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オヤジがくれた3万円

音楽活動の原点

姉は当時、エレクトーンを習っていた。
バイエルとか何とか、僕にはわからなかった。
だけど「演奏するって素晴らしい!」と思った、幼少期のマイキー。
僕は習わせてもらえなかったけど、見よう見まねの鍵盤さばきで、姉のエレクトーンをカチャカチャやっていた。
その頃オヤジから、ラジカセをもらったんです。

SONY製のこんなやつでした

それと、ノビノビのカセットテープを「好きに使え!」って渡されて。エレクトーンやマイクとの接続ケーブルは何故か充実しており、ただしかし、ラジカセのスペックが難ありでした。録音ボタンと再生ボタンを同時にガッチャんと押下するのはオッケーですが、究極の一発録りのごとく、ガッチャんしないと音が出ない!ヘッドホンから音が出ない!レコーディング直前の細かなリハが叶わない!子供ながら、ちょっとだけくさりました。
そんな録音環境でしたが、とりま、エレクトーンでのレコーディング開始。100やって、3くらいの収穫でした。何らかのリズムに乗って鍵盤を叩くと、良いフレーズが録音されていたり、意図しない和音にもなっていたり。
知識も経験も何もない所からの「無意識な」音や旋律があったのでした。
音楽は教わってやりましょう!でもいいけれど、その「良いフレーズ」は、自分だけのものか?万人に通用するのか?なんて事を、子供ながらに考えたりした。一回聴いて憶えてしまうのであれば、売れる曲なんだろう。
いわゆる「売れ線メロディ」の考案。
無から生まれるものは大切にしてみよう。
やっぱり演奏って素晴らしい!
などと、軽い充実感に浸りながら、3時のおやつを味わったのでした。

合唱コンクールで唄う楽しさ

そんなことを、思い出したように何度かやるのですが、そう簡単に良いフレーズが出るワケも無く。。。
そのうち姉は、エレクトーンのレッスンをやめてしまい、それからしばらく経ったころ、やらないなら処分しようという事になり。。。
「僕がやるから!」は、「男子がエレクトーンなんてダメ!」と断られました。ま、そんな昭和の時代と両親でしたからね。

ところで日本全国の小中高では、合唱コンクールなるものが行われていると思います。年1回?もしくは2年に1回?くらいの頻度ですよね。男のくせに、すごーく楽しみにしていた。そして楽しかった!
唄う歓びも勿論ですが「団体戦」とでも言うべき、一丸となって声を出す!僕にとっては至福の時間でした。
優勝するとか最下位とか、そんなこと興味なかった。
当時、1クラス40人ちょっとくらい。
それの約95%が熱唱する迫力って凄い!(口パクの人もいるので約95%)
音程が外れてしまうと
「マイキーん所あたりの何人かが、ちょっと違うみたいだぞ~!もっかい行くよ!」等々、檄が飛んだり。
上手く出来たら
「それだよそれ!今の良かったじゃないか!憶えといてよ~!ほら!もう一回!」あぁ楽しい。このまま唄い続けたい。指揮者や先生の人柄にもよりますが、あぁあ~楽しい!
そしてこの楽しい感じや感情は、後々のバンド活動でも湧き上がってくるのでした。

ポピュラー音楽と歌謡曲

わが家には、ポールモーリア楽団とか、、、それしか憶えていないのですが、ポピュラー音楽のオーケストラのレコードが沢山ありました。「ビートルズが子守歌だった」なんて人も、僕の周りにはかなりいますが、ビートルズやエルビス・プレスリーといった、一世を風靡した様なレコードは無かった。
僕は成長するにつれ、テレビで流れる流行歌、いわゆる歌謡曲に興味が向きました。ベストテン、トップテン、夜のヒットスタジオ。男女問わずアイドル全盛期でしたね。
今でも思い出す、学校からの帰り道(と言っても、小学校まで徒歩1分の好立地団地に住んでいた)柏原芳恵さんの「ハロー・グッバイ」を、友達が呆れるほど繰り返し歌いまくっていた。ファンって訳じゃなかったけれど、僕にとって当時の歌謡曲のメロディーラインには、中毒性があった様な気がします。無から出る「売れ線メロディの考案」も、ずっと考えていました。
それと、歌謡曲ではないのですが、クイズ番組の「アメリカ横断ウルトラクイズ」のテーマ曲「Maynard Ferguson-Theme From Star Trek(メイナード・ファーガソン ー テーマ・フロム・スタートレック)」には、楽曲全体の素晴らしさを感じていました。トランペットのメロディラインと、軽快に疾走するバックバンド。
はて?
マイキーの曲作りや音作りの原点なのでは?
と、思ったりします。

廃品のガットギター

ある日「おまえ音楽をよく聴いてるな」と父。
押入れからガットギターを出してきて、やるなら少しだけど教えてやるぞ?との事。やるか?じゃ、先ずはこの曲だ!で「禁じられた遊び」の、手ほどきを受けた。後にも先にも、父でも他人でも、ギターを教わったのはこの時だけでした。
今でもたまに演奏します。
育ち盛りのマイキーはみるみる上達し、父の目がテンになっていたのを憶えています。そして中学生になり、知り合いから譲ってもらったという(ホントは捨ててあったやつ)古びたガットギターを父から渡されていたのですが、仲良しの友達と「チェッカーズみたいなバンドやろう!」って事になって、そこはやっぱり、エレキギターが欲しくなるわけですよね。
みんなそれぞれスネにかじりつき、買ってもらっていた。
僕はまだ。。。
説得するも聞く耳持ってもらえず。。。
「マイキーはまだか~。まぁしょうがないけどな」
その日の夜が、僕の音楽活動の始点となった。
父にもらったガットギターをバリンバリンに壊して!暴れた!
駄々もいいとこ「買ってくれ~っ!」と。
以下省略。。。

オヤジがくれた3万円

しばらくして、落ち着いた僕を見て
「ギターを教えた(勧めた)俺にも責任があると思う。」と、父。
どんなのが欲しいのかと問うので、欲しくって欲しくって毎日の様に眺めてクッシャクシャになったカタログを見せた。
「おう。いくらすんの?」
「3万円」
「もう暴れんじゃねぇぞ?お母さんがかわいそうだろ」
オヤジも小遣い少なかっただろうに、これで買ってこいと、3万円くれた。

その日から約38年。
一緒に練習を始めた人達。
割と長く活動したバンドメンバー。
若い頃ライブハウスで出会った「何やらスゴそう!」な人や、高価なギターを使う人も。それぞれに事情はあるでしょうけれど、演奏しなくなる人が多くなってきた。
僕は、オヤジがくれた3万円が資本となって、38年。
僕はまだ、やってます。
自分の演奏に、まだ納得できないから。
演奏や歌唱への情熱が、まだまだ消えないから。
もっといい売れ線メロディが、あると思うから。
僕は、やってます。まだまだ終われません。

ちなみに現在、「お出かけ演奏(ストリート活動)」へ持って行くギターも3万円でゲットしました。
指やピックの当て具合で、数十万円のギターくらいの音は出ます。
「練習と工夫と情熱」があれば、たやすい事です。

アイバニーズの海外仕様です

ジャンルと言う垣根のない、一度聴いたらちょっとだけでも記憶に残る様な曲作り。オヤジがくれた3万円から始まった情熱は、まだまだ道半ばです。

2024年3月 Maiky imai

屋外の音楽活動では、沢山の方からのお声がけを戴いております。「頑張って下さい!」の一言に、応えて行きたい!です