自宅で家族を看るということ

自宅で家族を看るということ。

5年前、実父のがん療養中、
私の葛藤を吐露したFacebookのリマインダーを読んで。

今になって気が付いたこと。
↓↓↓

もはや、知識なんてカンケーないんだね。
(もちろん、ある程度は必要)

頭じゃなくて、こころが追い付かないんだ。


家の中に具合のよくない人がいるって大変なことなんだなと痛感した。


だからこそ、色んな意味で勉強になるし、

豊かだなとも受け取れるし、

自分自身を見つめ直せたりもするんだけど。


現実を見ていられない、見ていたくないと現実逃避に走り。


何かしてあげなきゃと思いつつ、

何もできない自分に対する無力感と焦りで混乱と葛藤…


この時欲しかったのは知識ではなく、

共感や労い、安らぎだったかも。


てか、父の生き様を間近で見ていて、

自分の在り方を突きつけられた。


いかに現状に甘えていたか、

傲慢だったか、

感謝が足りなかったか…


父の問題ではなく、私自身のものの見方のズレや偏りの問題だった。


私が、

自分にとって、

思い通りではない不都合な事象を受け入れられなかったってだけの話だよね。


人としての器を広げてくれる経験だった。


渦中は超絶しんどいかったし、

こんな思い、いつまで続くんだろうと絶望していたけど。


今思えば、この一連の全ては私の財産。

しかも、誰にも奪われないし、なくならない。

ありがとうございましたm(__)m


以下、5年前のFacebookより。
↓↓↓


救急受診の判断って難しいんだね…


明らかに意識ないとか外傷で動けないとかわかりやすい緊急性ならすぐ呼ぶけど。


日曜だしとか夜中だしとか、

今ちょうど勤務交代で忙しい時間帯だからウザいのわかってるし…


まだギリギリなんとか…と思えばイケそうだしとか。


明らかに脱水による尿量減少ってなら、

とりあえず採血や補液…しながら、

状況によりエコーかレントゲンCTっていう、

急性期治療方針ならわかるけど。


がんが進行していて、治療してるから、

電解質バランスや神経系系統に何か変化が起きてるかもしれない。


病院内でやる医療的な処置や検査ならいくらでも思いつくけど。

家庭でできること、看護が難しい。


何時間も尿が出てないってけっこう大変なことだってわかってる。


だから、なんとか経口補水液飲ませてるし、

飲みやすいものを飲めるときに…というのはやってる。


救命も居たし、

終末期の方ばかりの腫瘍内科にも居たの元医療従事者でこれだもの。


そりゃ一般の方は尚更どうしていいかわかんないよね。


往診医入れてればすぐに主治医呼べるけど。


まだそういう段階じゃなくて。


ギリギリ治療してる段階で、

これまでは電車で30分の通院はなんとかできてたけど。


もはやこうなれば、タクシーかむしろ救急車ってことになる。


長い時間座ったままで居られるか(待てる体力あるか)…


だったら、もう少し自宅で横にならせて様子を見ていた方がよいか…


その判断が本当難しい。。


明らかにヤバイ感じじゃないし、

しかも、自分も半分は家族として心配だから冷静じゃない…


医療従事者として大学病院に勤めてたとしても、

その経験が全然役に立たない。。


なのに、他の家族からは全力で頼られる。


世の中のCAREGIVER(主に誰かをケアしている方)たちって、本当に大変だったんだね。


改めて大変さについて思い知る。


いつか来ると思ってたけど、まさかこんなに精神的に大変だとは…


こんなに無力だとは…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?