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一遍上人語録 別願和讃(3)

過去遠々のむかしより 今日今時にいたるまで

おもひと思ふ事はみな 叶はねばこそかなしけれ

聖道・浄土の法門を 悟りとさとる人はみな

生死の妄念つきずして 輪廻の業とぞなりにける

哀しいかな、遠い過去より今日今時まで、何一つ自分の思い通りになったことはない。
自力で修行して悟りに至る、あるいは阿弥陀如来の本願で浄土に往生する
それで悟り悟ったと《自負》する人は、生死の妄念は尽きることがない。
結局は、また苦しみの輪廻から逃れることはできない。

阿弥陀如来に頼むと言いながら、どこかに自力救済を誇る気持が消えない限り、生死の妄念は残ると言うのだろうか。
自ら仏になるなど、簡単に思ったり、ましてや、口に出すべきものではない。
生身で愚かな人間である以上、必ず妄念につきまとわれるのが必至。

一遍上人の言葉は、奥が深い。

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