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子どもに学ぶ「傾聴」

先日、小2の娘の通うアトリエのクラスに1年生の男の子が入ってきた。その子は先生の話をぜんぜん聞かず、みんなで作っていた作品に絵の具のしぶきをパーっとかけてしまったそうで、帰り道、娘はずっとそのことを愚痴っていた。

それを聞いた私は何とかその子が来週から居づらくならないようにと「でも、あの絵の具のしぶきむしろ素敵だったよ」「あなたが小さい頃もお姉ちゃんたちは受け止めてくれてたよ」みたいなことばかりを返したのだった。

そして帰宅後。まったく同じ話を小4の兄にした娘。兄の答えは
「なに、そいつ暴れん坊なの?」「暴れん坊じゃん!」「暴れん坊だね!」
それだけ(笑)早く一緒にゲームをしたいから、適当に流しているようにも見えるのだけど、それを聞いた娘は「そうなんだって!暴れん坊なんだって!」と、私と話している時よりも晴れた顔。結局、2人は何度か「暴れん坊」を繰り返した後、何事もなくゲームに入っていった。

恐れ入った。傾聴とはこういうことか。

確かに、私も嫌なことがあると愚痴りたい。全然、解決策が欲しいのではなく、ただ聞いてほしい。吐き出したい。娘もきっとそうだったはずで。もしこれが私の友達からだったら私も「暴れん坊じゃん」と受け止められたはずなのに。相手が自分の子どもになった瞬間、何か諭してあげなければいけない自分になってしまっていることに気付いた。

翌朝、朝の弱い娘がなかなか起きてこなくて、私はプリプリ。娘もプリプリ。布団まで迎えに行って連れてきたパパが一言。「はーい。ライオンの赤ちゃんを連れてきましたよー」その一言に私も娘も一気になごんだ。

ユーモア溢れる言葉で状況描写をするというのはどうやらパパ仕込みだったらしい。

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