紫式部日記第126話斎院に、中将の君といふ人はべるなり(1)斎院と中宮御所の女房の違いについて

(原文)
斎院に、中将の君といふ人はべるなりと聞きはべる、たよりありて、人のもとに書き交はしたる文を、みそかに人の取りて見せはべりし。いとこそ艶に、われのみ世にはもののゆゑ知り、心深きたぐひはあらじ、すべて世の人は、心も肝もなきやうに思ひてはべるべかめる、見はべりしに、すずろに心やましう、おほやけ腹とか、よからぬ人のいふやうに、にくくこそ思うたまへられしか。文書きにもあれ、
 「歌などのをかしからむは、わが院よりほかに、誰れか見知りたまふ人のあらむ。世にをかしき人の生ひ出でば、わが院のみこそ御覧じ知るべけれ。」
などぞはべる。

※斎院:賀茂の斎院。賀茂神社に仕える未婚の皇女または女王。この紫式部日記の時は、村上天皇皇女の選子内親王。円融天皇から、後一条天皇の御代まで57年務め、大斎院と称された。
※中将の君:斎院の女房。斎院長官源為理の娘。紫式部の弟の恋人説がある。
※心も肝も:思慮、分別。
※おほやけ腹:他人が悪いことをしたと聞き、第三者である自分が立腹すること。公憤。
※よからぬ人:下賤な人。

(舞夢訳)
斎院に、中将の君とおっしゃられるお方がいるとお聞きしていて、少々つてがありまして、この方が他の人に送った手紙を、ある人が内緒で手に入れて、私に見せてくれたのです。
とにかく艶っぽい雰囲気で、この私こそが世の中で、ただ一人ものの趣を感じ取ることができる繊細な心の持ち主であって、世間の他の誰も、私とは比べものにはならないでしょうと、自分以外の世間の誰もが、思慮も分別も持ち合わせていないように、と思っておられるような感じでございました。
その手紙を見ておりますと、何というのか、無性に腹が立って来て、下賤なものが言うような「他人ごとであるけれど、ムカムカする」となり、憎らしくなってしまいました。
たとえ、手紙の中の文であったとしても、
「素晴らしい和歌の場合、我が斎院の選子様以外に、その情趣を理解できる人など、誰がいるでしょうか、世に素晴らしい女房がいるとして、それを見抜けるのは、我が斎院様だけです」と、そんな感じなのです。

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