今日の隣人Vol.1

このシリーズは、日常の個々の事象から学べることを残すための記事集です。読書をすると、ある程度抽象化された一般事項に関して学ぶことができますが、それらは自分の生活の中で実践するにはいささか抽象的すぎることがあります。その悩みを解決するには、日々の読書の内容を実際の生活に活かすユースケースや、単純に自分が相対した問題の解決に有効だった手段、単純に学びになると感じた個々の事象を、記憶が新しいうちに具体的に残すことが重要かと考えます。

そんな経緯で本日は、工学系研究室に所属する、とある学部4年生くんに関してのお話です。彼は、現在は私立の大学に通っているそうです。大学院進学を希望していますが、私立大学は学費が高いので旧帝大クラスの大学院に進学をすることを決めていて、実際にもう進路も決まっているようです。

彼には卒業論文の提出時期が迫っています。しかし、毎日大学で研究に充てる時間は短かかった。したがって、これまで研究に勤しまなかった分、提出前のこの時期ぐらいはそれなりに張り切って頑張らないといけないはずですが、今でも友人との飲みの約束を優先順位1位に持ってきているようです。

このお話から学べることは、頑張るときに頑張れないことに関してです。何かを為したい場合、その何かが現在この世で為されていないのは、それが面倒だからです。「いや、自分以外の人が気付いていないからだ」と反論される人もいらっしゃいますが、そういう場合は非常に稀です。世の中の多くの歴史的発見は、実は世界で数人が同時に発見していることが多々あります。つまり、この世で何かをなすにはそれなりにしっかり頑張らないといけないのです。でも、頑張ることを先延ばしにしてしまうのが人間です。結局何もできないままに人生のタイムリミットを迎えてしまう場合もあるでしょう。

今日の学びの核心は、身近な楽しそうなことを優先して刹那的に生きると、結局長く生きたときに苦しい思いをするということです。身近で刹那的に楽しみを追求するなら、○○歳で死ぬ、といった人生のタイムリミットを先に覚悟しておいて実際に死ぬ方が良いでしょう。長く生きると、周囲の自分が憧れるような人生を送っている同年代の人間を見て羨み、妬むといった精神的な苦痛や、単純に骨身にガタが来て肉体的に苦しむことになりやすいです。

本日の彼がどうなるかはまだわかりません。ただ、例えば戦国時代に最長の歴史を持つ幕府を開いた徳川家康は、信長秀吉の時代に非常に忍耐強く、自分の時代を切り開くための土台作りをしていました。心にもないことを、あたかも本心から感じているかのように述べることができる家康の特技は、家康の我慢の時代の協力な武器であり、実際に天下を取るに至った重要な要素です。

昔の旅を思い出してみてください。旅の頭と終わりが記憶に残っていませんか?人の記憶はイベントごとの始めと終わりを、そのほかの時間より頭に残してしまう性質があります。人生の初めはほぼ覚えていませんから、死ぬ間際に感じる感情は、死ぬ間際に近い時期の記憶からなる感情でしょう。つまりそのとき、どんな感情で生きるかということが、結局自分の人生に関して最後に感じる価値なのではないでしょうか。

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