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親の介護、父の話。

私は47歳で、一人っ子です。
再婚し、子供は、なし。
母と主人と私の3人で暮らしています。
母は78歳。父は享年89歳。
ひとまわりも、離れている夫婦でした。

父は2年前に他界。
亡くなる5年程まえ…今思うと7〜8年から
アルツハイマー認知症を患っていました。

当時の私は、今のような活動ではなく、
フリーインストラクターとして活動していて
介護制度、認知症についても
理解はそれほどなく、親の介護について
どこか遠くに感じ、でも感じながら
それはジワジワとやってきていたのでした。

『家族の介護』について
その現実は、実際に経験してわかったことでした。


どんどん、認知が進んでいく
ご飯食べたのに、何回も『ご飯はまだ?』の父。
排泄物は垂れ流し。
外に出て行く…徘徊。

バリバリ70歳まで看護師をしていた母が
退職後すぐに、朝から晩まで父の介護に追われ、時々泣き叫ぶ声、大きな声が聞こえてくる。

母に『パパに怒っても、わからないんだよ』

私はいつも言ってたけど、とても無責任な言葉を
言ってたなと今になって思う。

自分の配偶者が変わっていく姿を
受け止めろなんて酷な事。

ただ、どんなに症状が進み、ボケていても
私達の事を、『ママ』『まいこ』と覚えていて
名前を呼んでくれていた、これだけが救いでした。

そんな時に母が父の介護から体調を崩し
手術で卵巣・子宮摘出、その後、脳梗塞を発症
(入院を経て後遺症も、ほぼなく暮らしています)

この事をキッカケに、
父は施設への入居が決まりました、それも突然。

『もう、パパはこの家に戻ることないんだろうな』


私と母は、父の事を放棄したような自己嫌悪に
陥いり、施設に面会の帰りは2人で涙しながら
『パパ元気だったね、笑ってたね』
『パパは幸せなのかな?』
『これで良かったのかな?』

そんな事を良く話していたことを今、鮮明に
思いだしています。


施設入居後の父は、とても元気、体調も良好。

だけど、突然やってきた。

インフルエンザから肺炎、入退院を繰り返し
当時88歳で老衰が進み、回復は望まれないとの話で、
父の意識もほぼ、ない状態に。

『今後どうするか、ご家族で決めて下さい』

私と母は、施設でのターミナルケアを希望しました。


もっと話したかったかなあ。
手を握りたかったなあ。

その頃は、私は現在、運営している店舗が
オープン間近のとき

面会に行く度に『もう、そろそろかもしれません』

『恐らく、今晩あたりかもしれません』

母は『会いに行かない』
…受け止められないんだろうな。

『最後なのかもしれない』私だけが会ってきたのでした。

その日の夜中に、電話で知らせが来た。

父が他界した。

私が父にもっと前から出来ることは、あっただろうか。
母にはどうだったろうか。

店舗オープンを控えて、いっぱいいっぱいの
私は思いっきり悲しむことも
母のケアをすることも出来なかった。

今、あのときのことを自然と振り返る…
やっと、振り返ることが出来るようになったのかもしれない。

先日、父が夢に出てきて、めちゃくちゃ笑ってた。
私は夢の中でも泣いていて、自分の涙で目覚めた。

なんだか、とても安心した気持ちになったのでした。

だから、今、この記事を書いたのかもしれないと思う。

最近、【親の事】を切実に心配され
ご相談をいたただく機会が増えています。

簡単じゃないことも沢山ある。うまく伝わらない時もある。

けど、子の気持ちは、やはり親に届くのです。


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よろしくお願いいたします

まいこ。



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