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父の最期と、コーチング

これまた、お久しぶりの投稿になってしまいました…


6月初め、父が他界しました。

2月に末期がんとわかってから4か月と持たなかったです。医者の想定より遥かに早く進行したようです。

そんなわけで、ブログを書く心の余裕がなかったのが、言い訳です…

13年前にオーストラリアに移住して以来、祖父母3人を亡くし、親の死に目にも会えないだろうなと覚悟していました。

しかも、コロナ禍。オーストラリアは原則出国禁止令が敷かれています。

親が亡くなりそうだけど、出国許可が下りず帰れなかった…という話を何度も聞いていたので、まず無理だろうなと思っていましたが、なんとか帰国できたのは本当にラッキーでした。

どんな書類を準備したかはこちら👇(また状況は変わっていますので、あくまで参考程度に)

父は一人暮らしでしたので、誰かが手伝わなければなりません。

兄弟は弟がいますが、今年は猛烈に忙しく大事な年でした。実は弟がパラリンピック選手なんです。


父も、1月に亡くなった伯母も、今回の大会を楽しみにしていたので、コロナで延期になって見られなかったのは本当に残念でした。

父の病気がわかったとき、弟も全豪オープンでオーストラリアにいましたので、医者からの告知の際、弟の奥さんに病院に行ってもらい、私はZoomで参加しました。

彼は5月からフランスへ。父は全仏オープン開始直前に亡くなったので、弟は葬儀にも参列できませんでした。

帰国後はまた隔離があり、このブログを書いている7月現在はイギリスにいます。8月はパラリンピック、9月は全米オープンで即アメリカへ発つそうです。

私が帰国し隔離が明けるまでの2か月間、弟の奥さんが父のサポートをしてくれました。

もし私が帰国できなければ、生前の家の片づけ、保険申請、施設探し、亡くなった後のお葬式、お墓探し、役所手続き、相続手続き諸々…全負担がお嫁さんに行っていたと思うと💦

もちろん、これらも可能な限り手伝ってくれています。感謝しかありません。

コーチングが役立ったこと

生前の父は、かなり気むずかしい所があり、決していい関係ではありませんでした。

今回、私の言動の色々が気に入らなかったようで、「お前は口出すな。そもそも帰ってきてくれと頼んでない」などと言われたり。

死を目前にし、苦しい治療をしている父のほうが辛いのはわかっていますが「そう言うなら、帰ろうか…」と本気で思ったことも。

コーチングで、自分の中の許せない人から解放されることが大切…と学び、父のいい所を探して許そうと心がけていましたが、

また、昔の負の感情が湧き上がってきて感情とストレスのコントロールが本当に難しかったです。

ですが、ある方に「お父さんとマイコさんの人生は別物と考えるべし」と言われ、

父は私に甘えているから
私は父にもっと甘えたかったから

つまり共依存関係にあったからツラくなってしまったんだなと。

コーチングを学んでいなければ、この方の言葉もすっと受け入れられず、きっと父が亡くなった今でも許せなくて負の感情に支配されていたかもしれません。

それ以降は、父をクライアントの一人だと思うことにし、基本、口出しせず、傾聴、共感、承認の姿勢で父と接していたら、父もだんだん穏やかになっていきました。

父のために最低限やるべきことはやれたし、後悔はありません。日本に帰国するために手伝ってくれた全ての方に感謝です!

この3か月間、コーチング業は4月にリクエストがあったので開講しましたが、自分からブログを書いたり積極的に発信するのは避けていました。

日本語レッスンは、リスケやキャンセルも何度かしてしまいましたが、生徒さんの理解もあり続けることができました。

仕事が全てオンラインだったからこそ、私もフットワーク軽く帰国できたので、よかったなと思います。

まだまだやることはたくさんありますが、日本の複雑な税金やらのシステムについて学ぶいい機会を与えられたのだと思うことにしています。

ボチボチ息抜きしながら、古い友人と美味しい物食べて帰ろうと思います!

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