episodes 4
祖父母は私に向けてよく言っていた言葉がある。
①「思いやりのある子になりなさい」
👵🏻が私によく言っていた言葉だ。
しかし私にそんなことを言っていたにも関わらず、
👵🏻👴🏻は毎日のように食卓で人の悪口をならべていた。
私は幼いながら、
「全然思いやりないやん😀」と思っていた。笑
時たま私の友人の悪口まで言ってくるから本当に嫌だった。
でも、今思えば「思いやり」とは、とても大事なこと言われていたなぁと感じる。
②「あんたは顔も性格も悪いから、頭だけは良くなりなさい」
美人でかわいい姉に比べて、私はパッとしない顔つきだった。明るくてムードメーカーのような姉の性格とも真逆で、祖父母の前では口数の少ない暗い性格だった。(私は本来は明るい性格なのだが😇)
しかし、👴🏻👵🏻に認められたいという思いから、
小学校時代の私はとにかく努力した。
テストも毎回満点を目指して小学校の成績はほぼ◎
体力テストもクラスで1番、2番
習い事の書道でも何度も特選した
マラソンも学年3位
選抜リレーには毎回選ばれた
習い事の体操でも教室で1番だった
百人一首もクラスの王者だった笑
九九も誰よりも早く覚え合格した
苦手だったそろばんは、小2ながら朝4時に起きて練習した
縄跳び大会の前日に大雨でもベッドの上で跳ねまくって大汗かきながら練習し、小2で後ろ二重跳び64回で歴代新記録を更新した(笑)
小3から始まる学級委員長も毎年務めた
(自慢みたいですが悪しからず(笑))
小学校時代はとにかく苦しんだ。
学校でも家でも、とにかく『真面目でいい子』でいることに必死だった。
成績を渡される日は心臓が破裂しそうなぐらいドキドキしていた。
自分の負けず嫌い心からくるものでもあったが、
とにかく結果を出さないと認められないと思っていたのだ。
しかし、結果を出せば出すほど👴🏻👵🏻のプレッシャーがかかった。
しまいにはすべて努力の結晶にも関わらず、担任の先生や祖父母、両親、姉にまで、
「秀才や」「オールマイティや」「希望の星や」
などとあたかも才能のように言われ、巨大なプレッシャーに押しつぶされそうになっていた、、(笑)
(私が現在承認欲求が強いのは、こういった経験からきているのだと思う)
当時姉ばかりが可愛がられて、自分は愛されていないと感じていて、日記によく「しにたい」「なんで姉ばかりなの?」と泣きながら書いていた。
姉のことは大好きだけど、明るくて可愛い姉のことが羨ましくて仕方なかった。
私はどんどん👴🏻👵🏻と口が聞けなくなっていた。
だけど、この時ちゃんと努力していたからこそ、
かけがえのない友人達にも出会えたり、最高の思い出ができたから本当によかったと思っている。厳しく育てられ辛いことは山ほどあったけれど、それで得たものはめちゃくちゃ大きいものだった。
③「泣く子は嫌いや」
私は昔からとにかく涙脆い。
しかし👴🏻👵🏻はすぐに泣く子が嫌いだった。
けれど食卓でよく👴🏻に怒られる度、
涙がこみ上げてきて泣いてしまう
泣くとまた怒られる
ということが度々あった。
布団やお風呂でよく泣いていたものだ。
④「大人になったら楽しいことがい〜っぱいあるで、青春を謳歌できる」
これは間違いなかった🥺🥺🥺
⑤「たくさん恋愛しなさい」
これも間違いない😃🙏💕
やけど、👵🏻👴🏻はいまだに私が恋愛未経験だと思ってるwww
こんなことよく言われてたのに、なぜか、姉は彼氏コロコロ変わってても許されて、私は、学生のうちは恋愛をしてはいけない、恋愛は学業の妨げやと言われてるwww
⑥「あんたらに寂しい思いはさせへんからな」
かなり愛情表現が歪んだ👴🏻👵🏻だけど、私たち孫の為に尽くしてきた人生なのはわかっている。
小学校の授業参観に1人年老いた👵🏻がくるのが、
恥ずかしいと感じるお年頃だった。
なんとか授業参観に来ないようにしたかったが、そんなことは言えないので来てしまう。
当時、周囲の友人には、両親が離婚していることを隠していた。なんで「マイのところは👵🏻がくるん?」と聞かれても「ママは仕事やねん」としか言えなかった。
次第に両親のいる家庭に憧れを抱きつつあった。
ママとパパともう一度一緒に住めることを思い描き始めていたのだ。
長くなりましたが、本日はこの辺で☺️👋
次回もお楽しみに🤢
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