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ラジオの神様

スピリチュアル的なことはよくわからないけど、ラジオの神様だけは絶対にいると思っている。マイクの前で喋っている人たちはみんなラジオの神様から愛されている。

時々「あ、今ラジオの神様に試されているな」と思うことがあった。そんなパスがきたかというような難しいテーマについて話す時もあれば、生放送で突然緊急地震速報の誤報が入ってきたり、切迫早産で緊急降板なんてこともあった。一番試されていたと思うのは新人時代の最初の一年、怒られまくって、泣きまくって、練習しまくっていた時期だろう。でもそんなパスを逃げずにちゃんと向き合って放送に臨んでいれば、ラジオの神様は次にマイクに向かう時に必ず素晴らしいプレゼントをくれた。「話をまとめる力」「緊急時のアドリブ力」「人の痛みがわかること」新人時代の一年には「しゃべりの技術」という一番大きな武器をもらった。あの一年がなければ私はきっと今のようには話せなかった。

逆にうまくいったと思える放送やインタビューの時にはいつもラジオの神様に守られているなと感じていた。それがひとつ根拠のない自信にもなっていて、今回もコロナウィルスがここまで感染拡大する前ギリギリのタイミングでパラオの取材に行けて、全ての行程を終え無事に放送することができた。もちろん不安はたくさんあった。でも、絶対に届けなければいけない言葉がそこにはあるという確信があって、それをラジオの神様が邪魔をする訳がないと思った。むしろラジオの神様に「絶対にちゃんと届けますから、守ってください。」とお願いするような気持ちだった。

3月でラジオ局を卒業して、そんな神様にはもう会えなくなるなと思っていたのだけど、なんと今日は久しぶりにラジオの神様に再会したのだ。特番の収録で三週間ぶりにスタジオへ。気候変動をテーマにした番組で、私のパラオ取材の模様もまじえながら、専門家にインタビューをするというもの。実はこのインタビューは本当は先月録る予定だった。それがコロナの影響で延期となり、東京へ収録に行く予定が電話収録となった。先月録っていたらここまでコロナのことを絡めて話すということはできなかったんじゃないかと思う。そのあたりもラジオの神様、絶妙なさじ加減。

そして4月に入ってから全ての仕事が中止になったので私はこの三週間、本当に何の仕事もせず、子どもたちの世話と家事だけをして、ずっと家にいた。外出といえば、週に一度のスーパーの買い出しと、夕方家族で行く散歩くらい。でもそれがよかったのだ。このコロナ禍で三週間ずっと家にいたからこそ出てきた言葉や、生まれた感覚、見えてきたことというのがやっぱりあって、自分でも専門家の方と話しながら「あ、私そんなこと思ってたんだ。」とここまでの自分を掘り起こすような気持ちだった。きっとあのまま仕事を続けていたら、また違った思いや考えになっていただろう。どちらが良いというものではないけれど、ラジオの神様は今は私にこっちを届けてくれたんだな、と思った。

一時間の番組を作るためにこの三週間の私の生活が必要だった訳だ。なんとも材料費が高いような気もするけれど、振り返るとラジオというのはいつもそういうものだったなと思う。

そんな渾身の番組が来月放送予定です。またオンエア日、お知らせできるタイミングがきたらアップします!


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