キャスリーンストックとホリーローホードスミスの決定的な違い

タイムインデックス29.33から見てください。
キャスリーンストックはジェンダー廃止は不可能で、それはジェンダークリティカルのゴールではないと言っています。
ホリーローホードスミスはジェンダー廃止はジェンダークリティカルのゴールだと言っています。

キャスリーンストックがイギリスで自称トランス女性軍団に負けてしまったのは、ジェンダー廃止を念頭に置くことができなかったせいではないでしょうか? かたやホーリーローホードスミスは教授職を脅かされていません。

セルフIDに打ち勝つためには、トランスジェンダリズムそのものを否定しなければならず、それが可能なのはジェンダー廃止論だけなのかもしれません。

ジェンダークリティカルフェミニストにとってジェンダー廃止論は究極の武器かもしれません。


二人の会話を追っていくと

ホリーローホードスミスははっきりとジェンダー廃止がラディカルフェミニストとジェンダークリティカルフェミニストの一貫したゴールだったはずと言いっています。Debra Sohの著書をあげ、彼女はジェンダーは生物学的なものだと言っていると言っています。しかし、過去の歴史で生物学的に女性だからといって押し付けられた女性らしさは生物学的ではない、たとえば、パンを焼くのが好きとか。男性支配を正当化するために押し付けられたものはすべて廃止するべき。ラディカルフェミニストとジェンダークリティカルフェミニストはいったんブランクスレイティズム(blank slate 人間の本性についての白紙の状態の味方)につとめ、どれが社会化され、受け継がれたものか、どれが生物学的なものか(もしあるのなら)見極めないといけない。わたしたちは押し付けられたものはすべて廃止したいと考えている。

キャスリーンストックは、ホーリーに聞きます。社会化され受け継がれたもので良いものは全くないと考えるのか?

ホーリーは答えます。人間として受け継がれて良いものはあるが、女性だからと言って受け継がれたものはないと。ホーリーはキャスリンにそういうものある?と聞きます。

キャスリーンは、読書の会、女性の仲間の世間話、編み物の会とかがあると答えました!(わたしからすると、彼女は全くジェンダークリティカルに感じません。彼女には身体が男性なのに編み物の会で仲間だと感じた自称トランス女性がいたのではないかと推測します。)彼女は答えます。それはジェンダーを有害なものと定義するかどうかによって変わってきます。社会的な差異をすべてなくすことは不可能と考えます。彼女は自分はラディカルフェミニストではないと言っています。

キャスリーンはジェンダークリティカルと言っても、イギリスの過激な自称トランス女性軍団からするとジェンダークリティカルというだけで、日本人からすると普通の女性の感覚に見えます。

そんなキャスリーンが大学で叩かれて辞めたなんてひどすぎます!






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