紫式部日記第32話五日の夜は、殿の御産養。
(原文)
五日の夜は、殿の御産養。
十五日の月曇りなくおもしろきに、池の汀近う、篝火どもを木の下に灯しつつ、屯食ども立てわたす。
あやしき賤の男のさへづりありくけしきどもまで、色ふしに立ち顔なり。
主殿が立ちわたれるけはひおこたらず、昼のやうなるに、ここかしこの岩の隠れ、木のもとに、うち群れつつをる上達部の随身などやうの者どもさへ、おのがじし語らふべかめることは、かかる世の中の光出でおはしましたることを、陰にいつしかと思ひしも、および顔にぞ、すずろにうち笑み、心地よげなるや。
まいて殿のうちの人は、何ばかりの数にしもあらぬ五位どもなども、そこはかとなく腰うちかがめて行きちがひ、いそがしげなるさまして、時にあひ顔なり。
※屯食:握り飯。身分の低い者たちに供する食事。
※さへづりありく:声高く、早口な話し方。下賤の者や地方出身者の話し方。
※時にあひ顔:晴れがましい出来事に立ち会えたという、うれしげな顔。
(舞夢訳)
ご誕生五日目の夜は、道長様が主催なされる御産養になります。
十五夜の月は、全く曇りが無く輝いていて、お屋敷の池の水際近くには、篝火をいくつも木の下に灯して、下々の者たちには、握り飯などの軽食がずらりと並べられています。
身分の低い者たちは、よく聞き取れない早口や、地方の言葉であれこれと話していますが、その顔つきまでが晴れがましく見えます。
内裏から来た主殿寮の役人たちが、松明を手にして隙間なく並ぶので、まるで昼間のように、お庭は明るくなっています。
そのような明るさに包まれて、あちこちの岩の陰や木の根元に上達部の随身が控えております。
彼らが互いに話し合っていることは、「このような世の光と思えるような親王様がお生まれになることを、陰ながら心待ちにしていたのです。その念願がかないました」などで、とにかくうれしそうに、微笑んでいます。
ましてや、御殿の中にいる人々は、それほどの身分でもない五位の者たちまでが、何とはなしに、会釈しながら行き来してみたり、忙し気に振舞ってみたりで、とにかく素晴らしく晴れがましい出来事に立ち会えた、そんな幸せな表情なのです。
紫式部日記は、皇子ご誕生五日目の、藤原道長主催の御産養の記述に入った。
まずは、当日の月夜の素晴らしさと庭の様子。
お屋敷には昇れない、庭にいる下々の人の様子や軽食の準備。
その他に随身の様子を記述。
屋敷に昇って、まず五位の人々の様子を記述する。
ただし、五位の人々と言っても、当時の庶民からは、手が届かない貴族階級である。
また貴族の家に生まれたとしても、よほど上位の貴族の失脚が続かない限り、五位になどは、なれなかった。
現代以上に、身分差別、生まれた家の差別が厳しい時代なのである。
ただ、現在でも京都では、「生まれた家」「住んでいる地域」での差別が、厳然と残っている。
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