見出し画像

紫式部日記第161話年もはた、よきほどになりもてまかる。

(原文)
年もはた、よきほどになりもてまかる。いたうこれより老いほれて、はた目暗うて経読まず、心もいとどたゆさまさりはべらむものを、心深き人まねのやうにはべれど、今はただ、かかるかたのことをぞ思ひたまふる。それ、罪深き人は、またかならずしもかなひはべらじ。前の世知らるることのみ多うはべれば、よろづにつけてぞ悲しくはべる。

(舞夢訳)
私の年齢もまた、出家に、似合うものとなっております。今後は、ひどく老化が進み、目はかすみ、お経も満足には読めず、心も緩んでいくでしょうから、ただ信心深い人の真似をするだけのようではありますが、今の私は、とにかく、極楽往生だけを思っているのでございます。ただ、そうしたとしても、そもそもが罪が深い私なのですから、思い通りになるとは限りません。やはり前世からの多くの問題があると思いますので、全てにおいて、悲しく思うばかりでございます。

紫式部が生きた時代、僧侶たちは、しきりに「前世の行為の結果が、現世に強い影響を持つ」と、説いたようだ。
つまり、現世での幸運、不運は、前世の行為の結果なので、「自分ではどうにもならない、諦めろ」になるし、来世を良くしたければ功徳を積め(僧侶への布施を含めて)らしい。
実際、多額な布施を出さなければ、読経などは、してもらえなかったようだ。
(現代でも、あまり変わらない)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?