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他人の領域と上手に距離を

ちょっとくらい大変だったり、多少の不満足感が残るやり方でも、変えない方が心理的に楽で、「どうにかしたいなぁ」と言っている方が連帯意識や「頑張っている」感が生まれる、ということは結構よくある。


だからこそ、変える気がないのが伝わってくるのに、「改善したいけど、どうしたら良いと思う?」と同じ問題について、アドバイスを求められ続けると、

「本当は今の状況のままが良いんだろうなぁ」という気持ちが徐々に増してくる。段々と、その問題のことで一緒に考えるために使っている時間が、勿体なく感じるようになってくる。

毎回真剣に、比較的簡単に実現可能な改善策を提案しても、結局、体制を変えたい、と当事者が心から望んでいない限り、難しいんだなと感じる。



「そういう人は、悩むことが好きなだけ」、と言ってしまう人を見かける時もある。

それは、確かに真理なのかもしれない。もちろん、自分自身も含めて、そこまで色々なことを割り切って生活できる人ばかりではないから、あまり切り捨てるような言い方をしない方が良いとは思うけれど、

実際、アドバイスをしても何も変わらない場面が繰り返されると、色んな事情を勘案しながら真面目に提案するのもバカバカしく感じてしまうことがあるのは、否定できない。



他方で、そんな自分の気持ちを見つけた時、それはそれでちょっと寂しくもある。

だから、他人に対して、「いつまで先延ばしするのかな」と若干の不満のような感情を抱き、冷ややかになっている自分を見つけた時は、自分自身を振り返るようにしている。

自分自身の中にも、同じようなものがないだろうか、と。

「こうなったらいいな」と思っていて、ちょっと勇気を出せばすんなりできることなのに、なんでか、やれていないことって、程度の差こそあれ、まだまだ結構あったりする。

もちろん、1つクリアすれば、また1つ何かしら考えなければならないことが出てくる。問題が完全にゼロになって、改善できる要素が一つもなくなる、なんてことはきっとない。

だから、どこかで「今の不満状態」を維持していても良い、と思ってしまう側面もあるんだと思う。

結局は、他人の価値判断の問題だから、その人の領域で生じている問題である限り、最終的に口を挟むことはできないし、自分のアドバイスが消えてしまうことにモヤっとすることもまた、お門違いなんだろう。



一方、じゃあ、自分がその状態に対してどう関わっていくか、というのは別問題であって。自分に対して「どうしたい?」と問い続け、選んでいくという姿勢は、忘れてはいけないとよく思う。

できるだけ優しくありたいし、可能な限り親切でいたい、困っていることがあれば手を貸したい、という欲求は、とても人間らしくて、なくしてしまいたくないものだけれど。

他人の領域と上手に距離をつくる。どんなに身近な人たちとの間であっても。それはとても大切で、ちょっとだけ難しい課題の1つです。



最後まで読んでいただいてとっても嬉しいです。ありがとうございます♡