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最終回の前に

12年半番組をつとめてきたZIP-FMを明後日卒業する。この仕事を始めた頃なかなか上手くできなくて相談をしていた先輩たちはみんな揃って「ナビゲーターの気持ちはナビゲーターにしかわからないからね」と言っていた。数年経って、あぁ確かにその通りだと、ようやくその意味がわかるようになってきていた。そして卒業を数日後に控え、今思うのは「卒業するナビゲーターの気持ちも卒業するナビゲーターにしかわからなかったんだな」ということ。最近、去っていった先輩たちの顔ばかり浮かんでしまう。「あの人も、あの人もこんな気持ちだったのかな」ふと気が付けば一日中、エンディングの言葉を考えているような。一層早くその日がきて欲しいような。永遠にきて欲しくないような。そんな気分。

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ラジオのDJになりたいと思ったのはイギリスに留学していた大学4年生のことだった。全然授業についていけなくてホームシックになって初めて学校を休んだ日、何気なくつけたTOKYO FMのウェブラジオ(まだradikoがなかった時代。パソコンでトークだけが聞けるというものだった)から流れてきたDJの七尾藍佳さんの声に号泣した。それから毎日彼女の番組を聞きながら無事に留学を終えて、帰ってくる時には自分も誰かに同じことを返したいと思うようになっていた。

とはいえ、なり方がわからない。私はまさかのあの七尾藍佳さんのブログに「相談があるのですがここにメールをもらえませんか」と無謀にもコメントをし、親切な七尾さんが送ってくれたメールに「私はあなたに力をもらって、いつかあなたのようになりたいと思うようになりました!」とワード三枚に書いた志望動機を添えて送った。そんなスタートだった。本当によく、会ったこともない大学生のコメントにメールをくださったことだと思う。七尾さんへの感謝は今でも忘れない。

そこから当時七尾さんが所属していた事務所のFM BIRDを紹介してもらうも、受けさせてもらったオーディションの結果は不合格。それでも「今は何もできないのはわかってます。でも1年後には絶対に誰よりも何より吸収して何でもできるようになってみせますから!バイトからでも、掃除からでも、研修からでも良いのでとりあえず入れてください」と頼みこむ・・も、断られ。 FM BIRD主催のDJセミナー(今もやってます)を受けながら、授業の後は社長の出待ちをしてデモテープを出すも、ダメ・・というがむしゃらな日々が続いた(今思い返すと相当面倒くさいやつだった)。数ヶ月後、事務所から正式に契約の話をもらった時にも「今はまだ正直お力は全然ないのですが、それだけやる気があれば何かしらやってくれるのではないかと思い、あなたのやる気と伸び代に期待します」と言われたくらい最初は本当に何もできなくて、でも絶対になるという気持ちだけは強かった。

数年後マネージャーから「でもそれだけがこの仕事をやっていくのに必要な素質だったんだよ」ということを聞かされた。入るのも大変だけど、入ってからはもっと大変な世界(実際私も1年くらい毎日泣いていた・・)、技術なんて後から何とでもなるんだけど、その技術が身につくまでに折れないでいられる心を持っているかがこの仕事をやる上で一番大切なことなのだという話だった。

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あの頃の私が今の私を見たらびっくりするだろうなぁと思う。この世界で過ごした日々はあの頃の自分が思っていたより何万倍も素敵だった。私は最後、どんな話をするのかな。何度も考える頭の中のエンディングは変わってばかりだ。

3/29(日)17:00〜 ZIP-FM 77.8 SUNDAY HAPPY HOUR

よろしくお願いします。

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