考えごと1
「期待するな、期待すれば怒る事もないし、ショックを受ける事もない」
自己啓発本にはそう書いてあることが多い。禅の考え方から来てるのだったっけ。確かに「見返りを」期待しなければ自分の感情は乱れない。
それって恋愛についても一緒なのかな。
期待するな=信じるな に近いのでは??なんて考えながらの帰り道。
恋愛で「信じてる」って、どんな場面で使うんだろ。
片想いの時は、振り向いて欲しくてとりあえず見返りなんて気にしないで喜んでくれそうな事を沢山する。でも、気持ちが通じあったり付き合い始めたりすると、信じてると言う言葉を使うようになって見返りがないと裏切りみたいなモノが生じて。どんどん相手に求める形が変わっていく。大事なことが当たり前になって、見えなくなって、気付いたら修復不可能になっている。
「信じてたのに!」って何を??
無性の愛なんてない。親も。少なからず、期待や願望を込めている。
人は誰かといる事で寂しさみたいなものは一瞬だけ埋まったような錯覚に陥るけど、結局ひとはどんなことしてもひとりの人でしかない。
自分を守れるのも、コントロールするのも、乗り越えるのも、転ぶのも凹むのも、全部全部自分の中だけで起きていること。
じゃあ信じるのも、自分しかいないのかな。期待しないと無駄に傷付かず、自分を守れるけど、そんな簡単な感じなのかな。
誰が悪いとかない気がする。自己啓発本は自己防御の方法を教えているだけで、恋愛で相手に何かを求めたり与えたかったり、分かって欲しかったり、親が命がけで子供を守ったとしても、親孝行を求めたとしても、全部普通のことなんじゃないだろうか。「感情」という複雑で面白い才能を与えられた「人間」の特権。常識や正当なことなんてない。ルールを作るのはいつだって権力者だ。
期待もしていい!傷つくかもしれない。でも、いろんな感情を知って、「自分で」知って、人生というものを楽しむのもいいかもしれないなんて思う。
何のために人間は生きているのかなんて考えてしまう前に、まずは私たちだけに与えられた才能である「感情」と「言葉」を大いに活用してから考えよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?