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自分を「主役に」学ぶこと

大人になって、「学ぶ」ということは信じられないくらい楽しい。

私は今、ある大学に通って英語で憲法を学んでいる。久しぶりの大学にワクワクすると同時に、社会人になって通うからこそ見えてくる世界に毎回たくさん出会っている。初回の授業の予習をいつもの仕事の要領でやっていたら、私が予習した範囲はまるまる1期分だった。私たちは普段そんなペースで仕事をしているのかと驚き、こんな風に大学時代に勉強をしていたとしたらどれだけ力がついていただろうと悔まれた。

一応、法学部卒業なので大学時代は憲法学者の先生に憲法を習っていたはずなのに、悲しいかな、今の私にはその時の講義が何も残っていない。それが今、自分でいろんな学者の書いた憲法の本を読み、歴史を学んでいると、どんな情報も自分に必要なこととして前のめりで入ってくるのだ。自分が知りたいと思って取り組むのと、他人の「教えよう」に従うのではやはり全然違う。どんな勉強も今なら「自分ごと」として、自分を主役にその勉強を「使う」ことができる。

大学生に講義をするときによく言うことなのだが「話は一方的に聞きっぱなしにしないでください。聞きながら常に考える。主役はいつでも自分です。その自分に今のその情報はどう役立つのか。今勉強していることをどう活かしていけるのか。常に考えながら聞いてください」それは自分自身が今この歳になってようやく辿り着いた「主体的な学び方」だった。

自分も大学で教えるようになって、ちゃんと聞いている大学生と、同じ話をしてもスマホを触ってばかりの大学生と、同じ時間をどう使うかってその人の人生を決めていくよなぁと思いながら見ている。そう言う私自身が大した大学生じゃなかったのであまり偉そうなことは言えないのだけど。

大学時代がどれほど恵まれていたのかがわかったのはこの歳になってからかもしれない。先週は名工大の生態学の教授にアポをとってインタビューをしにいき、次は建築の教授にインタビューをしにいく。大学の中にはこちらからアポを取って、話を聞きにいきたい専門家がたくさんいるのだ。その専門家から毎週授業を受けられるなんて、なんと羨ましい環境なのだろう。でも、大学時代に戻ったとしてもやはり今ほどその環境を生かせないような気もするのだ。

いろんなことを経験し、いろんなことが見えてきて、仕事で脳の使い方も覚えた今、この歳で学ぶということに、私はとても意味があるような気がしてきた。そこでグリーンジャーニーでは、子どもが小学生になり日中の時間が空いた主婦向けにリスキリングスクールを来年から開講することにした。(今はその準備中。また外に出せるようになったらお知らせさせてください。)

さて、ここまで書いてもうすぐ自分の子どもたちが帰ってくる時間。彼らはと言えばやっぱり勉強は好きじゃない。今朝も算数の間違いなおしをさせようとして息子に「俺、勉強大嫌い!」と言われたところだ。かたや、私は早く今日の授業の復習をしたくてうずうずしている。

自分が主役にならないと、いくらやってもやっつけ仕事になってしまい何の身にもならないんだなぁ。そんなことは知ってる。自分で気づいて、自分でやりたくなるまで待てばいい。他人の子だとそう思えるのにどうにも自分の子となると、「今日漢字テストでしょ。さぁ、やるよ!」となる。

早く勉強のおもしろさに気づいてくれるといいのになぁ。

まぁ、39歳で気づいた私に言われたくないだろうけど。



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