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流れと静寂


日中に窓の外から惜しげもなく降り注ぎ、白ベースの室内に自然な明るさをもたらしてくれていた光が、ゆっくりとその力を弱めていく。

通話中のパソコンの画面に映る自分の顔の映像が、段々と見えづらくなってきたのを認識すると同時に立ち上がり、部屋のライトのスイッチに手を伸ばす時間帯。


指導を終えてパソコンを閉じると、近所で行われている建設工事の音もいつのまにか聞こえなくなっている。
自分が都会に住んでいることを一瞬忘れそうになるくらい、静寂が支配する時間帯。


半分は記憶の中から聞こえてきているのかもしれない。
エアコンの風の音の背後で、カエルの鳴き声のような音が響いている時がある。遠くから、間断なく。

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18歳まで過ごした実家は、近くを一級河川が流れ、田んぼに囲まれた典型的な田舎の古い一軒家で、この季節は日が暮れると毎日、カエルの声が部屋中を満たした。


昔から音に対して過敏な性質があり、集中したい時は一人の静かな空間が必要だった私にとって、この時期の夜というのは結構辛い時間でもあった。


雨の匂いに厚い雲。
道端でぴょんぴょん跳ねるカエルたち。


当時は、それ以外の世界を知らなかった。



永遠に繰り返されると思っていた日常は、いつも、ほんの僅かな言葉や、何気ない想念や、ちょっとした違和感をきっかけに変化していく。


それは、目標を持って自分の行動を意図的に変え、状況や環境を変えていくという、今やありふれた、自明のものとすらなった方法で生み出していく主体的な変化とは、またちょっと違った性質のものだと思う。


きっかけとなる個人の意志なんて簡単に呑み込んでいく。そんな流れのようなものに運ばれて今ここにいる。時々、そんな気持ちになることがある。


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漂流することにさして抵抗感がなく、その功罪もよく分からなかった自分から、いつ頃からか引きずられるような不安定感が消えた。

そして、少しずつ流れに味方でいてもらえるようになってきたのは、大切な生徒たちに等身大で接するようになってから。


積み重ねてきたものも、勝手に貼りついてきたものも一回全部横に置いて。真剣に、楽しく、安心して勉強できる時間を作り、利害のない相談相手でい続ける。一緒に笑う。

並行した暮らしの中で、大切な人達と同じくらい自分のことも大事にする。日常の1つ1つの小さな選択を適当にしない。


それは、カエルの鳴き声に耳をふさいで机に向かいながら、必死さと不安に押しつぶされそうになっていた田舎の女の子に、寄り添い続けていくことでもあるんだろうと思う。



最後まで読んでいただいてとっても嬉しいです。ありがとうございます♡