タケノコの君

 レディーファーストというのが嫌いだ。

 ドアを開けて女子を先に通してあげる。エレベーターで女子を先に降ろしてあげる。運ばれてきたケーキを「先にどうぞ」と譲ってあげる。それは特別扱いであり、女子に対する優しさなのかもしれず、美しい行為のように思える。

 でも、よく考えてみてほしい。ドアを開け女子を先に通したら、店の中で変質者が暴れていたらどうするか。「お先にどうぞ」と女子に先に食べさせたケーキに毒物が混入していたらどうするのか。

 大げさかもしれないが、そういうことだ。譲ると言うことがかならずしも最善とは言いがたいのだし、そもそも男女は平等ということを謳っている世の中ではマッチしないのではないかと思い、どうもニガテだ。

 しかし、生憎わたしは女子であるので、譲られることは多い。おもしろくないから、そういった時は自分も男子に譲る。その結果、

「お先にどうぞ」

「いいえ、お先にどうぞ」

「いやいや」

という「譲りの押し問答」が繰り広げられ、なんともみっともないことになってしまう。ここまで来ると、譲りにも勝ち負けが発生してしまうのだが、そのような事態に陥っても素直に譲られることを選ばない程度にわたしは偏屈だ。

 そんなわたしが、素直に男子に譲られたことが最近あった。地下街の人通りが多い往来でのことだ。

 ちょうど十字に交わった通路で、わたしはまっすぐ前に向かっており、彼は右からやってきた。ふたりともそのまま進んでいたらぶつかってしまうコースだったのだが、その直前で彼がぴたっと止まってわたしに道を譲った。ここまでならただのレディーファーストで素直に従いたくない気持ちになるところだが、そのときは様子が違った。

 わたしに道を譲った彼は、幼稚園の年長か小学校に入りたてかという小さな男の子で、一緒にいた彼の母親は、彼が止まったことに気付かず先に行ってしまう。それでも彼は慌てる様子もなく、毅然とした態度で私が行くのを待っている。

 タケノコのポーズで。

 驚いてはいけない。タケノコのポーズだ。彼はキリッとした凛々しい表情で天高く、ピタリと合わせた小さな両の掌を突き上げて、わたしが行くのを黙って待っている。

 なぜタケノコか。流行っているのか。聞きたいことは数あったが、母親がどんどん先に行ってしまうのを黙って見ている訳にもいかず、わたしはサッと彼の前を通り過ぎた。感謝する。という表情を作って。わたしもキリッとしてみた。いっそのことタケノコのポーズで感謝の意を示そうと思ったが、自分がそれをやっていい歳ではないことに思い至りやめた。

 わたしは彼の姿に、新しいレディーファーストの形を見たのだ。母親が先に行ってしまうという状況下なのだから、本来であれば大人であるわたしが遠慮して「おかあさんが先に行っちゃうから追いかけなさい」と譲るべきなのだろうが、なにしろあのタケノコのポーズと毅然とした態度で、こちらに遠慮させることを許さないのだ。わたしが行かなければ彼もテコでも動かない雰囲気だった。まさに気遣いの強行突破であり、他に譲歩はあり得ないのである。

 そのあまりの気迫にわたしは思わず譲られてしまったのだ。何ということだろう。その譲り方はあまりに潔く、わたしの心に焼き付いて離れない。これは恋かもしれない。

 タケノコの君よ、あの時はあっけにとられて何も言えなかったが、いつかもう一度会えるなら、次はぜひわたしに譲らせて欲しい。その時までどうか変わらず、勇敢な君のままでいて欲しい。

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