟くんが「野球が楽しくない」ってなっちゃうかも、という想像です。


◆Learn how to learn(学び方を学ぶ)

今、教育現場での最先端の考え方は、答えを教えない、という考え方です。

Learn how to learn(学び方を学ぶ)

シリコンバレーで大人気のITスクール、『ホルバートン・スクール』のコンセプトです。

答えを学ぶのではなく、学び方を学ぶ。

ですから、このスクールには、先生も教科書もありません。
いきなり仕事を与えられ、メンターという先輩がサポートにつきます。

メンターは、答えを教えてはくれません。
答えではなく、『問いの立て方』『調べ方』『聞き方』『対処の仕方』などという、答え以外を教えてくれるのです。

このスクールの卒業生が、Googleやアップル、マイクロソフトなどに引っ張りだこだそうです。


『学び方を学ぶ』

この発想は、いろいろと転用が可能です。

・練習方法を練習する
・調べ方を調べる
・勉強方法を勉強する

僕のオススメは、考え方を考える です。
「この考え方でいいだろうか? 別な考え方はないかな?」という思考です。


野球の練習でも、もしわが子が「上手くなりたい」と言ったなら、

親「そうか。どうすれば上手くなるだろうか?」
子「え~、わからないよ~」
親「そうだね~。難しいね~。でも考えてみようか」
子「考えるの~?」
親「そうさ。まず考えてみようよ。どうすれば上手くなるかなぁ」
子「練習する!」
親「そうだね! 確かに練習した方がイイネ!」

こんな会話からスタートしたい!

練習方法も親が調べるのではなく、子どもが調べた方が断然イイ。
調べることが上手くなることは、シリコンバレーでも重宝されるのですから。

ちなみに僕は、このような受け売りを披露したいのではありません。
以降、順に、ご説明いたします。


◆僕に、語る資格があるのか

日本人は「何を言っているのか」ではなく、「誰が言っているのか」を気にすると、よく言われます。
僕も、確かにそうだなぁと思うことが、多々あります。

なので、不本意ですが説明します。

僕の実の娘は、公立高校から早稲田大学に現役合格しました。
その理由は、娘が努力したからです。
その努力は、別れた元妻が娘を愛し、様々なサポートを行なったからです。

だから、僕の手柄はゼロです。

ただ、僕と先妻には共通認識がありました。この共通認識を説明したいと思います。それは、

「答えを教えることに価値はない」
「勉強は【やり方】が大事」
「そのやり方も、人によって合う合わないがある」
「やり方さえも、自分で試し、自分で見つけ出すもの」
「親が、指導とか教えるなんて、おこがましい」(マイナスしかない)
「できることはサポートのみ」

というものです。
ひと言で言うならば、Learn how to learn(学び方を学ぶ)です。
正確には、学び方を自分で見つける、です。


当時、Learn how to learn(学び方を学ぶ)という言葉を、僕たちは知りませんでした。(まだ、なかったかも)

しかし、自分自身の体験から、この考え方の有効性を、強く確信していたのです。


◆僕ならば…

僕がわが子に、野球のコーチをするのであれば、以下のように心がけます。

1.絶対条件は【楽しい】

「野球は楽しい」 ここを譲らない、と心に決めます。
子どもが野球を楽しんでいるか。これが最重要です。

子どもにも、「楽しくなかったらやめてイイのだよ」と説明します。


2.目標をわが子と共に確認する

親子で、野球のトレーニングをする。
これは子どもが、「野球が上手くなりたい」と望んでいるからでしょう。

ではなぜ、上手くなりたいのでしょうか。

・レギュラーになりたい
・チームで1番上手くなりたい
・甲子園に行きたい
・プロ野球選手になりたい
・メジャーリーガーになりたい

このような欲求や目標があると想像できます。

もし、子どもの望みがプロ野球選手以上ならば、「ケガをしない身体作り」が、最優先になるのかもしれません。

なるべく早くレギュラーになりたい、という欲求ならば、身体作りより技術トレーニングの方が有効でしょう。

この場合も重要なのは、親が誘導してはイケません。
少々遠回りしても良いのです。

子どもの考えや思いを尊重しましょう。
間違いや失敗や、遠回りからしか学べないこともたくさんあります。


3.サポートに徹する

僕ならば、子どものサポートに徹します。
見ていてほしいのならば、見てあげます。

動画で撮って欲しいなら、撮影担当になります。

トスもします。球拾いもします。

子どもの考えたトレーニングを支援します。
理想は、その支援さえも、子どもの指示で動きたいですね。


◆結論

余計なお世話だと、そう理解していますので、その方には何も言えません。
言うつもりもありません。

考えないようにもしていました。

しかし、何年も、【指示・命令・解説系】のコーチを見続けてきました。
さらには、別なお母さんまでが【指示・命令・解説系】のスパルタコーチでした。

多くのママさんに、そして、パパさんに言いたい!

野球を『勉強』に置き換えて、考えてみてください。

「答えを教えないで!」

僕は、これを、声を大にして言いたいのです。


◆〆

ゆかりちゃんが、

「そういうじょーじは、私にはいらんアドバイスするやん!」

と、不満を抱くかもしれません。


僕、ちょっと、分かったのです。

僕とゆかりちゃん。
僕たちは、それぞれ別な【個人】です。

でも夫婦って、『個人の幸せの追求』じゃ、おかしいですよね。
アドラー心理学のアドラーの言葉を借りれば、
夫婦とは、『僕たちの幸せの追求』をする、共同体です。

主語が、ではなくWeだと、そうアドラーは教えてくれました。

なので僕たちは、理想や目標や理念の共有が必要なのです。
アドバイスをしているのではなく、「こういう考え方ってどう?」と、
僕は、提案をしているのです。


久しぶりに、小難しいウンチクを書いてしまいました。
ゆかりちゃんが、眠くなっちゃう記事です。

でも、
僕は、そんなゆかりちゃんも大好きなんやで~。





おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第739話です

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