【分析】外からの視点で(岡田斗司夫さんの動画とコメント欄にある)日本の「男女の在り方」というものを見た場合、明らかに何処かおかしい。

こんにちわ、よくしゃべる顕正会員ですw 岡田斗司夫さんの動画はたまによく見るんですが、

「俺が今10代の男だったら一生童貞を選ぶ」コレぐらい今の女の恋愛はズレている【岡田斗司夫/人生相談】 (youtube.com)

この動画はかなり本音で切り込んじゃってます。まるで「日本人女性は曲者だよ」とでも言わんかのようです。これを現代の日本の若者(男子)に言っているんですよ??(笑)

少子化問題が解決されようとされなかろうと、「そもそも日本人女性はオワコンなので・・・諦めてください(笑)」と岡田斗司夫さん言ってるも同然なのですね。無論、その背景にある理由や要因も抑えて受け取る必要がある。

>あざとい議論は女性だけでやって頂きたい

言語化する必要もなく皆さんご存じのように、「日本人女性の(一般的な)在り方」というものは00年代終盤、2010年代序盤にある程度確立していて、それを一言で言い表すなら「社会・都合と(数割くらい)結婚している」というもの。それに合わせて、彼女たちの「女として人としての在り方」の定義も男性と異なり明確であること、外国と比べて厳しめだったり無個性(狭い方)に寄っている事は必然、であると私は認識する。

よく、女性が男性を選択する際の基準として、「顔・年収」などがあげられますが、それは=「社会・都合と(数割)結婚しているが故に、男性もそこに合わせてもらうのは当然じゃない?」と言い換えることも出来ますと。そこを男性は「女性側の傲慢」「女性の問題」と扱い易いですが実はそうではないんですよね。
もちろん、逆(男性)の場合も。日本人男性が社会・都合と結婚しているケースも多々最近では見られるわけですが、前者(日本人女性)の方が圧倒的に数が多く見える。それには理由があるのですがそれはまた別の話になってしまうのでこの記事では省略致します。

さて、ここからはこの動画のコメント欄です。全て見たわけではなく上からざっと40程度、なんですが
先ずこの「岡田斗司夫さんの見方に反対です」とは直言せずとも、「女は怪物じゃない。モンスターじゃない。ネットの意見は参考にはならない」と間接的に現代の日本人女性を「ふつう・自然」または「90年代(例え)以前と変わっていない」と言い切っているかのようなユーザーのコメントに注視したいのですが、ここで外国人ユーザーが岡田斗司夫さんの動画を(英語字幕付きで)観たとして、その後コメント欄にある日本人ユーザーのコメントを見たとします。その時、「アレ?日本人の男女は上手くいっているの、いないの?どちらなんだろう。だとすると、岡田斗司夫さんのこの動画の内容はうまくいっていない1/2(仮定)を取り上げただけに過ぎないんじゃん。じゃあ別に社会問題でも日本人女性の問題でもなんでもないってことなんだよね。一部の女性だけを扱ってるに過ぎないのだから。良かった」となるかなとwだが実際その外国人ユーザーが日本に来た場合、恋愛出来るケースは非常に稀であるという(岡田斗司夫さんの言う通りの)現実が立ちはだかる可能性が高いわけです(笑)。
で私は、岡田斗司夫さんの動画を観て、「その通りだ、日本人女性はモンスターだ」と思ったわけでもなく、コメント欄にあるように「上手くいっている男女もいる。まるで日本人女性全てが恋愛下手だったりあざとい女子に厳しかったりするわけじゃない」と思ったわけでもない。
結論申しますと、『二通りに分かれている』と。

先ず前提として、現在の日本社会というものは俯瞰してみて「あるパターンに当てはまる男女が上手くいくように予めしっかり設計された環境下である」と(仮定)する。
そこで上手くいく男女は付き合うなり結婚するなり子供を産むなり、多少生活上の苦労はあっても持続可能です。
しかし上手く行かない男女は一生独身として生きる、また異性と会っても「条件に見合わない」としてどちらかが離れていく、または拒絶される可能性というものが必然的に生じてくる、と。
そうやって俯瞰して見た場合、コメント欄にある「そうだよな女って、男って」というユーザーと、「ネットの情報を鵜呑みにすべきじゃない(岡田斗司夫さん含めて)現実には上手くいっている男女もいますよ」この差は、実は大差が無い。
>「社会・都合と(数割)結婚している」
これ故に、上手く行っている男女(家庭)の間に産まれた子供でさえ、愛情や才能よりも社会・都合に苦しめられつつ(負荷を負いながら)育っているという事例も、事実あって(悲しい事です)。そういう子供が(平成後期・令和世代の中から)2020年頃から多く生じてきていることを確認出来ています

「日本人女性」という点だけを取り上げて、政治や教育と結び付けて日本民主主義というものを遠くから俯瞰して見た場合、『確実に日本の政治は(2010年代に)失敗している』と捉えることが出来ます。
家庭の価値より社会的立場、または女性の解放と権利を先に優先し過ぎた故、ですね。まぁ、今後「どちらも立てて頂ければ」というケースも出てくるのでしょうが。
無論、自民党の「日本人女性の在り方」民主党の「日本人女性の在り方」は定義が少し違っているのですが、行きつくところは同じです。もちろん、自民党議員の中にも、「昭和時代のような家庭モデルの方が私は宜しいと思う」「社会的立場より家庭で安心して子育て出来る女性を支えられる政策を」という方も今後は出てくるかもしれませんが。

岡田斗司夫さんのような女性観に肯定的な人も否定的な人も結局同じ解に行きつくのであれば特に懸念は残らないでしょう。
また日本の「女性活躍」「家庭より社会」という官民一体での(全自治体や企業も巻き込んだ)社会的取り組みや政策・思想、教育の属性は過去イギリス・フランス・アメリカのものと非常に似通っているという点が見受けられる。それら一国の1世紀・2世紀前の女性の在り方を参照してみると、何故かは知らないが革命・戦争のタイミングに合わせて劣化または進化という過程を経ている。日本ももしかすると・・・?

はい。岡田斗司夫さんの動画とコメント欄、どちら側の意見を支持するにしても、「やはり、(この日本という国は)おかしい」という結論でした。







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