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笑いとばすことができなくてなにがパンクだと思います

おはようこんにちは、マイコーです。

ここ連日の気候の変動はひどいもんです。
ロウ・プレッシャーにやられて、メガネ掛けたままメガネ探したり、どうも連日ボケボケしています。
ま、いつものことですが。

ここへ新たな記事を投稿すべく、最近もコツコツと文章を書き溜めていたのですが、その暁、たまたま観た映画が鋭く割り込んできて私の脳内を支配し、心身共にひどく揺さぶられてしまい、ここ数日は全身がずっと火照っておりました。

なんかこの、どうも言葉にできない感情がくすぶって冷めやらぬうちに、なんとか言葉に残そうと思ったので、今日は元の予定を変更して、その映画に関連した話を書いてみようと思います。

いつもより趣味嗜好が色濃く出て話が偏りそうですが、予めご了承くださいませ。その前に自分の話を少しさせてください(まだすんのかよ!!!)。


時は10年前、2008年に遡ります(唐突ですがついてきてください)。

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中学二年生の私はほぼ不登校、毎日布団の中でYoutubeを見漁る日々を送る、生きる屍でした。 ご覧ください、この死んだ魚の目を…

全員○ねばいいと思ってた・・・・(中二らしい中二)

★時を同じくしてこの頃から始まった自分の活動紹介は過去の記事をご覧ください


その頃は音楽に対して自我が芽生え出した頃で、ラジオっ子だったこともあり、中高生向けラジオ番組で流れるバンド、アーティストに、例外なく私も夢中でした。

で、そこまではまだ健康的な方で良かったんです。
わざわざ説明しなくとも皆さんご存知だとは思いますが、次から次へと似通ったジャンルの動画をオススメしてくれる、Youtubeの"関連動画"というあの機能。アレが全てのはじまり(元凶)でした。

ある時期を境に、最初に聴いていたものたちから徐々に遠退いてゆき、それらとは対極に在るある方向に足を踏み入れ・・・言うなれば回れ右して後ろ側へ向かって歩みを進めて行くことに。

細かいいきさつは覚えていませんが、多分その入り口になったのは初期のエレファントカシマシや、タイマーズ


オ○ンコ野郎!FM東京!


ハイ、皆さん、ご一緒に〜〜!!!♪


テレビですから。今じゃ絶対絶対ありえないですがね。
このヒリヒリ感を当時はお茶の間で観れちゃったという事実自体も、自分にとってはひどく衝撃でした。

気が付いたら彼らを皮切りに、私のYoutubeお気に入りリストは徐々に、ドス黒〜い感じで埋まっていくようになりました。

THE STALIN https://youtu.be/r3OMoHX7qzA
じゃがたら(JAGATARA) https://youtu.be/970PqJo0ApU
あぶらだこ https://youtu.be/-kxAvSBjzhY
INU https://youtu.be/RQ1izgI6prQ
頭脳警察 https://youtu.be/DsQz4e8Qaf0
GAUZE https://youtu.be/YHTKVJXpmB4

こんな人たちを筆頭に、芋づる式に、中学二、三年生の私はあらゆるアーティストたちに心を奪われていきます。

理由なんてわかりません。
ビビッときたものに理由なんていちいち付けてられないじゃないです(理由をつけるためにこのnoteをやっているので本末が転倒中!)。

良いものは良いんじゃ!!!!!!

なんにせよ、大切なことは全てYoutubeが教えてくれたのでした(現代っ子ですみません)。

とは言え勿論音源をじっくり聴きたいので、そこからツタヤに赴くも、まあ8割取り扱いが無い。あるわけない。かと言って周りに貸してなんて言える人居ない。いる訳ない。
今考えたらそらそーだろなんですが、当時はひどく気を落とし、そこから怒涛のレコード屋巡りの日々が始まります。

この日々からもう10年が経とうとしています。

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▲あのバンドTを纏いディスクユニオンの袋をマイバッグにして大学へ通学するにまで成長!大学の友達の数ですか、なんですかその質問は


上に書いたアーティストの他にも、この10年掘りに掘り続け、70年後半〜80年代の日本の地下臭を纏ったフェイバリット・アーティストたちにたくさん出会いました。

新たな出会いがあるたびに、いつもワクワクが絶えなかったけれど、一方で何か寂しさというか虚しさみたいなものもずっと感じ続けてきました。

孤立感、疎外感、そういう類の感情かもしれません。
言うまでもなく、私が食いついた映像も音源も、自分が生まれるよりずっと前のもの。
私がそれを生で体感することは絶対に無理だし、言ってしまえば所詮画面の中の人たち。言わば、自分はれっきとした後追い世代であるわけです。

勿論、当時から今まで何十年も活動を続けている人たちは沢山居ますが、今も会えるじゃん!とかそういうことではなく、私にとってあの70〜80年代の空気感は、自分にとってどうも信じ難いほどに新鮮で、誰になんと言われようと自分の目にはキラキラと映るもので、いくら画面や音源や雑誌の中だけで得た情報とは言え、とにかく憧憬の念が尽きなかったのでした。

更に高校生くらいまでは、自分の周りにそんな話を共有できる人も誰一人居なかったので(居るわけなかった)、本当にこの人たちは存在した人なのか?幻なのでは?とか余計な心もとなさに駆られる始末。

仮に話の文脈で自分の好みを少しでも露呈させたら引かれるのは当然で、でもまあ、然るべきリアクションだよな、とさして気にもとめなかったのでした。

そのあたりならまだ笑える話ですが、私がこの時代を好むにあたりもっとも孤独感を深めるきっかけになったのは、17才の時、ご縁があり、かの有名なTHE STALINのボーカル・遠藤ミチロウ氏の公演前座を私がMai-kouとして務めることが決まった時でした。


「あんな子供にミチロウさんの何がわかるのか」


なんだかドラマのようですが、本当にあった話です。セリフかよ!!!!
自分より何周りか上の人たちからこんなクレームが入り、私は危うく前座から引きずり下ろされそうになったのでした。笑

少し余談ですが、結構泣きたい気持ちで臨んだ当日、私はミチロウさん御本人の前で「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」という御本人の曲をカバーして演奏しました。

(ちなみに最近までこの時の映像Youtubeに上げてましたが、血まみれで暴れるセーラー服の女子高生の姿にキモいキモいと批判の声と👎が殺到し、現在は非公開。いつかまた音源だけあげようと思ってます。笑)

原曲 https://youtu.be/gPerIDHPnmE


そしてミチロウさんの出番。MCの時、ステージ上から私の顔を見ながら一言。


「僕のあの曲は、今まで沢山の人たちがカバーしてきたけど、彼女が一番良かったです。」


私はあの言葉を自分のすべての支えにして今日まで生きてきたし、これからもずっとそうだと思います。

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▲右のイモ女が私である。& 年期の入ったあの日の色紙・・・(涙)



はい、ちゃっかりしれっとしっかり自慢話を挟みました〜〜!!!!!!

ッパァァァァァアアアアアアァァアアアアアアア〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!(照れ隠し)

話を戻しますが、とにかくそれ以降も、SNSやライブ会場で、度々そういう批判を受けてきました(ほらね、つらい話続くのでたまには自慢話くらいさせてくださいよ)。

「気持ち悪い趣味」「奇特な方ですね」と言われるのは全然良いんです。
だって否定できないし。笑 

私が悲しかったのは一貫して、「若い奴は若い奴なりにしてろ」

まあ大雑把にアイロニカルに要約すると、そういうベクトルの言葉の数々でした。

どうして後追いすることがダメなのか。ミチロウもヒロトモも町蔵もレックもパンタも友川カズキもSAKEBIも皆わたしのヒーローだ(全員敬称略だ!)。
彼らのおかげで命拾いしたと本気で思ってる。

だから、自分の趣味嗜好を心から愛してはいるものの、あまり余計に傷付きたくなくて、いつも心のどこかでそれらを隠す癖がついてしまっていました。

そして2018年秋、私は誰に頼まれても居ないのに半ば戦場にでも行くかのような謎の闘志と使命感を持って、新宿K'sシネマへひとり赴きます。

(そしてこのまま例のいつものコーナーへ突入するよ!せーの!!!)

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【本日のシットクリエイティブ】

ちょっとの雨ならがまん


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予告:https://youtu.be/3yspKYhP96c

今もなお世界に影響を与え続ける80年代ジャパニーズハードコア・パンクシーン。
映像作家・安田潤司氏(当時21歳)がその黎明期を記録し、当時の新世代アーティストたちの表現に迫ったドキュメンタリー映画。
1984年の公開以降、劇場やライブハウスを中心に上映され、延べ 50,000人もの観客を動員。
そして1994年を最後に一切の上映をやめビデオ化されることもなく消えた伝説の自主制作フィルム。

これが、2018年、まさに34年の時を経て蘇り、公となったのです。

そして、公開の1984年から丁度ぴったり10年後この世に生まれ落ち、当然リアルタイムでその時代を知ることのない1994年生まれ (奇遇にも本作公開終了になった年ですね)の私が、なぜこの映画の存在に震え上がったか。

言うまでもない。誰にも負けたくないという強い気持ちで、この時代のこのアーティストたち、世に産み落とされた創作物たち、**一度も触れたことのない時代の空気を愛しているからです。

もしかしたら、妄想の部分は大きいかもしれません。
イメージが私の中で勝手に大きく膨らんできただけで、もし私がこの80年代に生きていたら、いや、別に大したことねーじゃん、っていうものだったのかもしれない。
それは指摘されずとも、ふと思うことが度々あります。
でもそれ以上に、この映画で感じたことは大きかったのです。

この映画の登場人物たちは皆、当時のそのシーンの中でもひときわアンダーグラウンドな存在だったし、ましてライブ以外で彼らが喋っている姿など、見れる機会なんて当時だってほぼゼロに等しかったのでは。

そういう意味でもこの映画は実に貴重な記録ですが、私は、やっと彼らに会えた、そんな気持ちになって嬉しくなりました。

彼らのパフォーマンスは攻撃的で過激で、否が応でも世に怖い印象を与えていたのに、カメラの前で話す彼らは、まあ確かに別に穏やかではないけども笑、でも、若いというよりはどことなくあどけなかったり(それもそのはず皆当時ハタチそこそこだった)、尖ったことを言っていてもついつい観ていて共感できてしまったり、飄々としているけどどこか強がっているように見えたり、何か本音を隠してるように見えたり、本当に言いたいことは口に出る寸前で止めているように見えたり、うまく話せず言葉を選んでるように見えたり。

一見奇抜でとっつきにくいようで、蓋を開ければかなり人間らしい、もっと言えば純朴さすら感じる彼らの挙動ひとつひとつに愛着が沸いたし、まるで今彼らは目の前にいるかのような、そんな気持ちにさえなったのでした。

なかでも一番響いたのは、彼らが今の私と同じくらいの年齢だということ。
そのせいか不思議と大人びて見えないし、幼くも見えない。まるで周りの友達や知り合いのような、対等な目線で彼らを目に焼き付けて観ました。

だから、30年以上も前の記録なのに、フィルムの中の彼らに、対人間としてのリアリティを感じずにはいられませんでした。


一概には言えないけれど、今私の周りに、私世代に、こういうシーンはありません。勿論、ポツリポツリと点在してはいると思いますが、ムーブメントや界隈というような、そういう集合体の単位では存在しないと思います。

まあ、時代が違うので当たり前です。逆に今も全く同じものがあったとしたら、私はこの映画をこんな気持ちで観ることはなかったし、かく言うものの彼らは簡単にジャンルや界隈で括れるようなものでもないとも思います。

時代を比べることに意味はないと思うので、今と昔を比べるつもりなんてさらさらありません。
そんなのは、人の感覚によって偏りがあるし、ナンセンスだと思います。私が言いたいのは、どっちがいいとか悪いとかじゃない。


だけど、ふと考えてみれば、34年前にはこういう若者たちが、日本のとあるシーンで集っていたということ。

決してメインストリートではなかったものの、かと言って決して内輪だけで縮こまったものではなく、むしろ型の中ではあまりに窮屈すぎてはみ出してしまう、ドボドボこぼれてしまう・・・それくらいの大きい爆発力、パワーをはらんでいたということ。

30年というとすごく遠い昔に感じるけれど、だけど逆に言えば、30年しか経っていない。

今私が好きなものは、生まれた時のエネルギーを少しも落とさずに、今日までちゃんとずっと繋がってきたものなんだという実感。

きっと誰かが繋げてきたもので、それはこのフィルムの中の本人たちかもしれないし、私のように憧れて後追いしてきた世代かもしれない。

それだけこの時代のこのシーンがちゃんと姿かたちをしっかり持ったもので、いくら時間が経っても色褪せないもので、混沌として無意味に見えても意味のある、後ろの時代にも残るものだということ。

それがなんとなくの感覚から確信に変わったおかげで、自分が好きなものにちゃんとルーツを感じることができて、勝手にとても嬉しくなりました。

なにも、この映画に限った話では無いように思います。
別に、全く同じものを焼き回しする必要はないし、執拗にこだわる必要もない。
けれど、私は度々強く思います。

別に影響されたって、時には真似したりこだわったって、いいじゃないか。


その中でまた新しい解釈が生まれて、付け足されたり引かれたりして、そうやって新しいものが生まれて、それをリバイバルと呼ぶのではないでしょうか。

今後も自分の発信する音楽や美術の表現の中に、このルーツをいつまでも据え置いておきたい、そしてもっとその事=自分が後追い世代であるという事を恥じなくていいんだな、そう思うことができたのでした。

何よりも私はこのフィルムの中の彼らにより親近感や愛を感じることができた。ジャンルどうこうじゃないけど、やっぱりなんだかんだ言ってハードコアパンクが好きだと再確認できた。
だから、本当に、今回の再上映を心から嬉しく思います。

安田監督も仰っていたけれど、もっと自分と同じ世代のアーティストにも観て欲しいです。

このジャンルやシーンに興味がなくとも、混沌とした世の中の片隅で生きていて、年齢特有の強がりだったり、人間らしさ、若者らしさ、そして生き辛さや、同時にキラキラした純粋さが、すごいパワーで全部所狭しと溢れ出ている、そんな彼らの生命力ある姿は、何かしら自分の想いや自分の暮らしと重なるものが、多かれ少なかれあるのではないでしょうか。


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パンフレットも購入し、全部読みました。安田監督の言葉には、ところどころ痛いくらい突き刺さるものが有りました。

常に今やっていることにしかエネルギーは注げないし、何よりも過去の作品を蘇らせるためには痛みがともなう。(公式パンフレットより)


話は少しずれますが、私も音楽や美術や写真で、当然自分のそれなんて規模感は比べ物にならないほど小さなものですが、多かれ少なかれ考えながら、自分の創作物を世に出すという行為を続けてきました。

初期衝動とは何か、いつも考えます。
あまり考えたくないけれど、意識がふとした時についいってしまうものです。

今はもう見たくもないようなものが、今よりずっと純粋で綺麗で、はたまた周りに評価されてしまうものだったりして、でも自分自身はそれをどうも受け入れられない気持ちがある。

年月の経過と共に「初期衝動」をじれったく思ってきたけれど、決して悲観するものではないのだということ。
初期衝動には続きがあるし、常に新しいパワーを帯びて転がり進化し続けて行くもの。それはごく自然なことだということ。

この映画は、そんなことまで教えてくれたように思います。

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想定内ではありましたが、それにしても熱くクソ真面目な文体になってしまったので、最後に個人的にツボにハマったシーンを二、三ピック
(観た人にしかわからないくだりを失礼)

・劇中、カッケエ・・・と最も鳥肌経ったのは、人民オリンピックショウの川上さんが川沿いを歩くシーン。
YesかNoかだけで質問に答える川上さん、全て淡々と「No」と答え、無表情で早足のまま颯爽と歩いて行くけれど、最後に「音楽は世界を変えることができると思う?」の質問にだけ、初めて「Yes」と答える。この瞬間、初めて川上さんの表情がすこ〜しだけ緩んだように見えました(割と気のせいだと思います)。
とにかくここの川上さんの後ろ姿、すんごい渋くてかっこよかったな。私もあんな風になりたい。

・冒頭、「何をしている時が一番充実していて幸せか」(うる覚えです)、という趣旨の質問に対して、「公園でぼーっとしてる時」と答える人もいれば、「無いね」とバッサリ答える人。どちらもひどく共感してしまいました。

・ラフィンノーズをバックに横山SAKEVI氏がゲット・ザ・グローリーを歌うシーンでテンションが爆上がり。爆竹が暴発するたび思わずニッコリ。 

・GAUZEのヒデマル、自分とドッペルゲンガー説。
髪型、髪の染め方、化粧の仕方、輪郭、喋った時の口、着てる服・・・てか服一緒じゃね?!!!エ?!!!アレ、自分?!!!!出てる?!!!!と一瞬本気でヒヤリ。な訳ねーけど、本気でヒヤリ(大事なことなので二回言いました)。
この時代同じ世代同士でヒデマルに会わなくて本当によかったです。あぶねえ〜。笑

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▲今回のヘッダー写真撮影はkato Satsuki
因みに他にもヒデマルに最も近い自分の写真をこの投稿のために2時間くらい探したけどギブアップ


長くなってしまいましが。

安田監督、この映画をこの時代に再上映してくださり、本当にありがとうございます。

この2018年にこの記録を観れたことを、とても幸せに思います。


そして生きづらさをひしひしと感じた時は、この言葉をいつでも思い出していこうと思います。

笑い飛ばすことができなくてなにがパンクスだと思います

(「ちょっとの雨ならがまん」モノローグより)

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