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日記は日々を楽しく幸せに過ごすためのツールである

上の倉下さんの記事を受けて、私にとって日記とはなんなのかを改めて考えてみたいとおもいます。

あ、その前にわたしは何者なのか簡単に自己紹介しておきましょう。

ブログ「ログハピ!!」の中の人「ゆうびんや」といいます。32才、一児の父親です。Amazonで「日記のすすめ」という本をセルフパブリッシングするぐらいは日記のことを大事にしています。

ちなみにブログタイトルの「ログハピ!!」はLog is for Happy!!の略です。日々の記録が日々の楽しさや幸せにつながると考えています。

そう、ここですでに「私にとって日記とはなんなのか」の結論がでてしまっていますね。

わたしにとって日記は「日々を楽しく、幸せに過ごすためのツール」です。

ではなぜ日記が日々の楽しさや幸せにつながるのか?

その理由はこの二つです。

・日記で通り過ぎてしまっていた日々の楽しさや幸せに気づけること
・日記を読むことで「今の私」に納得できること。

この2点がより楽しく幸せに日々を過ごすために大切だと考えているからです。

通り過ぎていた日常に気づく

小学校の宿題で家の近所の地図を作ったことがあります。地図を作ると
「こんなところに裏道が」
「あ、なにかの自動販売機がある(何の自動販売機だろう?)」
「でっかい犬がいる!」
などいろんな発見がありました。地図を作ることで新しい近道を見つけることもできました。

地図を作ろうとしたことで何もないと思っていた場所に実はいろんなものがあると気付くことができました。

それは地図を作ろうと風景を観察しようとしたことでいつもは気づかずに通り過ぎていた風景に気づけたからだと思っています。

見慣れた風景の解像度が上がったという言い方もできるかもしれません。

そしてそんな気づいていなかった風景はわたしたちが過ごす日常の中にもたくさんあります。

・家族で食べた夕ご飯
・仕事がうまくいかずに落ち込んだこと
・引き出しの角に小指を強打したこと
・その指をこどもが「いたいのいたいのとんでけー」としてくれたこと

こんなちょっとしたことが実はすごくうれしかったり、ささいなことでも実はダメージが大きかったりするものです。

しかしこれらの出来事も通り過ぎて忘れてしまえばなかったことになります。

しかし日記を書くことで、何も起きていないと思っていた日常にもいろんな出来事があったんだと気づくことができました。

実は日常が思っていたよりも細やかで鮮やかであることに気づけたのです。

納得が次の一歩の原動力に

日記を書くことでいつもの日常が細やかで鮮やかなものであると気付くことができます。そんな日常を残しておくこともできます。

そして、日記を読み返すことで自分自身についてさまざまなことが分かります。

自分は何が好きで、何が嫌いか、どんな行動を選択してきたのか。その理由はなんなのか。

自分が実はいろんなことをしていて、様々なことを考えていることがわかります。

日記を通して自分を少しずつ理解していくとそれが「今の自分」に対する納得になります。

なぜなら「今の私」は「過去の私」が選択してきた道のりの結果です。そして日記は「過去の私」が通ってきた道のりの記録でもあるです。

日記を通して過去の道のりを把握することで、その結果である「今の私」に対して納得することができます。

もし日記を書いていなければ私は過去の道のりについておぼろげに把握することになるでしょう。これまでの道筋がおぼろげになっていれば、今の私に対する納得もゆらぎます。

それは次の道を選ぶ決断の際にも影響してきます。

極端に言えば記憶喪失になったら、次の道を選ぶための足がかりがありません。

だから日記を書いて読み返します。日記を書き、読み返すことで、これまで進んだ道のりを把握し、いまの自分に対して納得します。

そしてその「納得」が足場を固め、次の一歩を踏み出す原動力の一つとなります。

少なくともわたしにとって日記は次の一歩を踏み出す助けになっています。

そうして選んだ道の先になにか素晴らしいものがあるかもしれないし、単なるがらくたが横たわっているだけかもしれません。しかしそれは私が納得して選んだ道の先にあるものです。

自分が納得して選んだ道の結果であるならば受け入れざるをえません。そして、その結果を胸にまた次の道を選んでいくだけです。

そして道の先の結果だけがすべてではありません。歩く道の途中でなにかを発見することもあるでしょう(そしてそれも日記を書くことで発見しやすくなります)。

わたしにとって日記とは..

わたしにとって日記は

日々の細やかさ、鮮やかさに気づかせてくれるもの
「今の私」を受け入れた上で一歩進ませてくれるもの

です。

私にとって日記は「過去の私を通して、今の私を受け入れる」ためのものです。

そして「今の私を受け入れたうえで、今日また足を一歩踏み出す」ためのものです。

「歩く道のりを楽しむ」ためのものです。

だから日記は楽しく幸せに過ごすために大切なものだと、少なくとも私にとっては大事なものだと、そう思っています。

そしてそのためのツールなら全て日記なのかなと考えています。

そう、少なくとも私にとってそれが「日記」です。

走ることが好きだが、馬鹿げているといえば、これほど馬鹿げたものもないだろう。
ハードだし、苦痛やリスクを伴う。見返りは少ないし、何も保障されない。楕円形のトラックや誰もいない道路を走ったりしても、目的地は存在しない。少なくともその努力にきちんと報いるものはない。
走る行為そのものがゴールであり、ゴールラインなどない。それを決めるのは自分自身だ。走る行為から得られる喜びや見返りは、すべて自分の中に見出さなければならない。すべては自分の中でそれらをどう形作り、どう自らに納得させるか、なのだ。
SHOE DOG(シュードッグ)―靴にすべてを。』(フィル・ナイト, 大田黒 奉之 著) より、

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