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一遍上人語録 別願和讃(7)

始の一念よりほかに 最後の十念なけれども

念をかさねて始とし 念のつくるを終とす

おもひ尽きなんその後に はじめおはりはなけれども

仏も衆生もひとつにて 南無阿弥陀仏とぞ申すべき

(意訳)
今現在、南無阿弥陀仏と一度称えること、死ぬ間際に十回念仏が
なかった(できなかった)としても、かまわない。
一念一念を思いを込めて重ねる生活をして、称え尽くした時が、命の終わりとなる。
南無阿弥陀仏と念仏を称え尽くしてしまえば、南無阿弥陀仏の名号と一体になる。
その後は、仏の世界、始めも終わりもない。
仏と衆生は一つ、ただ、南無阿弥陀仏というだけになる。

一遍在世時の浄土信仰では、「死ぬ間際に念仏を十回唱えよ、そうすれば阿弥陀如来の来迎がある」と、説かれていたようだ。
しかし、死ぬ間際の苦しい時に、そんなことが出来るかどうかはわからない。
一遍上人は、特別にそんなことをするよりも、日々、丁寧に南無阿弥陀仏と称えること、そうすれば、必ず阿弥陀如来の他力不思議の御力で、必ず救われると説く。

この教えだけでも、いつ、どんな状態で死ぬかわからない私たちは、救われるのではないだろうか。

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