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アルビジョア十字軍④ラポール

ラポールの城が落ちた時、城主エムリーと、その家臣80人が捕らえられた。次の戦闘を直後にひかえていた総司令官シモン・ド・モンフォールはただ一基の絞首台で間に合わせようとしたが、その一台も不完全な即製だったので、大柄な城主一人絞殺しただけで支柱が折れてしまった。
シモン・ド・モンフォールの命令で、80人の家臣はその場で首を切られた。

城主の妹ダーム・ド・ラボールは異端思想で有名だった。十字軍兵士は彼女を井戸の中に投げ込み、手あたり次第に大きな石を拾って投げ込み、石詰めにして彼女を惨殺した。
その後、この上なき喜びを持って、数限りない異端者を裁いた。

こうなると異端撲滅以上に、殺人と殺す相手の悲鳴に喜びを感じているのかもしれない。
殺された多くの人々は、ローマ・カトリック教会こそが、悪魔の教会と思って死んでいったかもしれない。

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