転ぶ

 あっ、と思ったときにはもう遅かった。自分が地上数センチのところを飛んで、このままでは膝から行く、という様がスローモーションで再生される。

 いい社会人が、中学校のすぐそばで派手に転んでしまったのだ。痛いと言うより恥ずかしい。このあとどうすればいいのか、うずくまったままものすごいスピードで考える。考えたって転んだ事実は変わらないのに。

 今はまさに登校の時間帯で、まわりには中学生がいっぱいいるはずだ。とにかくもう恥ずかしくて顔を上げられない。でも、わたしだって出勤中で、ここで固まっているわけにはいかないのだ。

 中学生が笑っているかもしれない。いい大人が無様な転び方しちゃってって。それとも見ないふりして学校へ急ぐ?どっちにしてもいたたまれない。ああ、消えてしまいたい。なぜワープできないんだろう・・・。助けてドラえもん、と思ったその時。

 「大丈夫ですか?」

 ひっ!誰か声をかけてきた!

 驚いて顔を上げると、そこには中学生の女子3人組がいて、無様なわたしのことを、笑うでもなく、馬鹿にするでもなく、本当に心配そうな表情で見ていた。

 ありがとう。大丈夫。そう言うのが正解だと思う。なのに、こともあろうにわたしは、この優しい中学女子に「大丈夫ですっ。スミマセン」と言い捨て、さっさと脇道に逃げ込んでしまった。

 なぜ敬語。なぜ謝罪。

 わたしは優しくされるのに慣れていない。しかも、自分を心配してくれる人など存在しないとなぜか固く信じてしまっていて、さっきの女の子たちみたいにまっすぐな優しさをかけられたら、正直どうしていいかわからなくなってしまうのだ。

 わたしなら、転んだ人を見たら、見なかったことにしてその場を離れる。人前で転ぶのはやっぱり恥ずかしいことだろうだから、知らないふりをするのが優しさかなって思ってる。大怪我だったらまだしも、大丈夫そうならあえて声はかけないのだ。

 心配して声をかけてきてくれた心優しき女の子たちの気持ちから、わたしは逃げてしまった格好になる。彼女たちが去るのを物陰でじっと待ち、いなくなったのを確認してようやっと怪我がないか確認した。膝を思いっきり擦りむいていた。

 痛かった。膝はもちろん、まっすぐな善意にまっすぐ答えられなかった自分自身のことが。

 最近の若い子は、他人とのつながりが希薄で、友達ならともかく、知らない大人に声をかけるなんてありえないと勝手に思い込んでいた。それは、わたしのこころがどれだけひねくれているかの証明でもあった。

 わたし自身がまっすぐではないから、まっすぐな気持ちに対して動揺してしまう。

 じわじわ出血してズキズキ痛む膝を見ながら、わたしもあの子達のようにまっすぐな中学生だったなら、今もう少しマシな大人になれていたろうかと考える。彼女らのような心の持ち主だったなら、恋も、仕事も、もっと輝いていたかもしれないな。

 あの時声をかけてくれた女の子たちへ。ありがとう、と言えなくてごめんなさい。どうかそのまま、まっすぐなまんま、大人になっていってほしい。わたしは、あなたたちよりずっと子供です。いつかあなたたちに追いつけるように頑張ります。

 以前公開した「バンソコ」という短編のもととなったエピソードです。

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