とっておきの時間を
きっともう使うことはないだろうな、というテキスト類をダンボールに詰めていく。
目の前にある書籍に対しても、それを使っていた当時の一人一人の生徒さん達に対しても「ありがとう」の気持ちを込めて。
定期的に整理しないと収納スペースが溢れてしまうので、時々チャリボンを利用して本を寄付するようにしている。
並行して、長い間使わせてもらった椅子を粗大ごみに出す。
こうやって物理的にスペースを作っていく。
そうすると今度は何か新しいものが入ってくる。
それは「物」ではない場合も多いけれど、必ず誰か・何かとの新しい出会いが流れ込んでくる。
大抵は予想外の形で。
昔は物を捨てるのが苦手だった。
ただ、この現象に気付いてから「もったいない」という気持ち自体が「もったいない」のかもしれないと思うようになった。
もちろん大切に使わせていただいた上で、手放すタイミングになったものは感謝の気持ちとともに手放していく。
1つ1つ終わらせていく。
自分の中に焦りに類するような感情がある時は特に集中する。
そうした積み重ねはいつも、自分をこれまでとは別の場所に連れて行ってくれた。
近所のタリーズへと向かう。
連休の最終日。
朝から席は満席に近いけれど、不思議と静かだ。
ロイヤルミルクティーの甘味で目が覚めてくる。
電車が行き来する音がする。
本当は日々沢山のものを受信し、受け取りながら生きている。
結局、どれだけキャッチできる状態にあるかどうかなんだろうなと思う。
先月は、過去に教えていた生徒さん達からの連絡や近況報告がよく届いた。
何人かとは実際に会っておしゃべりし楽しい時間を過ごすことができた。
元気に頑張っている姿を見ると純粋にほっとする。
noteには関わってきた子ども達とのやり取りを書くことが多々あるけれど、ここ数年は大人や大学生からカウンセリングやサポート、授業のお願いがあることも増えてきて、
ずっと続けてきたことが、いわゆる勉強や学習の領域を越えて広がっていっているのは本当にありがたいなと思う。
自分にとって自然で、大切にしたいと思っている軸を自分自身が一番尊重する。
「普通はこうだろう」という制限をできるだけかけないようにする。
そうしていると、それを尊重してくれる人が色んな所から集まってくる。
流れに乗るというのは、きっとこういうことなんだと思う。
バッハを3曲ほど弾いてから、ショパンへ。そしてムソルグスキーへ。
何だかお腹がすいてきて干し芋の袋を取りに行く。
お返事を書いて封をする。
実家から持ってきた子供の頃に集めていたデコボコのシールを貼る。
青のボールペンでVIA AIR MAILと書く。
この夜の静かな時間も、きっと沢山のものを運んできてくれているんだろう。