4年前の心境~Facebookからのリマインダー~

4年前に実父を肺がんで亡くした。

仕事をしながら13年も闘病した父は、
最期の数ヶ月は自宅で過ごし。

往診医や訪問看護師も手配し、
私は母と一緒に父の世話をした。

最期の最期は家族だけに見守られて、息を引き取った。


以下、そんな父が亡くなる2週間くらい前の自分の心境。

Facebookからのリマインダー。

「お父さんの前で泣かないで。あんたが泣くと、
お父さん敏感だから、気にするから。」と母。


わかってる。

わかってるけど、さすがに私も泣けてきた。


「こんなにマッサージが気持ちいいと思わなかった。今はこれが唯一の楽しみだ…」と父。


最近は、横向きになるのもツライらしく。

短時間で右側臥位にしかなれないので。


右向きだけで背面の右下側にも手を突っ込んで(反対の手でベッドマットを押して)めっちゃ密着させてエフルラージュとかしている。


施術してもすぐに末梢が冷たくなるし。

(以前より温かくなるのが遅い)


だいたいの足裏の反射区がわかるから、あ~この辺のゴリゴリは胃腸だなとかエネルギー低下してるわ~とか。


頭皮がガチガチだから、色々考え過ぎて気が休まってないんだんだなとか。


看護師セラピストという職業柄、
だいたい、カラダ触ればどこが辛いかわかってしまう。


この痛みには医療用麻薬だな。

で、その合間は温めるかとか。


この苦しさは酸素化が悪いってよりメンタル由来だから、
痰の吸引とか麻薬頓服じゃなく(私は一応、緩和ケアのプロw)

レスキューレメディーやホメオパシーでも飲んで様子を見るかなど、色々使い分けてる。

薬剤以外に“引き出し”があると、
本人も家族も精神的に救われる。

まだまだやりようがある、と思えるから。。

もちろん、この感覚は日々の学習と経験を積み重ねさせて頂いているからであるが。
(私なんてこの道20年弱くらいだから、
全然学習も経験も足りてないが)


ここ数年、やたらと目に見えない世界の感覚的なものが冴えてきて。


論理的にも直感的にも色々感じとれてしまうw


ゆえに、ある意味、けっこうしんどいw


で、さらにそれをズバっと口や顔に出してしまうから大変なことになるw


少し前まで、父を恨んでいた部分もあった。

過去の確執とか。

どうしてこんなになるまで頑張り続けたのかと理解できなかった。


でも、今は違う。


父の偉大さに気がついた。


仕事第一で一所懸命にお尽くしするのが父の生き様であり。


時間だけ巻き戻ったとしても、きっと同じ選択をしているのだと思う。


私は去年から学び始めた教えを、父はおそらく誰にも習わずに、何十年も実践し続けてきたのだ。


最近は、歩くことも辛くなり、ただリビングのベッドに横になってるだけなのに。


それでも、やはり父は家族にとって精神的な大きな柱だ。


最近は、お互いに介護疲れで余裕がなく。

母と私が言い合いをしているのを、か細くなった声でなだめて、諭してくれるのも父だ。


父に対して心からの申し訳なさと、心から愛してますと感じる。


私がもっと早くにそのことに気が付いていたら、父との関係性がもっと豊かで愛に溢れていたんだろうなと思う。


これまでも沢山飲みに行ったし、色んなところに旅行にも行った。


実家が東京になった流れもあり、同居前からもけっこう頻繁に交流があった。


思い出がありすぎて。


先日も、約束の待ち合わせ駅に降りると、あ~昔ココの駅の居酒屋で飲んだな~ココの銭湯行ったなぁとか。


飲んべえで、フグとかモツとか好きだったよなぁとか。


食が細くなり、というより嚥下機能が落ちてきているので、もう食べられないのかぁとか思うと、切ない。


現実を受け入れられていないのは私だ。


今朝も出勤前にリクエストにこたえて背中と腕、デコルテ周りだけ、軽く施術した。


ひと泣きして、出勤した。


片道1時間半の電車通勤は、ひとりになれる唯一の時間(あとお風呂もw)。


もはや人目を気にせずに泣けて、目や鼻の赤みがひくまでの時間があって、ちょうどいい。


表に出る(誰かに会う)業務がない日もあり、時間をある程度自由にさせて頂き、黙々と作業できるので助かっている。


色々あるけど、今を生きる、生きてる。


色んな立場や思いを経験して、魂を磨いて、自分らしく生きていけたらよいなぁと思う。


今起きてることは、今の自分に必要で、今のタイミングがベストだったんだなと。


そう思うと、公私ともに最高に充実した豊かな日々。


ありがとうございます。


心からの愛と感謝を込めて。

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