破壊と想像

何を書こうかと思い悩んでいた。何を書こう。何を書けば。何を書いたって、どんな意味であったって、どんな価値が自分にあったって、自分の感情が伴っていない言葉なんて鏡は鏡、くそつまらない。

言葉は私から離れた瞬間、ネットに浮上し完結してしまうのではないか?これが自分の経験になっていますと蓄積していく実感が持てない。爆撃だ、ミサイルだ。心の乱射撃だ。この感情が2年後、私の基になりましたなんて、とても言えない。

私は私の記憶や感覚に自信が持てない。だから書くことをやめた。一見綺麗に見えている自分の顔が、感情が、思ったよりもぐちゃぐちゃで、絵の具で重ねて重ねて、もう原型が何なのかわからない。意識的にでなく、漠然としたものの中思った。変に確信としていた。

三日後に読み返したところで何の気持ちもわかなかった。毎日すらすらと単語を過剰書きにしているだけのようだった。私の語弊力がないからだろうか、私の感情の湧き上がるところの結果ではないからだろうか、日記を日課として繰り返すそれ単体にも、自分にとって意味が持てないことにも、他人の目が怖く、他人の目を気にして他人の望むような言葉を書く自分にも、呆れていた。私はを日記をやめ、言葉で人を振り回してきた自分を軽蔑し、言葉を吸収することに疲労した。ただただ書く意欲も話す意欲も思考することも疲れてしまった。日記をやめ、情報をただ眺めるだけの日々。感情は突然爆発をする。


そんな、日々。

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