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一遍上人語録 別願和讃(5)

自性清浄法身は 如々常住の仏なり
迷ひも悟りもなきゆゑに しるもしらぬも益ぞなき

万行円備の報身は 理智冥合の仏なり
境智ふたつもなき故に 心念口称に益ぞなき

断悪修善の応身は 随縁治病の仏なり
十悪五逆の罪人に 無縁出離の益ぞなき

名号酬因の報身は 凡夫出離の仏なり
十方衆生の願なれば 独りももるる過(とが)ぞなき

(意訳)
自性清浄法身とは、清浄であり宇宙の真理そのものである仏のことであり、それは永遠に不滅である仏である。
この仏は、人間の世界の迷いとか悟りとは無関係な理論上の仏であるので、知っていても知らなくても、何の益も発生しない。
万行円備の報身とは、全ての修行を実践され、その徳を身につけた報身仏のことであり、悟りの真理と知恵が合わさって一つとなった仏である。
全ての徳そのものの仏であるため、現世には降りてくることはなく、そのため凡夫がどれほど心に念じて口でその仏名を唱えても、救いにくることはなく、何の利益もない。
断悪修善の応身とは、悪を絶ち、善根を修めた応身仏のことであり、様々な縁により心の病をなおす仏である。
しかし、十悪五逆の罪人である私たちのような凡夫には、縁なき衆生では苦海から救われるような益をもたらすことはない。
(応身仏は、悪を絶ち、善を行うように指導する仏であるから、我々のような、どれほど立派な指導を受けても理解ができず、結局、常に罪を犯し、迷ってしまうような凡夫には無縁の仏なのである)

名号酬因の報身とは、南無阿弥陀仏の名号をとなえれば必ず救いとると誓われ、仏となられた阿弥陀如来のことであり、私たち凡夫を救っていただける唯一の仏である。
そのうえ、全ての衆生を救うという悲願であるので、一人もその救いから漏れることはない。

理論上だけの法身仏、万徳だけの報身仏、善人だけを救う応身仏では、我々のような罪と迷いから抜けきれない凡夫には何の関係もない。

理論が素晴らしいといっても、理解ができず
徳目が素晴らしいといっても、程遠すぎる
悪を絶ち、善を修めろと指導されても、結局はやりきれない。

そんな私たちが必ず救われるのは、阿弥陀如来の誓願に基づいて、その名号を唱えることだけ、原文は理解が難しいけれど、おそらく、この趣旨であると思う。

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