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紫式部日記第131話斎院に、中将の君といふ人はべるなり(6)斎院と中宮御所の女房の違いについて

(原文)
心やすく、もの恥ぢせずとあらむかからむの名をも惜しまぬ人、はたことなる心ばせのぶるもなくやは。たださやうの人のやすきままに、立ち寄りてうち語らへば、中宮の人埋もれたり、もしは用意なしなども言ひはべるなるべし。上臈中臈のほどぞ、あまりひき入り上衆めきてのみはべるめる。さのみして、宮の御ため、ものの飾りにはあらず、見苦しとも見はべり。
 これらをかく知りてはべるやうなれど、人はみなとりどりにて、こよなう劣りまさることもはべらず。そのことよければ、かのことおくれなどぞはべるめるかし。されど、若人だに重りかならむとまめだちはべるめる世に、見苦しうざれはべらむも、いとかたはならむ。ただおほかたを、いとかく情けなからずもがなと見はべり。

(舞夢訳)
ざっくばらんなタイプで、恥ずかしがり屋でもない、他人からの様々な評判などは気に掛けない人で、他人とは視点が異なることを言う女房も、いないわけではありません。ただ、(男性が顔を見せたりしたりすると)そういう女房が、お気楽なので、話し込んで行くことありますが、そんな折りに、(表に出てこない、接客をしない)中宮付きの女房について、「奥深く引っ込んでいるばかりですね」とか、「来客に対しての気配りや、おもてなしがまるでありませんね」と、おっしゃられるようです。
いろいろと考えますと、上臈とか中臈くらいのお方たちが、あまりにも奥に引き籠りがちで、お上品を気取り過ぎているようです。
そのような中宮様の御座所へにのお仕え方であって、中宮様のために尽くすべき仕事をないがしろにして、お仕えする人たちは、単なるお飾りや人形ではないのですから、かえって恥ずかしいと思ってしまいます。
このようなことを、いかにも事情通のように、申しましたけれど、女房たちは、それぞれであって、優劣などはありません。
どこかが良ければ、どこかに難がある、そんな感じがあるだけです。
若い人たちでさえ、緊張して重々しく振舞う際に、上臈や中臈が、恥ずかしくも気を抜いた様子でいるのも、おかしな話ですし、それをどうのこうのも言いません。
ただ、全般的な印象として、ほんとうにひっそりと無難すぎますし、もう少しは華やかさとか趣向があってもいいかな、と思っているのです。

紫式部としては、もう少し、職場に活気が欲しかったのか。
中宮付き女房と言う、競争相手がいない気楽な場所に務めているため、どうしても覇気に欠けてしまう、のん気におっとりとしてしまうのだろう。

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