見出し画像

統合意識せず自分を生きる

俗に言うツインレイ
ただ、私の感覚としたら「片割れ」と思ったのも確かで、まるで自分を見ているようなツイン彼も
あの当時「この人自分を生きていない」という
もどかしさがあったのも確かで

「なんで?そうなっちゃったの?」と
思う姿が哀れに見えたけど自分もそうだった。

いつも誰かの為に自分を犠牲にして生きて
本当は自由になりたいけれど
自由になれない環境に身を置いて
内なる叫び声に蓋をして
諦めて生きていた。

人といても、どこかで警戒して不安で
だから安心する場所が欲しいけれど
自分の繊細さや感性は理解されることがなく
表現をすると人は寄ってくるけれど
それを受け入れる余裕なんてない。

そんな自分だった。

それを彼は見抜いていて
いつも私に忠告してきたけれど
その台詞、先ず自分に言ってあげなよと
思うことも増えて付き合ってもいないのに
言い争いになって

「2度と連絡してくるな!」という
言い方も自分に似ていた。

自分を守るのに必死なんだよね。

あの出来事があってから
自分の心の闇が浮き彫りになり
死んでしまうのではないかと思うほど泣いて
苦しくて過呼吸になりそうになるほど
孤独になって、その度に
彼が言ってくれていた言葉を思い出す。

その言葉の本質が見えてきた時に
私はようやく彼の愛情に気づいて
静かに心を落ち着けて
自分を直視するようになった。

本当は、どう生きたいの?
誰と生きたいの?

私の先祖のカルマとなっていることがある。
見事に女系家族で、私は父親を知らない。

母親も愛する人と添い遂げることができず
母親がずっと話すのが
私の父親とずっといたかったと高齢になっても
願っていたことだったけれど願いは叶わず。

祖母も家系の都合で許嫁となって
本当に好きで愛した人と一緒になれず
祖父と同じお墓には入りたくないと
死ぬ前まで言い続けた人で
死後も離れている状態。

「結婚は幻想で、生きていく為に
好きな相手を選ばないし選べない。」

私の結婚もそうだった。

女が生きていく為の結婚

こんな負の連鎖を私で止めて
子供達には幸せに生きて欲しいと願い
私は離婚したけれど、その後も出逢う人
今いるパートナーも、本当に添い遂げたい人か?と考えてきた2年間。

こんな自分に終止符を打とうと決める流れに
なってきている。

誰かの為に犠牲になる人生
その犠牲でボロボロになっていく自分
ボロボロになるから生きる為に頑張る自分

結局、私、自分自身から自立できていないという
気づき

今の私で、もう一度彼と向き合えたらとも
思うようにもなってきたけれど
彼が幸せであればそれで良いのかもしれない。

これから始まる私の
自由になる挑戦があるから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?