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ジャンボ堀さんに会いたい〜1980年代の女子プロレスが面白い

1980年代の全日本女子プロレスに断然、興味があります。

生で見た世代ではないので、当時の時代背景や会場の様子を体感しているわけではありません。

しかし、女子プロレスの選手OGのインタビュー文献などを読むと、タイムトラベルして生観戦したくなるほどムズムズするのです。

長与千種さんとライオネス飛鳥さんのクラッシュギャルズ、ダンプ松本さん率いる極悪同盟が1980年代の全日本女子プロレスの代表的なメンバーでしょうか。

テレビによく出てくるジャガー横田さんはそのちょっと前の世代で、北斗晶さんは1980年代終盤から1990年代にかけての選手です。

私は、当時の女子プロレスラーで、ジャンボ堀さんという選手OGとお会いしたことがあります。ジャンボさんは覚えていないかもしれませんが、プロレスラーに畏敬の念を抱く私はしっかり覚えています。

ジャンボ堀さん

ジャンボ堀さんは1978年、16歳でプロレスデビュー。180センチという大柄な体格を活かしたワイルドなファイトと、アイドルでもやっていけそうな見た目で、徐々に人気を獲得していきました。同期にはデビル雅美さんがいるそうです。っていうか人の名前に「デビル」ってすげーな(^_^;)

ジャンボさんは1979年に新人王決定トーナメントで優勝すると頭角を現し、1980年にはミミ萩原さんとともにアメリカ映画に女子プロレスラー役で出演します。

1981年、ナンシー久美さんとのペアで第73代WWWA世界タッグ王者となります。

1983年からは大森ゆかりさんと「ダイナマイト・ギャルズ」というペアを結成し、再びWWWA世界タッグ王座のベルトを奪取すると、クラッシュギャルズや極悪同盟のチャレンジを受けて勝利し、タイトルを防衛しました。

ここまで、女子プロレスを知っている人ならそうそうたる名前がたくさん出てきましたね。そういう人たちと、ジャンボ堀さんは戦ってきたのです。

当時のフジテレビの女子プロレス中継でも活躍の様子が放映されていました。

しかし、どーも、クラッシュやダンプ松本さんという名前と比較すると、一般大衆への知名度は高くないと思われます。

でかいし、強いし、ルックスもいいのに、なんか地味。

ジャンボさんの心のうちには、どんな想いが秘められていたのでしょうか。

葛藤JAPAN。

持病の腰痛もあり1985年に引退したジャンボさん。私がジャンボさんと会ったのは、それからずっと後、ジャンボさんが都内で飲食店を切り盛りしている頃でした。ジャンボさんは「いつでも来てね」と誘ってくれましたが、とうとう、お店には一度も出かけることができませんでした。

私は現在、心身を病んでしまい、日々を休養に充てています。

そんな時に、1980年代の女子プロレスに触れた書籍『プロレス少女伝説』(井田真木子、著)や『1993年の女子プロレス』(柳澤健、著)『吉田豪の最狂全女伝説』(吉田豪、著)を立て続けに読む機会ができ、2023年の現在において、1980年代の女子プロレスが見たくてワクワクが止まらなくなってしまったのです。

ジャンボさんはいま、都内の別の飲食店で働いているようで、会いに行きたいのですが、なんかこう、躊躇してしまいます。

自分が精神的に参っている時に「ジャンボさーん!」って会いに行くと、緊張してしまいそうだし、あとで疲れが出てしまうのではないか、とか、いろいろネガティブな思考に襲われて、ため息ばかり。

でも会いたい。

葛藤JAPAN。

10代中盤から20代前半までの多感な時期を女子プロレスのリングに捧げたジャンボさんにたっぷり話を聞いてみたい。

その気持ちが実現するように、まずは心身の調子を整えないと。

っていうか、そんなにかしこまらなくても、電車に乗って、てくてく歩いて、お店に行って「ジャンボさーん!」って言えばいいんだけどね。

こうやってnoteに書くと目標が実現するかもしれないと思って、この記事を書きました。

ジャンボさん、待っててね。

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