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前世 IQ3感想

始まる前に一言。名前が前世な時点で神じゃん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!…(息切れ)

黒い画面にただ映し出された前世のバカオシャレなロゴと「開場までしばらくお待ちください」の文字を凝視し続けてはや数分、心臓のドッドッドッドッという音しか聞こえなかった自室に深海を表すような高音が響き渡った。

画面には優雅に泳ぐ魚…の逆再生が映っている。ずっと続くその水槽の様子にまた更なる高揚感を覚えながら馬鹿な私は、ん?ちょっと待って今エイの顔映った!!可愛いなあエイの顔!てかイワシ多いなあ〜なんてことをずっと考えていた。そんな中普通の水槽にはあるはずの無い幾何的な形が水中をさまよい始めて、それで、段々水槽を泳ぐ魚も早くなってて、で、私は刺される。時計の音がなってヨルシカのロゴが構成されたのだ。そして魚が泳ぐ水槽をバックにバイオリンが鳴り始める。さらにそのバイオリンをBGMにしたまま「前世」のロゴが浮かび上がる。鳥肌が立った。まだライブは始まっていないのに。


藍二乗

バイオリンの響く優雅な空間にするりと入り込む「変わらない風景」の歌詞。また鳥肌が立つ。suisさんの声、ああ、suisさんが、生きてる、存在してる、待って、それよりも先に水族館でライブを行うの?そんな豪華なことある?ぐるぐるぐるぐると色んな感情が混ざり合う私を置いて藍二乗の歌詞は進んでいく。いつものアップテンポな藍二乗からアレンジが効いてるからか「妥協で出来てる」がとても物悲しく聴こえた。苦しさも願いも全て封じこめる、エルマに対する強い想すらも諦めさせてやるせなさに変えてしまうような妥協。また歌詞が進んでる、もう追いつけない、藍二乗ってこんなに悲しげな歌だっけ?バイオリンが入ってるから?いつもよりももしかしてテンポ遅い?もう何も分からない、ただひたすらに素晴らしく綺麗な音楽が目の前で流れてることしか分からない

だから僕は音楽を辞めた

藍二乗の後、喋りもMCも何も無く突如始まるだから僕は音楽を辞めた。バイオリン、本当に綺麗だな。suisさんの声もとても綺麗で、他の楽器陣もとても綺麗で。ただただ素晴らしくて。心臓は依然バクバクしてるし高揚感も相変わらずあるのにそれを言葉に形容できるだけの語彙力を持ち合わせていない。藍二乗と同じようにこの曲も普段聴いてるバージョンよりもやるせなさや悲しさが滲み出てるような気がして、聴いてるだけで苦しくなる。私がこの曲で大好きなピアノソロがするりと耳に入ってくる。染み入って来る。suisさんの「間違ってないよな」の言い方があまりにも悲壮感に溢れていてつい「間違ってないよ、何も間違ってないよ」と応酬したくなる。それくらい苦しい。聴いてて苦しくなる、苦しいのに無上の幸せに浸ってる私がいる。「売れることこそがどうでもよかったんだ」も苦しい。全てが苦しい。音楽を、やめないで欲しい

雨とカプチーノ

またしても合間が無いまま始まる。suisさんが、座って歌っている。座ってその声どこから出てるん?綺麗すぎん?というか座ってるのMVのエルマ味マシマシで本当に現世にエルマが降臨したんじゃないかと疑った。あの、もうこんな文章すらかけないくらい「おどけたふりして」「みたいなふりして」の歌い方がマジで!!信じらんないほど!!!!ドドドドドドストレートに私の'''''好き'''''にぶっ刺さってくるんだけど!!!何!?!?神なの!!?神です!!!!!天才的に!!!!!好き!!!!!ありがとうございます!!!!サビの入り方もとても綺麗で何回でも巻き戻して聴きたい。何度でも聴きたい。Cメロ前のギターが安定感抜群にとても綺麗で。Cメロのsuisさんの低音も音の抜き方やら歌い方やらもう全てが好きで。ずっと心臓を鷲掴みにされたまま離してくれなかった。

パレード

森の中のパレードを水槽に包まれた海の中で歌うところからして天才的だと思った。度々映る水槽の魚がまた幻想的で、そしてそこで歌うsuisさんの姿はまさに人魚姫で。suisさんはもしかしたら泡になってしまうんじゃないか?もしかしたら尾びれがあるんじゃないか?だからこんなに人間離れした神の声帯を持っているんじゃないか?なんてことを考えてしまった。そんなことを考えながらパレードの美しさに惚れ惚れとしていたら既に2番に入っていた。どこか懐かしいような、それでいてもうその懐かしいものはもう一生手に入らないもののような、そんな苦しさに襲われてしまう。幽霊部員になって一年以上行ってなかった吹奏楽部、久々に顔を出してみようかな、なんて思ってしまうくらいに音楽に感動した。パレードが終わったあとの一瞬の静寂に100億光年程の余韻を感じながら次の曲に移る

言って。

パレードの余韻に引きずられたまま始まったのはピアノのオシャレすぎる、もうオシャレなんて陳腐な言葉で表していいものか迷うほどにオシャレなメロディだった。そこにドラムやギターが入っていき段々聴き覚えのあるイントロを完成させる。あ、この曲もしかして、と思った途端suisさんは言う。「言って。」途端、ここが漫画の世界だったらゾワッッッというオノマトペが描かれているんじゃないか???と思うくらいの鳥肌が立った。
パレードではあんなにも優雅で綺麗な歌い方をしていたのに、綺麗なのは依然としてどこかあどけなさのある「あのね」にはもうかわいくてかわいくてかわいくてかわいくてかわいくて!!!心臓を!!鷲掴みに!!されました!!!ハイ!!!suisさんに恋した人手ーあげて!!!はい!!!はい!!!私も
!!(息切れ)いや、本当に可愛い。さっきまで歌ってた人と同じ人ですか???さっきまでも可愛かったけど可愛さカンストしてない??「わからずやっていうんだろね」が少し声掠れるのも可愛い。それでいてやっぱり綺麗なのがずるい。こんなの聴き惚れるしかないじゃん。ねえ。そしてやっぱり苦しい。どう足掻いてもsuisさんの表現力の凄さに情緒が勝てない。

suisさんが歩いた!!!!!!(バカアホドジマヌケIQ3の感想)


ただ君に晴れ

少し大人なただ君に晴れが始まる。目の前に水槽があるんじゃなくてテレビに水槽が写ってるように、なんだかその場にいるんじゃなくてもっとこう、昔の記憶を遡って懐かしむようなただ君に晴れ。普段のただ君に晴れが雲ひとつない快晴の青空を思い浮かばせるようなものだとしたらこのただ君に晴れは少し夕日がかった海岸の岩に腰掛けた少女が切なさを胸に友達を想うような、そんな感じ。上手く表せないのがもどかしい。「君」が本当に遠くに行ってしまったような、夕暮れの中もう日が暮れてきたので遊びを中断して家路につかないといけないことに対して少し切なさと哀愁を感じて歩くような、そんな、そんな感じ。切ない、本当に切ない。私どの曲聴いても苦しくなってんな、どうしてこんなにも聴くだけで苦しくなる歌い方が出来るんだろう、どうしてこんなにも聴くだけで苦しくなる歌詞が書けるんだろう。n-bunaさんもsuisさんも本当に凄くて、本当に大好きだ。

ヒッチコック

雨が降るような演出がもうヒッチコックそのもの。演出考えた人に100億円あげたい。質問ひとつひとつに私まで頭を抱えて悩んでしまいそうな歌い方に絶句した。改めて思うけど、本当にsuisさんは表現力が凄い。聴き手側の情緒を掴んで上下に揺らしてる感じ、迫力を与えたり苦しさを与えたり救いを与えたり出来るのが本当に凄い。私はやっぱりヨルシカが好きだ。この感情を大人になっても忘れたくない。夏が恋しくなる。このまま生きてもいいよ、青空だけが見たいのはわがままじゃないよ、歌ってるsuisさんにヒッチコックのあの少女を重ねてしまう。全てを肯定してあげたくなる、MVで心に穴を開けて泣いていたあの少女がまだ泣いてる、また、苦しくなる。

青年期、空き巣

盗作アルバムくる?!?!?!?!?!?
青年期、空き巣が終わった途端盗作アルバムを聴き込んでた私の脳内に大音量でレプリカントのイントロが流れ出した時にはさすがに苦笑した。好きすぎやろ。ライブだと何が始まるのかな。心臓がまたバクバクする。ラジオの音で着火、カウントダウンを思い出す。

春ひさぎ

待って?????イントロにバイオリンが加わってさらにダーティさがマシマシになってるの凄いな!?私バイオリンに対するイメージ優雅そのものだったんだからこんな風にダーティなロックにマッチするなんて思ってなかった…この融合見出した人天才だわ…バイオリンの音が尖って聞こえる。あのMVの全身からこれでもかと尖りを表してた尖りマン(命名・私)が脳内に浮かぶ。凄い、本当に尖ってる。suisさんの歌い方が本当に妖艶で、ごめんなさい、率直に言うとエロイです。けど下品さが欠片も無くて本当にひたすらになんていえばいいんだ、妖艶でいいのかな、ひたすらに大人な感じがした。語彙力が追いつかない。水槽のライトアップも赤になっていて演出のこだわりに脱帽した。やっぱりあれだけ「もう遠くに行ってしまった君」に対する追憶やら抱えきれない想いやらを歌ってきヨルシカが「愛なんて」と愛をどこか軽く見るような歌を歌うのが刺さる。今までのヨルシカは雨の上がる校庭だとか花火だとか、そんな綺麗な情景を描いてきた。私もヨルシカはそういう綺麗なものを描くユニットだと思っていたしその価値観は今まで揺らがなかった。けれど春ひさぎで盛大に覆される。あのヨルシカが、例えば歌舞伎町みたいなそんな薄汚れた夜を描いたのだ。私は勝手にそういったものを''大人っぽい''なんて印象で憧れてたからドドドドドドストレートで好みだったし初聴時にはずっと心臓がバクバクしていた。''今までのヨルシカ''という枠をぶっ壊したこの曲。本当に好きな曲だな、ひたすらこの曲をセトリに入れてくれたことが嬉しい。

思想犯

またゾワッッッと鳥肌が立つ。低音ドドドド迫力に画面越しでこれだけやられてるからリアルでもし思想犯をいつか聴けたならどんな気持ちになるんだろう、想像しただけで動悸が止まらない。聴いてみたい、本当に聴いてみたい。ギターがふと映る度によくこんだけ指動くな…凄いな…と尊敬してしまう(IQ3)
人に優しい世間を、人に優しいあんたを、そういう風に人に優しくなれない自分は恨んでる。この気持ちがわかるものか。今まで散々「さよなら」を歌ってきたヨルシカが人を羨んで劣等感に苛まれ貪欲に手を伸ばす歌詞を歌うのが思想犯公開当時の私にとって物凄く衝撃的だったのを今でも覚えている。というか、ライブでいまこの曲を聴いて当時抱いた気持ちを抱き直す。suisさん、言って。の時の可愛らしさから打って変わって大人で迫力のあ歌い方をしているのが本当に凄い、声帯何個あるんだろう???もしかして気づかない間に人が変わってる???本当に凄い。すごい以上の語彙力がないのが悲しい。

花人局

suisさんが「さよならをおいて」と歌い出した途端、ウ゛ッッと野太い声が出てしまった。待った、これは苦しい。とても嬉しいけど、とても苦しい。私はこの曲が物凄く好きなんだけどそれ以上にこの曲を聴くと苦しくなる。いやヨルシカの曲はどの曲も聞いてて苦しくなるしそんなところが大好きなんだけどさあ!(大歓喜)これだけの曲を今日連続で歌っているのに依然として綺麗なままのsuisさんの声にまた心臓を鷲掴みにされる。何度も鷲掴みにされている、というかずっと鷲掴みにされている。もう私は今日死ぬのだろうか、それくらい心臓がバクバクしてる。窓際咲くラベンダー、汚れたシンク、そんな情景をありありと浮かばせる日常的な歌詞を歌ったあとの「覚えてないことばかりだ」にグサッと刺される。あまりにもむごいじゃないか。こんなに幸せが崩れ去るのを美しく書かれてしまうと苦しくて苦しくてたまらなくなる。
「言葉だけをずっと待っている」がまた苦しい。待っても来ないことをもう理解してるのに、とっくに諦めてるのにそれでもやっぱり諦めきれない希望にすがってしまう。本当に辛い。辛いしか言えない。照明が下の方だけ赤くなっているのが現実と希望の境界線のような気がして勝手に苦しくなる。とにかく苦しい。けど大好きだ。あとたまに映るエイの顔が可愛い。

春泥棒

えっ…この曲何…?初めて聴くイントロだ…香水…?サプライズゲストで瑛人くる…?(IQ3)などと考えていたらsuisさんの心地よい中低音が耳に入って来た。高架橋、でふと思い浮かぶ藍二乗。綺麗な曲だなあ、とひたすら聴き惚れていた。初めて聴く曲だけど既にもうハマりそうだ。サビが始まる。その途端鳥肌が立つ。あ、これ、え、これ待って、初めて聴く曲じゃない。この曲、ずっと、ずっと私含むヨルシカファンが待ちわびに待ちわびていたあの曲だ。春泥棒だ。改めて聴く春泥棒はとても綺麗で、春を盗まれるというよりも心を盗まれてしまった。聴いていて凄く心地よい。心地よいけれど、やっぱりヨルシカの曲だ。少し切ない。この曲は誰目線なんだろう。はらり、という歌詞は始発とカフカや花降らしを彷彿とさせて私の脳裏に満開の桜の木が思い浮かんだ。とても綺麗な桜の情景。suisさんが裸足で桜の散る公園を舞い踊っている。そんな景色が。凄い、やっぱりヨルシカは凄い。私が見ているのは水族館で歌う人魚姫のようなsuisさんなのに。目の前には桜の木がある。ピンクの照明も桜に見える。ずっと聴いていたい。そうやってうっとりとヨルシカワールドに浸っているところでハッとなった。またゾワゾワと鳥肌が立つ
。何回鳥肌立つんだろう、前世が終わる頃にはチキンになって出荷されてるんじゃないか。ヨルシカが、あの、言葉で沢山の人を救って感動の渦に誘い苦しくさせてきたヨルシカが、「花開いた今を言葉如きが語れるものか」と言った。とてつもなく綺麗な日本語を使うヨルシカにずっと魅了され続けてきた。そのヨルシカでさえ負けるような満開の花はどれだけ綺麗なんだろう。ずっと鳥肌がやまない。何度だって思う。ヨルシカは本当に凄い。

ノーチラス

私はこの曲が大好きだ。ヨルシカの曲はぶっちゃけどれも大好きだけどノーチラスは特段好きだ。脳内に夕焼けの綺麗なあのMVが浮かぶ。エルマが泣いている。suisさんがエルマに見えた。きっとsuisさんはエルマなんだろうな。だからこんなに胸に響く歌い方が出来るんだろうな。少し震える声も裏声に切り替わる瞬間も動く手も揺れる身体も全部、全部全部全部魅力的で全部ちょっと切なくて苦しくて、それでいてものすごく暖かい。凄く暖かい。包容感が心地よすぎて放心してしまった、もう何も書けない。

エルマ

始まった途端、嘘でしょ、という言葉が口をついた。まさかこの曲を歌うなんて思ってなかった。ノーチラスの余韻引きずりまくってる私にエルマは本当に殺しに来てる。完全にヨルシカにやられる。ヨルシカワールドからもう抜け出せない、この曲は凄く暖かい。エイミーはたくさんの曲で苦しさを歌ってきた、虚しさを、諦めを歌ってきた。そのうえでのこの曲だ。あんたのせいだ、なんていいながらこんなにもエルマの事を優しく想っている。涙が止まらない。視界がぼやけてぶっちゃけ今誤字っててもわかわない。スマ中だから文字打てるけどスマ中じゃなかったら絶対打てなかった。いやだよ、さよならしたくないよ、エルマとエイミーは2人で幸せになってよ、また2人で幸せにありふれた大切な日々を送ってよ、もう2人が苦しむのは嫌なんだよ、本当に苦しい、苦しいのに暖かくて、聴いているだけで全てのストレスが浄化されていく感覚がある。曲が終わる。2人が生まれ変わった時に、また幸せな日々を送れますように、なんて臭い事を思ってしまう。

冬眠

エルマ同様、この曲が始まった時にもえ、と声が出てしまった。冬眠が大好きだ。夏じゃなくて冬の曲なのに、ずっと夏に想いを馳せている、どの曲よりも夏への想いが強い冬眠が大好きだ。そういえば今は冬だな、と思う。外に出ると凄く肌寒くて、息が白い冬。昨年までのヨルシカは冬はあまり活動をせず、夏に沢山の曲を出してきた。この曲があるからかその状態が「冬眠」と言われたりして、少し寂しいけれど、その分私たちヨルシカファは沢山ヨルシカの夏の曲を聴いて夏に恋焦がれ、またいつか来たる夏を待つ。今こんな時期にヨルシカのライブを聴けている、ということに急に気が付き胸が高鳴った。嬉しい、本当に嬉しい。先程言った通り私は「冬眠」という曲が大好きだ。冬のヨルシカを、冬に聴けるなんて。
雨の上がる校庭、昨日の花火、そんな青春の1ページのような美しい情景がどんどんと頭に浮かぶ。水槽が映る。水槽の水の青は、青春の青なんじゃないか、なんて思った。誰もが通る青春。その苦しさも美しさも全て描いてしまうヨルシカが大好きだ。秋になって、冬になって、長い眠りについたあとに。来たる、夏を待つ。ああ、やっぱりすごく好きだ。『言葉とかいらないよ。』春泥棒でも言ったけど、美しい言葉で心を描くヨルシカがこんなことを言うのがたまらなく好きだ。言葉を超越したなにかはやっぱりあると思うし、言葉に表せないことだって沢山ある。神様なんていないから。想い出なんて言葉つくるなよ。その言葉ひとつひとつが胸に響く。何度だって苦しくなる。君とだけ生きたいよ。そうだよね、そうだよね…駄目だ、凄く苦しいしすごく切ないし、それでいて凄く幸せに満ちているこの感情をどうやって形容すればいいのかわからない。ライブが終わってしまう、一言も喋らず、1度も休憩を挟まないライブ。これがヨルシカだ、なんて思ってしまう。最後の音も消えヨルシカのロゴが現れた時、ああ、冬眠したんだな、なんてことをすんなり思い納得してしまった。まだ私はあの水族館に居る。余韻が抜けない、きっといつになっても抜けない。本当に幸せで苦しくて暖かい1時間だった。本当に、本当にありがとうございました。

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