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過去にアクセスしないトライ

金曜日は1日、夫とデートの日だった。
露天風呂つきの部屋で、水が光に当たってすごく綺麗だったんだけど、写真撮らなかった。
撮ればよかったなぁ。
デート中に写真をとってはいけない、という
謎の観念が発動した。

エックハルトトールの本を読んでいて、”今にいる”ことの意義のようなものはよく分かるんだけど
実際どうすればいいのか、というところが今のところわりと抽象的で、難しいなぁと思ってたのですが
本の中に
「過去を振り返るのはやめなさい。何かの問題を解決するためにどうしても過去のデータが必要な時だけ、過去を使ってください」
みたいなことが書いてあり

それなら出来そう~と思ったので
実践してみています。

”今にいる”って
過去にも未来にも行かないわけだけど
未来より、過去に行かないことにトライする方が、考えてみたらやりやすいかも。

で、一昨日、それについて書きたいことが起こったのでメモ。

その日の夜、次女がおねしょしちゃって、夜中に帰ってきた夫に「次女がおねしょしてるよ」と、寝てるところを起こされたの。
で、私はわぁ~~~ってなって、あわてて服ぬがせて、新しい服着させて、汚れた服を洗わなきゃ…ってやってたら
夫はそんな私を尻目に、もう寝てるわけなんです。

それでめちゃくちゃむかっとして
「いや寝るなよ!」
「てか私の事起こさなくても、この一連の処理、あなたでもできるやん!」
「そもそも、今日は早く帰るってあなたが言ったから、おむつ切れてたけど夜買いに行けばいいやって思って待ってたのに、帰ってこなかったから買いに行けなくて、それでおねしょしちゃったんですけど!」
と、次女の服洗いながらずっと怒ってて

その時、「過去にアクセスしない」を思い出して
過去にアクセスするのをやめてみた。

そしたら
スーーーーーーーッと
すごく楽になって、
めちゃくちゃ軽くなった。

夫への怒りも消えて
ただ次女の服を洗うだけの私になった。

そして気づいたのが
夫に怒ってると思ってたけど
実は私は私を責めていたということ。

「夜、子供連れておむつ買いに行けばよかった」「仕事の帰りに買いに行けばよかった」
「そもそも土日の買い出しの時に買っておけば…」

と、夫に責められている気持ちになって
(ほんとはそれ言ってるの全部自分なんだけど)
反作用的に、夫を責めていたのだと分かった。

だから過去にアクセスしなくなったら
自分で自分を責めることもなくなって
超・超・超らくちんだった!!

次女の服洗い終わって、
めちゃくちゃ爽やかな気持ちで、夫の隣で寝た。

過去ってほんとにアクセスしなくてもいいんだなって思った。
あと、自分を自分で責めるのめちゃくちゃ疲れるんだなということと、それを自分で辞めることもできるんだなって実感できた。

原因→問題→解決、という、時間軸での進化のアプローチを刷り込まれすぎてるから
無意識に、過去に鍵があるって思ってしまってるけど
”今”にあるとき、原因(事象)から問題は生じないのだと分かった。


長女が書いてた、ままごとのパン屋さんの看板。

こどものかわいいパんや

尊いという言葉しか出てこない…

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