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紫式部日記第149話

(原文)
それ、心よりほかのわが面影を恥づと見れど、えさらずさし向かひまじりゐたることだにあり。しかじかさへもどかれじと、恥づかしきにはあらねど、むつかしと思ひて、ほけ痴れたる人にいとどなり果ててはべれば、
 「かうは推しはからざりき。いと艶に恥づかしく、人見えにくげに、そばそばしきさまして、物語このみ、よしめき、歌がちに、人を人とも思はず、ねたげに見落とさむものとなむ、みな人びと言ひ思ひつつ憎みしを、見るには、あやしきまでおいらかに、こと人かとなむおぼゆる。」
とぞ、みな言ひはべるに、恥づかしく、人にかうおいらけものと見落とされにけるとは思ひはべれど、ただこれぞわが心と、ならひもてなしはべるありさま、宮の御前も、
 「いとうちとけては見えじとなむ思ひしかど、人よりけにむつましうなりにたるこそ。」
と、のたまはする折々はべり。くせぐせしくやさしだち、恥ぢられたてまつる人にも、そばめたてられではべらまし。

(舞夢訳)
そのように、本心など別の場所に置いてある私の表情を、自分でも恥ずかしいと思いますが、(中宮様にお仕えする御所では)、仕事上、仕方なく女房の方々と面と向かって一緒にいることもあるのです。絶対に「あれやこれやと指摘はされたくない」と思いますし、「引け目を感じるような恥ずかしい落ち度はない」とも思いますが、やはり面倒な方々なので、私はボケたような感じで、何も知らないような人になりきっておりました。
すると、女房たちから
「あなたが、こんなに、おっとりとしたお方とは、全く思っておりませんでしたの」
「(私たちの予想では)とにかく風流を好み、私たちが見下されて恥ずかしい思いをさせられるほどに、見るからに気難しくて、近づきがたくて、私たちなどを寄せ付ける気持ちもなくて、物語を好み、思わせぶりな感じ(私たちでは理解できないような高尚なことをお考えで)、折に触れて歌を詠まれ、私たちのような人(無教養な人:あなたから見れば)を人とは思わず、(私たちを小馬鹿にしたような)憎たらしい顔で私たちを見下すような人に違いないと、このお屋敷の全員が言い合って、あなたのことを予想して「憎たらしい」と思っておりました。しかし、それがこうしてお逢いしてみたら、信じられないほどに、おっとりとしたお方で、予想していた人とは、全く別の人と思いました」
などと、口々に言われるのです。
私は、(こう言われるのも)(やはり)恥ずかしいことなので、「他人からこれほどまでに、おっとりとした人と見下されてしまった」とは思うけれど、「これが私の心が望んだこと」と、自らを決めつけ、その姿に慣れるように努めたのです。
やがて、私のこんな姿が、中宮様のお目に止まり、
中宮様から
「あなたと。これほど心置きなく、うちとけてお話しできるとは思っておりませんでしたけれど、今では不思議なことに、他の方々よりも、よほど仲良くなりましたね」
などと、折に触れて、お声を掛けていただけるようになりました。
今後も、(このような努力を続け)、それぞれが個性的で、お上品で、中宮様からも一目置かれている上臈の方々からも、毛嫌いされないようになりたいもの、と思うのです。

紫式部が懸命に考え、実践した処世術である。
「物語作者、才女」として、スカウトされた以上、「迎える側」として、「頭の良さ」にプレッシャーを感じる女房も多かったと思うし、その本音を言われ、書き取っている。
ただ、「物語作者」については、当時は偏見を持つ人も多かった。
「物語」そのものについての評価も、不安定で脆弱。(現代のマンガ本作者のようなもの:今でもマンガ(アニメ含む)作者は、どんなに学識があって高尚な作品を書いても、色眼鏡で見られているのが現実)
「いと艶に恥づかしく、人見えにくげに、そばそばしきさまして、物語このみ、よしめき、歌がちに、人を人とも思はず、ねたげに見落とさむものとなむ、みな人びと言ひ思ひつつ憎みし」で、警戒心を持たれていたのだろう。
紫式部としても、違和感の中、かなりのストレスの中、「仕方ない」と思いつつの日々になる。
何しろ、スカウトして来たのは、最高実力者の藤原道長、仕える相手は時の中宮。
なかなか、断れる立場でもなく、「やるしかなかった」のが、実際であった。

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