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重なりあう世界

少しひんやりとした心地よい空気と、秋晴れの空。しまっていた長袖のワンピースを出してきて、外を歩く。

近所の神社の鳥居をくぐり、メインの参道から少し外れた場所にひっそりと佇むお稲荷さんを目指す。しばらくぶりに手を合わせる。


「今年もみんなが、各々にとって一番ベストで、才能を伸ばしながら元気に過ごせる環境に着地しますように。」


うーん、それから、他に何かあったかなと、ぐるっと思考を巡らせる。頭の中は空白のまま。背後で風が葉っぱを揺らす音がする。


こうやって自分の中から外に出して、自分以外の何かにもお願いしたくなるような種類の願望なんて、実は今あんまりないのかもしれないな。

それでも粘って考えていると、後ろに誰かが来た気配がする。それが気になって、結局2つ目の願い事は思いつかないまま頭を下げ、足早に石段を降りる。

沢山の参拝客がいるメインの参道を避けて外に出る。

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最近、ノイズが多いなと感じていた。

授業をする時にも、楽器を触る時にも、理屈より感覚が研ぎ澄まされていることの方が私にとっては大切だ。日常に小さなノイズが多いと、感覚が鈍化していく。その影響は、自分の中心からストレートに出てくる言葉や表現が減ってきている時に自覚する。

多くの場合、そこはかとない不安を運んでくるような、偏った思考をしてしまっている。


窓を開けて空気を入れ替えて、深呼吸する。遠くでカラスや虫が鳴いている声がする。ミネラルウォーターを片手に、一つ一つ、丁寧に取り除いていく。



先日、採血をした後、右腕に大きな痣ができた。昔からよく病院には通っていた方だけど、こんなことは初めてでちょっと驚いた。8月に蕁麻疹で真っ赤になった右腕が、今度は青紫に。

コンチェルトの速いパッセージをもっと綺麗に弾きたいな、と練習していても、無意識に腕を気にして力が入り、痛くなる。


その痛みで、立ち止まる。カレンダーを見返すと、ずっと空欄がない。痛々しい痣や鈍い痛みは嫌だけど、自分に還るきっかけを与えてくれるものだ。


仕事に関しては、例年より大分上手くコントロールして自分に余裕を残しつつ、生徒が着実に力をつけて準備していけるように組み立ててきたけれど、この時期はどうしても不規則なもの、予定外のものが入ってくる。


ただ、状況が慌ただしくなっても、隙間でやりたいことが増えても、結局は心の余裕と、それを支える日々の生活の一瞬一瞬の選択が土台だ。

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どんなに大切だとしても、一人ひとりを通して分岐していく世界の全部を受け入れることはできないし、その必要もない。ただ、その世界が重なる部分で自分にできる最大限のサポートを、本人が力に変えられる形で届けていけたらいいなと思う。

軽やかに。シンプルに。


最後まで読んでいただいてとっても嬉しいです。ありがとうございます♡