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伝道者の書第28話裂くに時があり、縫うに時があり、

(原文:第3章7)
裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、

「引き裂く」と「縫う」については、衣服に対することになるが、古代イスラエルでの言葉の意味としては、「喪に服す」と「喪が明ける」とのこと。
喪に服すについても、適した時間(期間)が必要とされるということは、現代の日本人としても、生活実感上で理解しやすいことである。
また、喪が明けるにしても、同じこと。
いつまでも喪に服したままでは、自らの生活が成り立たない。
ましてや、家族や社会に対する責任を負っているならば、適した時間に、社会復帰が必要となることも、理解がしやすい。

黙るに時があるというのは、沈黙が必要な時間があるということなのだと思う。
人生の中では、どれほど批判を受けても、それに耐え、沈黙を守るべき時もある。
生きていく上では、簡単に重要な秘密など漏らせないし、漏らすことによって重大な困難や悲劇が発生することが予想できれば、なおさらである。
個人情報の保護一つをとっても、情報が漏れたために、悲惨な事故につながったことは、数知れずあるのだから。
何でもかんでも、情報公開や透明化が、素晴らしいとか、当然なのではない。
ましてや、国家の存亡にかかる機密などは、厳守されるべきなのだと思う。

語るに時があるということは、いろんなことを考えさせられる。

むやみやたらに、自説を吹聴しても、周囲が聞く耳を持たず、理解力がない場合。
また、自説を周囲に納得させられる「自分の説明力や説明資料」が欠けている場合は、とても語るに時があるとは言えない。

やはり冷静に考えて、しっかりと意思、内容を伝えるには、「適した時間」があるということだと思う。

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