紫式部日記第24話内裏より御佩刀もて参れる

(原文)
内裏より御佩刀もて参れる頭中将頼定、今日伊勢の奉幣使、帰るほど、昇るまじければ、立ちながらぞ、平らかにおはします御ありさま奏せさせたまふ。
禄なども賜ひける、そのことは見ず。
御臍の緒は殿の上。御乳付は橘の三位徳子。
御乳母、もとよりさぶらひ、むつましう心よいかたとて、大左衛門のおもと仕うまつる。
備中守道時の朝臣のむすめ、蔵人の弁の妻。

※御佩刀:みはかし。皇子誕生の際に、帝から送られるお守り刀。
※頭中将頼定:源頼定。
※伊勢の奉幣使:伊勢大神宮に幣帛を奉納するために遣わされる使者。毎年9月11日に発遣される。
※御臍の緒:へその緒を切る役目。
※御乳付:最初に形だけの授乳をする役目。
※橘の三位徳子:内裏女房。
※大左衛門のおもと:中宮女房。特定されていない。

(舞夢訳)
内裏からお守り刀を持参した頭中将頼定様は、今日の9月11日が。伊勢大神宮への奉幣使を送る日であることから、(土御門邸でお産の穢れに触れると、その支障となるので)、内裏に昇殿できなくなるだろうから、(道長様は頼定様に庭に)立ったままで、母子ともに御安泰である旨の奏上をおさせになりました。
その際に、褒美の品を取らせたとのことですが、私は見ておりません。
若宮のおへその緒を切る役目は、殿の北の方様。
御乳付係は三位徳子様。
御乳母は。以前からお仕えしていて、親しみがあり気立てが良い人ということで、大左衛門のおもとが、お務めする。
この人は、備中守道時の朝臣の娘、蔵人の弁の妻になります。

紫式部は、道長邸で見聞した事柄をできる限り正確に記録している。
ただし、全てを見ているわけではなく、一部は同僚の女房から聞いた話になる。
御出産日が、伊勢奉幣使発遣の日に重なる等の記述。
産褥の穢れと、内裏昇殿の決まり。
勅使に対する褒美の件。
現代人で一般の我々には馴染みがないけれど、当時の宮廷社会では重要な事なので、書き漏らしはできなかったのだと思う。

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