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私の中のピーター・ドイグ

開幕してすぐに休館になってしまった東京国立近代美術館の「ピーター・ドイグ展」。ニコニコ生放送で学芸員の方と展示を巡る動画が配信されてして、勉強のために見てみた。オラファー・エリアソン同様、完全に初めましてである。

ピーター・ドイグはエジンバラ生まれ(UKの中で私のイチ押し観光スポット!)、トリニダード・ドバゴ&カナダ育ち。「画家の中の画家」と呼ばれ、ロマンティックでミステリアスな風景を描くアーティスト。30億円で絵が落札されたことも。

ドイグ初心者の私は、このプロフィールを読んだときに、ハッピーでキラキラしたおとぎの国みたいな絵画を想像した。でも、実際(オンラインでだけど)見てみたら全然違う。一見おとぎ話に出てきそうな世界だけど、それは完全な非現実の世界ではない。確実に現実の世界も描かれていて、その構成に闇深さを感じてしまった。「本当は怖いグリム童話」を読んだときのようなイメージ。上手く生きるために、現実に蓋をしたような。非現実を描くことで現実を遠ざけたような。でもすぐそこに現実がある恐ろしさのような。

ドイグの作品にはよく「カヌー」が出てくる。この「カヌー」は何なのか?もしかしたら描写されていないだけでドイグ自身が乗っているのかもしれない。そして、「おいで」と観ているこっちが誘われているような気もした。仮にそのカヌーに乗ったとして、行く先は現実なのか、それとも・・・?考え始めるともはやホラーでしかなかった。

また、ドイグの作品の多くには「人」が描かれている。サイズ感に違和感があるこの人たちは、普通なようでどこかおかしい。夢の中に出てくる人みたいだ。私だけかもしれないが、夢の中の登場人物は、会ったことないのに会ったことあるかのように振る舞ってくるし、謎の行動をとってくる。不思議と、作品を観ながら私は寝てるんじゃないか?と思うくらい、ドイグの作品は夢の中っぽいのだ。まさに夢こそ現実と非現実が同居している世界な気がする。

夢は、現実には起こり得ない幸せな出来事を見せてくれることもあれば、起きた瞬間汗だくなくらい嫌なことを見せてきたりする。でもどちらも私の頭の中で作られた世界であって、ある意味現実なのだ。それをドイグは1枚の絵に表現することで、現実と非現実の境界が曖昧だと言いたいのではないか。

現実も非現実も現実。現実をちょっと脚色すればキラキラした見方ができるし、そうすることでストレスになっていたことから解放されることもある。でもそのキラキラ世界の真横には現実がついて回り、すぐにも引き戻そうとしてくる。それ全て含めて、現実なのだ。ドイグの作品を初めて見て、そんなことを勝手に思ったのでした。

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