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石仏

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石仏について、書きます。
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#観音様

石仏の話(52)

石仏として、千手観音を彫るなど、特に過去においては、至難の技だったと思う。最近は、機械彫りが多く、やがては3Dを駆使した千手観音も作られると思う。手彫りであろうと、機械彫りであろうと、観音様には変わりがない。変わるのは、その観音様を見る人の心。無骨な観音様ではあるけれど、人の汗と労苦、拝み続けた人の心まで思って拝むか、きちんと造形された観音様を良しとするか。「両方とも、わが身、どちらも良し」とするのが、観音様の心と考えている。

石仏の話(42)鎌倉円覚寺

北鎌倉で降りて、円覚寺に入り、まっすぐに、ずっと坂を登っていくと、黄梅院にたどり着く。 「時宗公夫人覚山尼が時宗公の菩提のために建立した華厳塔の地に足利氏が夢窓国師の塔所として建立した」との立て看板を少し見て、観音堂に収められた中国から請来したとされる聖観音像に手を合わせる。 そして、少し目を横に向けると露天にブロンズだろうか、ここにも観音様が立っている。 お堂に収められた観音像も、それはそれで由緒があるようだけれど、収められていない観音像も、なかなか不思議な雰囲気がある。

石仏の話(33)思惟観音

頬杖をついて、いろいろ考えてておられる観音様である。 ずっと見ていると、やはり落ち着いて考えることは大事なのかなと思えて来る。 今、本来ここでやるべきことは何なのか。 ついつい衝動的に動いてしまって失敗ばかりしているではないか。 「そういうことも、あなたも少しは考えなさい」 そう言いながら、そのお顔はやさしい。 「悩むのではなく、考えるのです」 やさしい口元が動いたような気がした。

石仏の話(28)観音様の性別?

観音様を男性とする、女性とする、様々な立場の人がいるようだ。 しかし、観音様の根拠となる「観音経」には、三十三応身と書かれている。 つまり、拝む人に応じた姿で、その身を表す。 拝む人に対する最適の姿に変化し、願いを叶えると言う。 なので、性別論争は、無意味である。 巷の風説にとらわれると、ロクなことはない。

石仏の話(22)杯を持った観音菩薩

石仏も様々、杯を手にした観音様もある。 キマジメな人たちからは「なんととんでもない石仏を造ったものだ」と叱られそうな恐れもあるけれど、それは間違いだと思う。 御仏の世界は、酒を飲むとか飲まないで、どうのこうのの世界ではない。 もし、諌められるとしたら、酒を飲んで他人に迷惑をかけること。 絡み酒、暴力酒・・・そんな感じだろうか。 「酒は和やかに酌み交わすもの」 「心の疲れをほぐし、明日への活力となるもの」 フフッと微笑み、杯を持った観音様は、それを語っている。