幸せの余白
桜の花束を持って、お別れのご挨拶に向かう。
この時期は環境が変化する人が多いから、何だか寂しくなる瞬間も多い。
ただ、皆それぞれにとっての希望がかなうような環境への変化なので、それは自分のことのように嬉しいことであり、一緒に喜ぶことができるのもまた嬉しい。
毎年この時期にメニューでよく見かけるサクララテをいただきながら、窓の外の桜並木を眺める。
ゆっくり深呼吸する。
放っておくと喧しくなる思考を一回鎮める。
最近ちょっとだけ強引にスケジュールに余白を作るようにしてから、素直で人間的な感情を普段より深く味わえるようになってきたのが分かる。
創造性が必要な作業に自然と気持ちが向いていくようになる。
そんな流れの中で、何年も会っていなかった友人に会うことになったり、しばらく連絡を取っていなかった人達からの連絡がちょこちょこ届くようになったりするのは不思議だ。
嬉しい。寂しい。
忙しすぎるとそういう気持ちに鈍感になりがちで、そんな時は毎日何度も繰り返される選択の精度が低くなっているんだと思う。
そのことを無意識に自覚しているからか、漠然とした不安感が増幅していくし、何となく孤独な方向へと自分を追いやりがちになる。
特に私は、できるだけ無音の空間にいたいと思う頻度が増える。
ちょっとした思い込みであったり、思考の癖であったり、そういう類のものによって忙殺される状況に陥りがちになるので、意識的にそれを止める。
色々な理由を付けて現状を続けたくなる時もあるけれど、ある種の覚悟を持って止める。
結局は自分の健康や幸福感を守ることができるのは自分しかいない。
そして、そんな基盤が崩れてしまうと本当の意味で誰かの力になることも難しくなってしまう。
歩きやすくて気に入っているリボンのついたパンプスをクリーニングに持っていく。
本好きな生徒さんのために選んだ今読んで欲しい本を郵便局に持っていく。
読みかけになっていた遠藤周作さんの『眠れぬ夜に読む本』を最後まで読み終える。
ふと思いついたショパンのアレンジを譜面に書き足していく。
義務感に駆られて、あるいは設定した締切に追われて何かを絞り出す時、その時の自分に一番必要なものが生まれてくることも多いし、その行為自体の価値は高いと思うけれど、
何も考えていない時に自然現象のように訪れてくれるものには前者とは異質な輝きがある。
感情の揺れを丁寧に味わうこと。
少しペースを緩めて時間が過ぎ去るスピード感を調整すること。
そんなことを意識するようになると、大切な人達とのコミュニケーションの質も、一人一人の生徒さんに与えられるものの質も、瞬時に変化していくから面白い。
今日も一歩一歩。
いつも素敵な写真を使わせてくださっているハタモトさん。ピックアップしてくださってありがとうございます。
最後まで読んでいただいてとっても嬉しいです。ありがとうございます♡