「それは癖です」は答えになってない

最近ヨガを習っている。資格が取れるコースだ。
実技のクラスでは、ポーズの教え方や補助の仕方などを習うのだが、先日、一通り私のインストラクション(ポーズの教え方)を見た先生が、「肩があがってしまっている時があるので、気をつけて」と言った。
なるほど。私は肩があがりやすいらしく、小さい頃からいろんな人によく指摘されてきた。こうなるのにはなにか体の構造に理由があるはずだと思い、「なんで肩があがってしまうんでしょう?」と先生に尋ねたら、

「んー、癖ですね」と一言。

はて・・・?という気持ちになって、言葉が返せなくなった。
「このように、つい無意識にやってしまうことを、一般的になんと言いますか?」と尋ねたのなら、その返答でもわかる。
なんだか煙に巻かれた感がある。例えるなら、「このお料理がおいしい理由はなんですか?」という質問に対して「それがステーキだからです」と答えられたような感じだろうか。
この例で考えると、答えた人は「ステーキと呼ばれる食べ物はすべておいしい」と考えていそうだ。
先生は「癖」に対して、「癖というのは理由なく、なんとなく身についてしまう、どうしようもないもの」「ときどきランダムに自然発生してしまうもの」と考えているようなニュアンスを感じる。
なんにせよ、対象への認識が雑。

肩があがる癖は、肩甲骨周りの筋肉が足りないとか、人より腕が短く軽くて上がりやすいとか、心理的な面から見ると不安やストレスを感じているとか、なにかしら癖になった理由はあるのではなかろうか?

こういうことを考えてると、つい原因を見つけたくなっていろいろ質問して、「考えすぎ」などと言われたりうざがられた記憶が蘇ってくるけど・・・。

いっとき、すごくタバコを吸ってみたくなった時があった。
一人でぼーっとしたり、飲み会などで席をはずしたりする理由として、市民権を得ているところがいいなと思ったのだ。タバコを吸っている人たちの、ちょっと遁世的な雰囲気にもシンパシーを感じた。
結局私の場合、タバコはコスパの面で習慣になるには至らなかったけど、こんな感じで「なんとなくそれをやってみたくなる」というのには、意識的であれ無意識的であれ、理由はある気がする。

辞書によれば、癖という言葉には「一般的でない、そのもの特有の性質・傾向。『癖のある味』『癖のある文章』」という意味もある。そうであることが本人にとってはナチュラルなことだけど、世の中的には少数派なために、癖と定義される、という場合もありそうだ。その癖をやめた方がいいかどうか自体も、ケースバイケースで見極められたらよさそう。

とにかく、せっかくヨガを学ぶのであれば、人の身体的な癖への仮説はたくさん持てるようになりたいなと思った。

すっっっっっごいうれしい!