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石仏

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石仏について、書きます。
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#秘仏

石仏の話(40)仏像の目的

国宝、重要文化財、秘仏となった仏像の場合は、ほぼ手を触れることなどはできない。 何よりも後世のことまで考えて、保存という使命が強くなっているため。 それに対して、道端に立つ石仏は、触りたい放題。 ただし、仏様としては、触れることができなくても、できても違いなど無い。 「他人のことも考えて、後世の人のことも考えて」少しでも良い状態で保存する目的であれば、ガラスケース等にいれるなどの厳重な管理を施して「国宝、重要文化財、秘仏」化するのは、致し方ないと思う。 問題となるのは、そ

石仏の話(26)くずれかけた地蔵尊

くずれかけた地蔵尊、長年の風雨に耐えてきたのだろうか。 それでも、「願掛け」の意をこめて、「よだれかけ」を首から下げ、新しい花が備えられている。 見た目がどんなであっても、御仏は御仏。 絢爛と輝きながらも秘仏とされて見ることができない仏と、実は何ら価値は変わらない。 それを感じるかどうかで、崩れ落ちた地蔵尊に手を合わせられるかどうかで、人間の器量も異なってくるのかもしれない。

石仏の話(14)観光資源

風雨にさらされ立ち続ける道端の石仏は、それほど観光資源としての性格はもたない。 やはり仏像を観光資源とするのなら、由緒深き像を集め、秘仏化して、拝見期間を限定して高めの料金を設定することが必要になる。(高い料金のほうが、ありがたみが増す、と僧侶独特の考え方がある) そういう寺は、まず寺に入る段階で入寺料を取り、その秘仏を見せる前にも拝観料を取り、秘仏の前には賽銭箱(お布施箱)まで丁寧に置いてある。 「金を払わないと見せてあげない」「お前たちのような人間に見せてあげるのだか

石仏の話(3)不格好な石仏

道端に立つ石仏の中には、長い間の風雨などの影響もあり、形が崩れているものがある。 また、元々が技術の高い有名仏師などにより作られていないこともあり、少々イビツな仏もある。 ただ、かえってそんな「不格好な仏様」のほうが、親しみがわく。 何しろ、気軽に話しかけられるような気がする。 有名大寺に収納された絢爛豪華な仏様や、数十年に一度しか見られない秘仏を否定するわけではないけれど、「人の笑顔を誘う、人を癒やす仏」であって、いつでも見られるし、仏としてのありがたさは何も変わら