他者の人生文脈をどれだけ想像できるかが大切な気がする
2020年に父の仕事を継承し出した最中に非常に心無い(と、私は感じた)言葉をかけられた。「同族経営?」。そもそもうちは同族経営ではないし、そんなことを言うくらいだから、相手は、これまでの私の人生文脈はおろか、悩んだことや、戦ったこと、傷ついたこと、真意を、何も知らないだけなのだ。だから、言わせておけばいい。私は、気にしなければいい。その様に、乗り越えて来た。
私は他者との不和が非常に苦手で、お人好しなところがある。最近特にこの点が裏目に出てしまい、何も知らないであろう他者から、驚くような(嫌味に感じられる)言葉を投げかけられることが増えた。しかしこれに同じベクトルで言い返すことは解決にはならないと思っていたのだ。
しかし、数日前、私が考え方が好きで読者になっている人物が私と同じような(似ていると、私は感じた)ことを吐露しているのを見た。理性的なコミュニケーションが取れず理解し合えないばかりではなく、自分の興味を妨げられたりといった「侵害」「搾取」を受けるような相手には、動物的なコミュニケーション(やり取り)も必要なことがある、と言った内容であった。
私はこれを読んだとき、「お人好しないつもの自分」と「なんだか、ほっとした奥深くの自分」を感じていた。「お人好しな自分」は、引き続き不和を懸念しているが、「奥深くの自分」は、涙を流しているのである。もっと早くに気付いてケアしておくべきだった、小さな自分がうずくまっていたのだ。
もうお人好しは止めよう。威風堂々、毅然と、自分で自分を守らなければならない時が、人生には多々あるのだ。言いたいことは伝えていいし、距離を置きたい相手からは、離れていいのだ。明るく、前向きな、大好きな人たちが居れば、それでいいのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?