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世界が作られていく


9月の初め、月1の京都へ。


妙に早い時間に目が覚めて、普段より3時間以上早い新幹線に乗る。

早く着いたら、懐かしいカフェにでも行こうかな。


それとも


特に目的があるわけではないけれど、何となくずっと行ってみたいなと思っていた場所に行ってくることにした。



余計な移動が発生するのと、暑さの中で歩く距離も結構ある。

やっぱり止めといた方がいいかも。


というか、何を求めて向かおうとしているんだろう。



肩にかけた荷物の重さに一瞬よろめきながら、新幹線を降りる。


エスカレーターを降りて、そのまま在来線に乗り換える。

住んでいた頃でさえ、この電車に乗ったのは1,2回くらいかもしれない。


とりあえず、乗ってみようか。




最近ずっとまともな睡眠を取れていないのに、体力を消耗するようなことをして大丈夫かな。


そんなことを考えながらも、身体は確固たる意志を持って進んでいく。

こういう時、私の思考は結構無力だなと思う。


その無力さに助けられることも多々あるから、今回もそうだと良いなと淡い期待を抱きながら、よく知っているような全く知らないような窓の外の景色を眺める。




その日から20日間ほど。


翌日東京に戻ってきてから、色んなことが目まぐるしく動き始めた。


びくともしなかった状況がいともたやすく変化していくのは、かなり奇妙なことではあるけれど、そこにある種の必然性を感じる部分もある。

ありがたいのは、いつもバタバタしている私の健康を心配して声をかけてくださる人が色んな場所にいること。


そのおかげで意識的に頭を冷却しようとする時間を確保できている。

家族のように接してくださる方が沢山いること。


いつの間にか周囲に形成されていた、あくまで個を尊重しながら繋がっていくコミュニティ。


本当に感謝しかない。





「先生、一緒にコンビニ行こう」


暑さが多少マイルドになってきたから、まぁいいかと思ってついていく。


日焼け止めを塗るように促されて、しぶしぶ塗る。


こういう時間の他愛もない会話の中に、その子の思いを引き出すヒントがあったりする。


期限が迫っていて焦燥感らしきものがどんなにあったとしても、結局はその時々のベストな状態になるだろうと思えるのは、


普段のコミュニケーションの積み重ねが論理を繋ぎ、発想を生み、最終的に無事着地する助けになっていることを自覚しているからなんだろう。


その過程に疑問を抱くこともなくなってきた。


それと同時に、自分の中にある種の力強さが生まれてきたように思う。




顔にシートマスクをのせる。


洗濯機の音がする。


いつの間にか定着した毎晩のルーティンに、時々不思議な気持ちになりながら天井を見つめる。



着実に時間は経過している。


そして、きっと今目の前にあるものは全て、自分が望んだ世界なんだろう。







昨日はめぐまつさんが、こちらの記事をオススメしてくださって、朝からとっても嬉しかったです。ありがとうございました✨


最後まで読んでいただいてとっても嬉しいです。ありがとうございます♡